あるきメデス

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杉並・高円寺と梅里の寺町を巡る(東京)〈前半〉

2016-10-18 15:55:51 | 江戸・東京を歩く
 2016年10月15日(土)

 この秋初めての快晴となったので、JR中央線高円寺(こうえんじ)駅の南側、高円寺
と梅里(うめざと)の寺町巡りに出かけた。中央線下り電車で高円寺駅に着き、11時
05分に南口をスタートする。


 南東にすぐ、商店街の近くに高円寺氷川神社があった。

 駅に近いが境内はケヤキなど高木が多く、境内西側には全国で唯一という気象神社が祭
られている。

         
 気象神社は、昭和19年(1944)高円寺北四丁目の陸軍気象部構内に造営のものを
昭和23年に遷座し、平成15年(2003)に社殿を再建したもの。
    
 気象予報士受験者の合格祈願や快晴祈願などの参拝者が多いようで、下駄形の絵馬にも
それら祈願の言葉が記されていた。

 さらに緩やかに下ったT字路の東側にあるのが、この辺りの地名のもととなる高円寺。

 高円寺は、弘治元年(1555)の開山、かつて周辺に桃の木が多かったので桃園と称
され、寺は桃堂と呼ばれ、三代将軍徳川家光の知遇を得て、家光遊猟の折にはこの寺で休
息したという。

     
 本堂前にはよく茂ったイチョウの古木が立ち、境内は豊富な緑に包まれている。木々に
覆われた参道を抜けて南側の山門から出た。


     
 南進して、桃園川の流れを暗渠化した桃園川緑道を横断、緑道にはカッパの彫刻がある。
        

 その先、高円寺南二丁目には、明治末期から大正期にかけて移転してきた寺院が並び、
「高円寺の寺町」と呼ばれ、曹洞宗の寺院が多いのが特長とか。


 最初の鳳林寺(ほうりんじ)は、大正3年(1914)に新宿区弁天町から移転した寺。
 

 境内の地蔵堂には、厄よけ子育ての延命地蔵尊が祭られている。
    


 次は門前に2本の松の立つ長禅寺(ちょうぜんじ)で、国鉄線路の拡張で荒川区東日暮
里から大正15年(1926)に移転を余儀なくされたとか。


 ここは日蓮宗の寺で、本堂屋根上の龍などの飾り瓦が目に付く。


 境内にある三十番神堂は、「新編武藏風土記稿」に「谷中本村の鎮守」と記され、天保
4年(1833)の建物で、堂内には法華経を守護する三十体の番神が祭られた珍しいも
のという。
     

 本堂前には、七福神やお地蔵さん、お釈迦様のシンボルというライオン像などの石像が
並んでいた。


 西側の福寿院(ふくじゅいん)は、明治40年(1907)に区画整理で新宿区四谷二
丁目から移転したとのこと。


 本堂の裏手には、都指定史跡で美人画や木曽街道六十九次などの風景画を描いた江戸後
期の浮世絵師、池田英泉(いけだえいせん)の墓(左側)がある。
    


 南側のT字路を西にすぐ先には西照寺(さいしょうじ)がある。寺の再興に力を尽くし
たのが旗本の岡田豊前守善政で、以後代々の岡田家の菩提所になっているとか。


 明治中期に再建された堂舎には、明治女学校の講師だった島崎藤村が寄宿していたとい
われ、明治44年(1911)に当地に移転したという。


 境内はよく手入れされた樹木が多く、マツ、サクラなどは杉並区保護樹林に選定され、
モミジもきれいな彩り。
    

 江戸期建築の格式を持つという道了堂も、それら緑に包まれていた。
   

 東に接した松応寺(しようおうじ)は、大正7年(1918)、狭小となった北区西ヶ
丘から移転してきたとのこと。


 山門に掲げられた「萬壽山」の山号は、江戸時代の高名な書家、高玄融の筆になるもの
という。
    


 本堂背後の墓地には、幕末の農政学者で「農政本論」「開国要論」などの著者、佐藤信
淵(さとうのぶひろ)(1850没)の墓がある。
       

 境内はそう広くはないが、ここも豊富な緑にあふれていた。



 東に並ぶのは宗泰院(そうたいいん)。江戸時代、新宿区市谷左内町にあった頃には16
棟の伽藍(がらん)を有する旗本寺として隆盛を誇ったようだが、明治42年(1909)
に陸軍士官学校の校地拡張のため寺地を買収され、移転してきたという。

 本堂は宝暦7年(1757)、開山堂↓は寛延3年(1750)建立のものを移築して
おり、ともに区内有数の古い建造物らしい。
     

 さらに東に並ぶ長龍寺(ちょうりゅうじ)は、やはり明治42年(1909)に陸軍士
官学校の拡張に伴い、新宿区市谷左内町から移転してきたとのこと。

 元文2年(1737)建立の山門、宝暦6年(1756)建造の本堂は、その時移築し
たものとか。



 よく手入れされた植栽の並ぶ境内には地蔵堂もあり、地蔵が小僧に化けて豆腐を購入し
ようとしたという伝説の「豆腐地蔵尊」が安置されていた。




        

 「高円寺の寺町」を巡り終え、東進して環状7号線の高円寺陸橋下を走る青梅街道を東
に渡る。陸橋の東側を折り返してすぐのT字路際に、古い石塔を集めた一角があり、「民
間信仰石塔」の説明板があった。
     

 それによれば、ここには正徳3年(1713)と元禄7年(1694)銘の庚申塔、寛
文10年(1670)、享保6年(1721)銘の阿弥陀塔、享保13年(1728)銘
の供養塔の計5基があるという。

 これら石塔は、この辺りが武州多摩郡高円寺村といわれた頃、地域の人々が悪病退散や
村民安全などを祈願して建立したようで、毎年11月23日の例祭日には、お札やお供え
物を配るという。


 13時近いので、そばの青梅街道に面したそば店「松月庵」に入り、とろろそば(ご飯
サービス付)で昼食にした。(続く)

    



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