あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

杉並・高円寺と梅里の寺町を巡る(東京)〈後半〉

2016-10-18 20:39:46 | 江戸・東京を歩く
 2016年10月15日(土)〈続き〉

 昼食を終え、そばの高円寺陸橋交差点を渡った青梅街道の南東側は、10月3日(月)
にも来た蚕糸の森公園。青梅街道の歩道には、これから行く妙法寺の参道入口として建て
られた青銅製の灯ろうが、参道を挟んで2基立っている。
     


 公園に入り、西側の園路を3日とは逆行して人工の滝の横から池の西側を回って南西端
に抜けた。


 妙法寺の旧参道だった細い道路を少しで、日蓮宗蓮光寺(れんこうじ)がある。江戸時
代は旗本寺として栄えたようで、台東区元浅草から、区画整理のため大正4年(1915)
に現在地に移転したとのこと。


 この寺で有名なのは「開運大黑天」で、日蓮上人が母妙蓮尼の病気平癒を祈願して彫っ
たと伝えられ、本堂右手前の大黒天堂↓に祭られている。本堂、大黒天堂ともコンクリー
ト造りで、近年塗り直したのか塗装は新しい。
        

 寺には、インド独立の志士チャンドラ・ボースの遺骨を安置しているようで、本堂前に
はボースの胸像があり、プラサット元大統領、インディラ・ガンジー元首相などの追悼文
も刻まれていた。
    

 南側の大学生協会館の建物前には、広島で原爆に被爆したアオギリの種から育ったとい
う、被爆アオギリ二世が葉を広げていた
     


 環状7号線に合して、南側の信号を渡った西側は、日蓮宗の宗延寺(そうえんじ)であ
る。

 大正8年(1919)に区画整理に伴い台東区東上野から移転してきたとか。本尊の祖
師像は通称「読経の祖師」と呼ばれ、江戸十祖師のひとつに数えられて江戸市民に親しま
れたとのこと。


 本堂前のさい銭箱は、移転以前からのもののようで、年代の古さが感じられる。
    

 北側の道路を挟み、北西側一帯には緑豊富な真盛寺(しんせいじ)の広い境内が目に付
く。天台真盛宗の東京別院で、大正11年(1922)に墨田区横川から移転したとのこ
と。寺は、日本橋に越後屋を創業した三井家の菩提寺で、俗に三井寺とも称されるという。

 本堂は安永5年(1776)、元三大師堂は文政3年(1820)など区内で少ない江
戸時代の建物があるようだが、参詣者以外入場禁止の表示があり、山門で引き返すしかな
く残念だった。(山門からは木々だけで本堂などは見えない)


 環状7号線の西に平行する路地を南下すると、福相寺(ふくそうじ)の門前に出た。

 昭和12年(1937)に文京区白山から移転してきた寺で、「願満大黑天」と呼ばれ
る木造大黑天像は病気平癒や福を授けてくれるとして、江戸後期には由来記を配るほどの
信仰を集めたという



 墓地には、俳人長谷川零余子(れいよし)・かな女夫妻の墓があるとのこと。墓は見つ
からなかったが、本堂前に零余子の句碑が立っていた。
       

 さらに南進し、掘ノ内東公園の先で右折して西に回ると、広大な境内を持つ妙法寺(み
ょうほうじ)の山門前に出る


 妙法寺は日蓮宗の本山で、江戸時代から「厄除(やくよけ)大師」として庶民に親しま
れ、浮世絵や黄表紙、川柳などの題材や画材として多く描かれとのこと。近辺の村々は将
軍家の鷹場になっていたため、将軍家もたびたび訪れたという。


 境内には、天明7年(1787)建立で都重要文化財の山門、文化8年(1811)建
立で都重要文化財の祖師堂↑、文政2年(1819)建立の本堂↓、文政11年(1828)
建立の日朝堂、明治11年(1878)建立で国重要文化財の鉄門などが並び、それらの
周辺は豊富な緑に覆われている。



 豪壮な山門を入り、一番大きな祖師堂に参拝し、左手から背後に回る。読経の聞こえる
本堂横から日朝堂↑へ、さらに広葉樹に囲まれた五重塔や、作家・有吉佐和子の碑、三十
三夜堂、病気平癒や家内繁栄を呼ぶとされる清水の浄行さま、鉄門などの周囲を一巡した。
     

        

            浄行さま
            

 国重要文化財の鉄門は、わが国近代建築家養成の恩師といわれている英国人コンドルの
設計で明治11年(1878)に完成したもの。


 日朝堂の背後は広大な墓地で、北側の道路に抜けられるかと一巡したが、塀に囲まれて
いて出られず、鉄門横に戻る。境内と墓地とで30分余りを経過して山門を出て、南西側
から塀沿いに北に向かう。

 妙法寺墓地の道路北側中心部は近代建築の本佛寺だが、ほかの寺のような説明板は無い。


 西側の妙祝寺(みようしゆうじ)は民家風の建物で、大正3年(1914)に港区元麻
布から移転してきたとのこと。

 墓地には伊予(愛媛県)西条藩主一柳家の累代の墓があるという。


 T字路を隔てた南西は修行寺(しゅぎょうじ)。大正元年(1912)に新宿区富久町
から移転してきた寺で、庫裡(くり)の前の植え込みに、きれいな花が何種か咲き競って
いた。




 寺の南から、新しい住宅街の間を西に抜けて北西に回り、西方寺(さいほうじ)に北東
側の新しい山門から入る。


 寺の開基は徳川三代将軍の弟、駿河大納言忠長といわれ、大正9年(1920)に国鉄
中央線と道路拡張のため新宿駅北側付近から移転してきたという。

 山門を入って右手にある鳥塚は、明治38年(1905)の造立で、食鳥を供養するた
めに建てたものらしい。
       

 墓地の入口には、墓地所有者全部の名前を記した墓地地図があり、ほかでは見たことの
ない詳細なものだった。


 本堂はコンクリート造り、最近改築したのか色鮮やかだ。


 西方寺を含む西北側一帯は「梅里の寺町」と呼ばれ、大正期に都心部の区画整理などを
きっかけに移転してきた寺院により形成されているという。

 南西に進んでV字状に折り返すと、民家の庭先にたわわに実る柿の実が色づいていた。
     

 北側の清徳寺(せいとくじ)は、大正2年(1913)に港区六本木から移転したとの
こと。本堂は平屋根のコンクリと造りで、境内は狭い。寺には当初、朱塗りの山門があっ
たことから「赤門寺」とも呼ばれていたらしい。


 道路の西は智光院(ちこういん)で、区画整理のため台東区西浅草から、大正元年
(1912)に移転してきたという。

 本堂は中野区の福蔵院の本堂を移築したものという。境内に樹木は少なく、閑静なたた
ずまい。本堂前に木の根のオブジェが飾られていた。
       

 道路を挟んで東側、聖徳寺の北側は慶安寺(けいあんじ)である。台東区池之端に開山
し、江戸初期の老中、阿部豊後守忠秋以降、阿部家の信仰が明治維新まで続いたと伝わり、
大正2年(1913)に当地に移転したという。


 裏手の墓地には、杉田玄白らとともに「解体新書」の翻訳にあたった江戸中期の蘭学者、
前野良澤(まえのりようたく)の墓があるという。ご住職の了解を得て墓地に入り、墓前
で手を合わせた。
       


 境内は狭いが木々が多く、小さな池や瀟洒(しょうしや)な東屋(あずまや)も設けら
れていて、東屋の近くには古い地蔵などの石像が並んでいた。
       

 北に接する心月院(しんげついん)は、区画整理に伴い台東区元浅草から大正2年
(1913)に移転したとのこと。

 白亜の本堂は独特の造り。本堂前のウメモドキの実が色づき、道路際には新しい動物供
養塔があった。
    

         

 青梅街道から分岐してきたばかりの五日市街道との三差路際には大法寺(だいほうじ)
がある。
     
 新宿区牛込榎町から明治42年(1909)に移転してきた寺で、近代的なコンクリー
ト造りの本堂は道路際に立ち、全体を撮ることはできない。

 五日市街道を南西に少しで、南側の華徳院(けとくいん)に入る。台東区浅草橋にあっ
た頃には運慶作といわれた閻魔(えんま)像が祭られ「蔵前の焔魔堂」と呼ばれ、「江戸
三閻魔」のひとつにも数えられたという。


 大正2年(1913)に区画整理のためにこの地に移転したが、大正12年の関東大震
災で閻魔像などは焼失し、現在は別の閻魔王像が安置されているようだ。道路側の墓地に
は、豊富な木々が植え込まれていた。


 梅里の寺町を巡り終え、次の信号を渡って北側の青梅街道に出て、西に少しで清見寺
(せいけんじ)へ。
     
 この寺は移転してきたのではなく、寛永前期(1624~35)に当地で開創したとの
こと。青梅街道沿いには地蔵堂がある。
         

 新しい塗色のコンクリート造り本堂は近年の改築らしい。


 明治8年(1875)から17年まで、現在の区立一小の前身、桃園小の第一番分校が
置かれ、杉並区近代教育発祥地のひとつという。墓地際には、近年造立と思われる3体の
立像が並んでいた。
     

 清見寺で今日の予定の寺巡りを終え、青梅街道を東に少し戻り、16時31分に東京メ
トロ丸ノ内線の新高円寺駅に着いた。
          

 今日巡ったほとんどの寺の門前には、杉並区教育委員会の説明板があり、移転前の詳細
な寺の歴史が記されていて、江戸時代の幕府や諸大名などとの関わりが分かり、墓地にも
ゆかりの人の墓が多いようだったが、長くなるのでそれらの説明は省いた。

(天気 快晴、距離 7㎞、地図 「杉並区史跡散歩地図」(1/2.5万地形図は東京
 西部)、歩行地 杉並区、歩数 16,700)




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