倫敦の踊子

気がつけばロンドン。場所は変わっても踊りバカはかわらない。フットワーク軽く飛び回るちょっとおかしな日常生活。

ロンドンと玉川学園そしてなぜかシカゴのはなし。

2008-06-30 03:56:23 | Weblog
ここ数日のことだけれど、昔ホームステイというか帰国時の滞在先におかりしていたお家のお隣様がロンドンへ旅行にやってきました。そうやっていうとなんだか遠い人みたいだけれど、一ヶ月もお隣さんをしていたのですっかり親しい。縁もあるので、お会いして、ロンドンをご案内していました。そもそもその方のお家のある地域は玉川学園(小田急線、町田の1つ手前)。マニアックなようですが昔働いていた仕事先もある、縁ある土地です。おいしいパン屋さんとかがあります。
さて、そのときに「あやさん(家の持ち主)はどうしているかなあ』と話していたところ、翌日に彼女からのメールがやってきて。「今スイスー、明日ロンドン経由でシカゴに帰るんだけれど、乗り継ぎ時間にあえるかなあー」なんでいるんですか!ロンドンに!偶然ですがこんなことはめったにないのでお会いしてきました。私はヒースローまでいってきました。
そういうわけで地球一周対談です。
加藤文子は数少ない私に振りつけたことのある振付家で、現在シカゴ在住。6月に夢十夜(彼女も漱石ファンの一人)で本公演を行い、好評をえたものの、シカゴだったためレビューがでなくて残念がっておりました。しかし地元のダンサーおよび音楽シーン(ちなみにシカゴはインプロミュージックが強い地域だそうで、旦那さんのジェイソンもおもしろいダブルベース演奏家です。彼のの日本語が上達していてびっくりしました)とともに成長を続ける先輩振付家です。(なお、私と違って留学経験もあり英語もばっちりです。英語がんばろう、、、)
12月日本で上演できないかとたくらむ文子さん、その前にロンドンに来て、何かやりましょう。漱石の街だし。なんていう話しになりました。ふっふっふ。世界中どこにでも踊子仲間はいるものです。

おまけ、
シカゴだけではなく、どこの国も同じ状況を抱えています。都市部(アメリカだとNY、UKだとロンドン)にダンサーが密集していて、そこだけがあつく、地方では何もおこらない(すくなくともそう思われている)。レビュアーも地方まで脚を伸ばせないし、じもてぃーはそもそもコンテンポラリーダンスをしらないし、興味を持たない。そのお金があればおいしいご飯を食べにいくだろう、、、。日本でも同じようなことがいえます。(最近は少しずつかわりつつあるのかもしれませんが、)
じゃあ、どうしたらいい?それもまた重要なポイントだと思います。

7月初めブリュッセルに行きます

2008-06-25 09:56:38 | Weblog
現在のビザがきれるため更新のために国外へ一回でなければなりません。
たいていはツアー中に更新できるのですが、今回はできないため、どこかへいかねば。
普段だとパリに行くのですが(やはり知っている人もいるし、何より私の第2の故郷、いや第3か、)、今回はセットの制作を手伝うためブリュッセルにいくことになりました。ブリュッセル、意外にもはじめてです。ラッセルさん仕事でヨーロッパのフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、(リトアニア、とかキプロスとかいうマニアックなところもある)はほぼまわりましたが、ベルギーの首都はいっていないのです。
7月から夏休みに入ってしまうため人がつかまらないのと、輸送にお金をかけれないので人海戦術(この字であっているのでしょうか)でしずかさんと二人、ユーロスターで手運びです。ちなみにロンドンでつくるのの半額くらいでブリュッセルだと作れるようです。場所の問題もありますが一番は人件費が全然違う!だから私はブリュッセルへ、、、。
ちなみにもう一人のカンパニーメンバー、シンはベルリンにいくことになりました。理由は安いから。(これは事実です。ロンドンやパリの半額です)
そういうわけでロンドンの踊子→ブリュッセルの舞台美術見習いになります。
ブリュッセルに詳しい方、また今いるよーという方ぜひご一報を。


音楽

2008-06-22 03:50:09 | Weblog
「すべては音楽から生まれる」茂木健一郎PHP新書をよみかえす。
音楽を聴くことはみえないものを考えることににている。
想像力はものをうみだす力となり、生命力になる。何もないのではなく、あらゆる可能性を有している。それを作り出すのは受取手(つまり観客)の能動的な行為でもある。
私はあまり音楽を聴かない。クラスのはじめにアップをするときにも音楽はかけない。音によって身体が動きやすくなることは知っているけれど、音によらずに自分の中にあるリズムとお話するためだ(後半はかけます、はい。)。聞くものもあまりいろんなものへ手を出さない。「これすき」をいつまでも聞いている。だから私に音楽のことを聞いてはならない。
ただ、視覚以上に人間の本能に近いところに働きかけている感覚はわかる気がする。生理的とでもいおうか。そしてそのいいという感覚は言葉で説明ができないことが多い。そういう点でとてもダンスに近い。ダンスも言葉で説明できない。(それを説明することを仕事にしている人もいるけれど。そういう人の言葉は創作する人の意図を越えていることもあって確かに助けとなってありがたい。しかし私は本当は言語化できないと思っていたりする。大学時代に運動学で論文を書くことになってしまったのはそのせいもある。)
もう少しちゃんときくようにしよう。
パリは音楽祭である。一年に一度(昔は夏至だったと思うが、多分平日にこのお祭りをすると翌日ダウンして社会復帰できない人が続出するため土曜日になったのではないかと思われる。フランスらしい、、、)夜通し、町中で演奏会が行われている。素人もプロもごちゃまぜ。コーラスからバンドネオンまで。ついでに踊りだす集団も現れる。今年はいけなかったなあと少し残念。

ダンスアンブレラ

2008-06-21 07:33:24 | Weblog
今日、ジュリエットとシン(ラッセルカンパニーダンサー)にあったら食パンを抱えていた。こちらの食パンは日本の2倍サイズ。(800g)結構かさばる。きいてみると、駅で配っていたのだそうな。東京と同じでいろんなものをサンプルで配っているけれど、食パンのサンプル(しかも本来うっているものと同じサイズ)って、、、。しかもこれからでかけるという人にそれをもたすのか。さすがイギリス。ちなみに私はヨーグルト4個パック(スーパーで売ってるやつ)をもらったことがあります。

さて、今年のダンスアンブレラの冊子ができてきました。ダンスアンブレラというのはロンドンのダンスフェスで10月から11月にかけて開かれます。今年はマースカニングハムイヤーだそうで。(というかロンドン人はなぜカニングハムが好きなんだろう。ここ数年毎年みている)マークモリスなど北米系のカンパニーが多いです。目玉はバットシェバのThreeとMamoototでしょう。でもThreeはNYでみててあんまり面白く感じられなかったので複雑な心境。グールドのゴールドベルグが使われています。
個人的おすすめはドミニクボワヴァンのショベルカーデュエット。このブログにも書きましたが、好評だったせいか今年は英国(ロンドン)内のあちこちで行なうらしいです。あともう1つ、ジュリー(元ラッセルダンサー)が自作のソロでやってきます。これは注目。今年子供が生まれてまたかわったであろう彼女のダンスがロンドンでみれます。楽しみ。

学年末発表

2008-06-20 08:16:18 | Weblog
最近お世話になっているプレイスは一応学校でもあって、ロンドンコンテンポラリーダンススクールという名称で日本でいう大学のような専門学校のような感じだと思っていい。ロンドン9月が新学期なのでこの時期は学年末。発表会が目白押しである。
昨日はポストグラデュエート(卒業はしたけれど学校に籍を残し、研究を続ける)の振り付け専攻のこたちの公演、今日は学部1、2年生の発表(スタジオにて)、明日はEdgeという一応卒業したあとダンサーを目指しているこたちのカンパニーの公演です。(Edgeはオーディションがあり誰もが入れるわけでもない。だからカンパニーともいえるし、しかしまだ学生という側面もある不思議な存在)
今日までみた中では正直に言うと決してレベルは高くないと思う。1年生のパフォーマンスをみると、もしかしたら私が教えていた高校生の子たちの授業の発表の方が面白いんじゃないかと思ってしまう作品もある。しかし、年次をおって成長していく過程は明らかにみられ、それはとても興味深い。1年生はなんだかてれてるんだか、動けないんだかわからないけれど、なんとももじもじしている。とりあえずカノンです、ユニゾンやってみました、振り付けは同じですが音楽を変えてみましたというようなおそらく教師にだされたお題にのっかって制作しているものと思われる作品が続く。2年生になると(音楽とダンスというテーマ。課題曲から選曲。デュオ×24作品)とりあえずこっち方向にすすんでみようかというダイレクションをもった作品がみられはじめる。で、いくつかは「意図的に」作られる。そう、いくつか。眼を引くものは10%といったところか。スタジオ発表で照明も限られている(というかお茶大ダンス室を思い出していただきたい)けれども。
私が学生だったときはどうだったんだろう?
私が学生の時、そういえば暗闇で踊る作品を作るといって実際踊って驚かれたことを思い出す。(本当は窓からの明かりで逆光になるはずだったのに、誰かにカーテンを完全に閉ざされてしまっていて真っ暗になってしまったという話しもある)卒業公演では実現できなくて、しかしそれから10年が経過して、また暗闇でうごめくものをやろうとしている。タイプにもよるけれど、一回みたら一直線型の私の作品プランはもうその頃にはできていたらしい。よくもわるくも。