さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

三田村正彦『無韻を生きる』

2017年07月16日 | 現代短歌
 サラリーマンの日々の自己激励の歌、何か書いてみようかと思いながら日を経てしまった。

 夏の日のモータープール沈黙が似合ふあなたの背景である  三田村正彦

この歌の「あなた」は自分自身でもいいし、一緒に出掛けようとしている営業マンの職場の同僚、または配偶者。いずれにもとれ、いずれの場合でもハードボイルドなドラマが感じられる。そこがおもしろい。

自らの力に暮れてゆく空よ肉屋に残るコロッケひとつ

パソコンと指が言ふには「仕事には君は不要だ我々がする」

二首目、作者の自意識まで読み取るべきなのだが、この歌は独り歩きするかもしれないと思って引いてみた。昨今のAI技術の進展事情、楽観ばかりもしていられない。その昔エルンスト・トラーがとりあげた二十世紀初頭のラッダイトの機械破壊運動の現代版は、ハリウッド映画みたいな展開になるかもしれないが。

横たはる黒き鞄に中指を入れて吊り上ぐ 朝の目覚めに

マスクからきッとはみ出す眼と眉毛それが僕だとまづは言ひ切る

仕事の歌は、このほかに何がある、という説得力を持つ。日常、無韻。狭く限られた世界のなかで必死で生きている。生活者というのは、そういうものだ。詩人、歌人とか言ったって、仕方がない。誰が認めてくれるわけでもない。

虫の音のかすかな雨の音に消ゆ 無言に生きる 無韻を生きる

こういう覚悟というものは、誰しもあるはずだ。結局は、ここなんだ、と私も思う。この人は会社では人事にかかわるポストにいるらしい。そうすると、やっぱり「無韻」というのは願望にすぎないのだ。諦念にも似た気分が漂う仕事の歌が次々と作られるゆえんである。

否はまた人事考課に響くだらう 去年の案が良いとは言えず

 ※「否」に「いな」と振り仮名。

この歌は自分の事。評価し、評価される。きびしい世界だ。


残業は一人遊びかパソコンの脱力感が冴えてせまり来

自動販売機はものを言はないロボットと言へず 深夜のつり銭の音

※「自動販売機」に「じはんき」と振り仮名。

機械を相手にしている歌を二首並べてみた。こういう歌を見ていると、作者に気持ちがすっと寄っていくのを感じる。短歌が芸術か芸能か、そんな事はどうでもいいが、短歌が一生活者を生かしむるに足るものだということは、依然として真実である。これが三冊目の歌集だという。

ワイパーに潰れた雨が水となる大衆といふものになりたる

テレビから多数派の声ただ聞こゆ聞く側も又多数派である

ワイパーにつぶされる水滴のような存在として、私もあなたもあるということだ。自分だって「大衆」の一人なのだ。そういう自己認識の向こうに、ビル群や、青空や、雑木林が見える。そういう風景を含めて詠んで行こうとする意志を感じた。つまりは、それが短歌にかかわるということなのだ。











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