さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 102-107

2017年04月09日 | 桂園一枝講義口訳
102 
ほととぎすたゞ一こゑのなごりゆゑ明がたまでの月を見しかな
一五二 郭公たゞ一聲の名残ゆゑ明がたまでの月を見しかな 文化四年 二句目ヒトコヱナキシ

□「たゞ一こゑのなごりゆゑ」に「明がたまで」も「月を見し」となり。名残にひつぱられたとなり。そのものゝあとに面影の残る也。もとは波の余波なり。「なごろ」ともいふなり。海の波の名なり。大風が吹いた明日も明後日もやはり、といといとよせるなり。ねから常にまたもどらぬなり。波のこりといふことなり。あれたる面影が残りてある也。「月を見しかな」、後悔したるうたなり。「やすらはでねなましものを小夜ふけてかたぶくまでの月をみしかな」。見合せずしてねるであつたものを、更るまでも月を見たことかな。

○「ただ一声の名残ゆえ」に「明がたまで」も「月を見し」というのである。名残に引っ張られたというのである。そのもののあとに面影が残るのだ。もとは波の余波のことである。「なごろ」とも言う。海の波の名である。大風が吹いた明日も明後日も、やはり「といといと(十年一日)」寄せるのである。「ね」から常にまた戻らないのだ。波残りということである。荒れた面影が残ってあるのだ。「月を見しかな」は、後悔した歌だ。「やすらはでねなましものを小夜ふけてかたぶくまでの月をみしかな」。見逢うことなくしてそのまま寝るものであったのに、夜が更けるまでも月を見ていたことだなあ(という気持ちだ)。

※「といとい」二字にわたる繰返し記号。「出雲弁の泉」のホームページによると、以下の通りで、ここでの意味にかなっている。〈【いちぼつといとい】共通語。にたりよったり、どこも同じ、十年一日のごとく。用例。今年も、また、いちぼつといとい百姓せなえけんの。用例訳。今年も、また、十年一日のごとく百姓(仕事)をしなければいけないね。採取者。金本[東出雲]/【いちおちといとい】金沢[松江]/【えちぼつとーとー】KEN[八雲](記録者:金沢)〉 これは、方言に古語が残存している例と思うが、数年前に奥村和美氏に「万葉集」に「とい(ゐ)波」という語があることをご教示いただいた。「とゐ波」(「日本国語大辞典」の項目にあり)。 ※「おきみれば とゐなみたち」「万葉集」二二〇。 11.26追加

※「ねから常にまたもどらぬなり」、「ね」は根か。音(ね)の線もあるか。

103 雨後郭公
夕ぐれの雨のはれまをあしひきの山ほととぎすなきてすぐ也
一五三 夕ぐれの雨のはれまを足曳の山ほとゝぎす鳴てすぐなる 文化三年

□数よみしたる当座の中の也。晴間とつかへば又ふるやうなれども、このところは実景なり。晴間といふことは実は知れぬこと也。二度目のふり出す時は、「ま」といふこともあるべき也。晴れたまゝまに、もはや「ま」にはならずして、晴るゝも知れぬなり。されば晴れぎはといふほどの所なり。それゆゑ間といふが晴れたる所にもなるなり。

○定数歌を詠んだ時の当座題の中の一首である。「晴間」と使うと又降るようだけれども、このところは実景である。晴れ間ということは、実はわからないことである。二度目の降り出す時は、「間」ということもあってよいだろう。晴れたままに、もはや「間」にはならないで、(そのまま)晴れるかも知れないのである。だから「晴れぎわ」というほどの所である。それだから「間」というのが、晴れた所にもなるのである。

※なにげない歌だが、好吟。参考までに、「名残まで暫し聞けとや郭公松の嵐に鳴きて過ぐなり」「秋篠月清集」。

104 郭公一聲
ほとゝぎすおいのねぶりの嬉しきはたゝ(ゞ)一こゑにさむるなりけり
一五四 時鳥老のねぶりのうれしきは只一聲に覚るなりけり

□老は、ねざめをかこつものなり。それがうれしきは、郭公故じや、と也。

○老人は、寝覚め(の時間の無聊さ)を苦にするものである。それがうれしいのは、(聞こえてきた)ほととぎすのせいじゃ、というのである。

105 
五月をやまちかね山のほとと(ママ)ぎすこよひ一こゑなきて出づなり
一五五 五月をやまちかね山のほとゝぎすこよひ一聲鳴ていづなり 文化十年 五句目 鳴きてスク(グ)なり

□まちかね山、真に杜鵑のなきそうなる所也。行きてみるべし。
五月、聲大きに多くなる。故人より杜鵑のおのが五月と定めたるなり。また卯月の中じやに、さ月を待ちかねるそうじやとなり。古歌にも「忍びねを待兼山」、「子規まちかね山」とはつかへり。「郭公が待兼山」とつかふは、景樹始めて言ひ出せり。「今宵」といひ、「一こゑ」といひ、「出づ」といひ、皆まちかねた工合なり。「こよひ一こゑなきてけるかな」でもすむなれども、それでは詮なきなり。五月になりて鳴くことにも會読したり。かやうに聞ゆるもなきことにはあらぬなり。「さ月まつ花橘」の類なり。衆人のきくにまかせてよきなり。第一義、第二義、第三義とあるは、やはり同一義なり。二義は少し落るでもなきなり。卯月の中にといふは第一義なり。五月といふは第二義なり。畢竟は同じ意なり。

○「まちかね山」は、本当に杜鵑の鳴きそうな所である。行ってみるとよいだろう。
五月、聲大きに多くなる 故人より杜鵑のおのか五月と定めたのである。まだ卯月の中じゃのに、五月を待ちかねるそうじゃというのである。古歌にも「忍びねを待兼山」「子規まちかね山」とは使っている。「郭公が待兼山」と使うのは、景樹が始めて言い出した。「今宵」といい、「一声」と言い、「出づ」と言い、皆待ちかねた工合である。「こよひ一こゑなきてけるかな」でもすむのであるが、それでは詮のないことである。五月になって鳴くというようにも読み解いている。そんなように聞くこともないではないのである。「五月まつ花橘」の類である。衆人の聴くにまかせてよいのである。第一義、第二義、第三義とあるなかでは、やはり同一義である。二義は少し落ちないでもない。卯月のうちに、というのは第一義である。五月というのは第二義である。(まあ)畢竟するに同じ意味のことである。

106 杜鵑遍
あしひきの山ほととぎす山にのみなきしこゝろやみだれそめけん
一五六 あし引の山ほととぎす山にのみ鳴し心や乱れそめけむ 文化四年

□行きわたりて、どこの里にもなかぬはなきなり。「処々数声馴」などはわけが違ふなり。 遍はゆきわたるなり。「山ほととぎす」、山の子規、山なるものゝほととゝぎす也。「万葉」に山ほととぎすとあるは、六首よりなきなり。「古今」「わかやどの池のふぢなみ咲きにけり山ほととぎすいつかきなかん」。山がやくにたつなり。「八代集」の山郭公、大方山が役にたつと「正義」にかきおきたり。それを某の問に「古今」の最末の一首の山はいかゝ(ゞ)といへり。これは無理なる問なり。山がやくにはたゝねども、しらべをさへぬなり。「源氏」に山藏(※「籠」の誤植か)し給ひて、うきことあれば山にさけるなり。
子規は山にゐてうき世に出て人に知られてはならぬといふて山にのみ鳴きしが、その心が性根がぬけて、みだれむちやむちやになりたるなり。うきことは恋に最も多きなり。「古今」に「いでわれを人なとがめそ」、「大船のゆたのたゆたに物思ふころぞ」、しのぶべきこひを「いで」と名のり出でゝみだれる景色なり。此方はこひにこまりて居るのじや。色々と思案中じやが、其がおまへがたのさはりになるやうなことはあるまいがぞや。と云ふ意なり。みだるゝは忍びのもれるなり。

○(子規が)行きわたって、どこの里にも鳴かない場所はないのだ。「処々数声馴」など(と)は訳が違うのである。「遍」はゆきわたるのだ。「山ほととぎす」は「山の子規」、山にいるほととぎすである。「万葉」に山ほととぎすとあるのは、六首を超えない。「古今」に「わかやどの池のふぢなみ咲きにけり山ほととぎすいつかきなかん」(というのがあるが、ここでは)山が役に立つのである。八代集の「山郭公」は、大方山が役に立つと「正義」にかいておいた。それをある人の問いに「古今」の最末の一首の山(の場合)はどうか、と言った。これは無理な問いだ。「山」は役には立たないけれども調べをさまたげないのである。「源氏物語」に(貴人が)山籠なさって(いる場面があるが)、憂き事があれば山に避けるのである。
子規は(もともと)山に居て憂き世に出て、人に知られてはならないと言って山にだけ鳴いていたのだが、その心が、性根が抜けて乱れてむちゃくちゃになったのである。憂きことは、恋の場合に最も多いものだ。「古今」に「いでわれを人なとがめそ大船のゆたのたゆたに物思ふ頃ぞ」。(これは)忍ぶべき恋を「いで」と名のり出て乱れる景色だ。こっちは恋に困って居るのじゃ。色々と思案中じゃが、それがお前さん方の障りになるようなことはあるまいが、という意味である。乱れるのは、忍んだ思いが洩れるのだ。

※「処々数声馴」は、「詩経」の詩句を念頭に言ったか。

※「源氏に山藏し給ひて」は、意味不明なので「山籠し給ひて」の誤植と解釈した。

※「古今の最末の一首」がどの歌をさすのかわかりにくいが、景樹がここで引いているのが、夏歌の部で杜鵑が出てくる最末の歌なので、それをさすものととった。「山ほととぎす」と「山」を付加することの効果を言っている。

107 野郭公
ほとときす鳴音ほのかにきこゆなり遠さと小野の松のむらたち
一五七 ほとゝぎなくねほのかに聞(きこ)ゆなり遠里(とほざと)をのゝ松の村立(むらだち)  文政八年

□少し手ばなしたる歌なり。実景也。住吉に度々逗留したり。雨天などは別してさかんになきたり。御領野のあたり。
遠里小野の松の村立のあたりといふことなり。「のあたり」がなくても、そのことと聞えたればよきなり。
遠里小野、今は「おりをの野」といふなり。昔を見るに足る所なり。

○少し手放した歌だ。実景である。住吉に度々逗留した。雨天などはことに盛んに(ほととぎすが)鳴いた。御領野のあたりだ。
「遠里小野の松の村立、の辺り」ということである。「の辺り」がなくても、そのことだとわかれば良いのである。
遠里小野は、今は「おりおの野」と言っている。昔の様子を見ることができる場所である。

※遠里小野(堺市遠里小野町)

※横浜市では青葉区の万願寺の裏手に梅雨のはじめにやって来る。保土ヶ谷区の今井町のあたりでも聞ける。田園都市線の青葉台の駅からちょっと離れたあたりでも聞ける。道路の多さや造成の進み具合とはあまり関係がなくて、鳥が昔から使っている通り道や、ポイントになる緑地の内容と関係があるようだ。あとは概して公立の公園は木の消毒がきつくて、自然保護の思想が感じられない。ほととぎすも好んで利用しないようである。




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