さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

松村正直『樺太を訪れた歌人たち』

2017年08月24日 | 短歌 歴史
 手にしてちょっとめくってみてから、いつ読もうかと思って置いてあったのだが、やっと読む時間がとれた。まじめに書かれたいい本だなあ、というのが一番の感想だ。特に、連載時の文章のあとに各章ごとに置かれた「追記」という短文が奥行きをもたらしていて、評論集としてあるけれども、自由で随筆的な雰囲気を呼び込んでいるところがとても気に入った。歴史を語る時に一つの座標軸となるような場所でありながら、ほとんど振り返るべき<歴史>として思い出されることがあまりなかった「戦前・戦中」の<樺太>は、<満州>と同様に、記憶と遺物と残された印刷物によって再現されるほかないものなのである。それは、きわめて現実的でありながら、でも現実の外側に外れていきたいという、一種の隠遁志向のような情動を常に胸の底にあたためているとおぼしい著者にぴったりの対象だったのではないかと思われる。

 今回私は終章の「サハリン紀行」から読み始めた。そのあとで第一章から丁寧に読むことにしたのである。そこで先にのべたように「追記」の文章のおもしろさに感心した。たとえば、

「奥鉢山の松村英一の歌碑について、本文では「こうして歌碑の場所は無事に決まった。しかし、はたしてこの歌碑は実際に建てられたのかどうか。時代はこの時期、大きな曲り角に差し掛かっていた」と記した。実際に建てられたのかどうか確認できなかったのである。しかし、その後、新たな資料が見つかり、この歌碑が建てられていたことがわかった。」

 こういうところが、いいと思う。しかし、本書の読みどころは、短歌を読みながら、「北見志保子とオタスの杜」の節でシベリアに連行されて非業の最後を遂げたにちがいない少数民族の人たちに言及するところや、それからガイドとして案内してくれた文さんの父親が、何と日本人が帰国したのちも現地に置き去りにされたサハリン残留韓国・朝鮮人の娘であったという話など、歴史の傷口に期せずして触れてしまうところにあるのだ。それをおおげさにならず、淡々と記述する著者の落ち着いた文章のおもしろさが、今回はよくわかった気がする。

今後も「追記」は書いていってほしいし、著者には同様の場所を手掛かりとした本をこれからも手がけてもらえたらいいと思う。鉄道旅行、山めぐり、温泉めぐり、まだまだ松村さん向きの仕事はありそうな気がするが、台湾などいかがですか、とひとつ提案しておきたい。
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