さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

佐々木喜代子『遠きクローカス』

2017年05月06日 | 現代短歌 文学 文化
二〇一六年八月刊の歌集。これも積み上げた本の中から掘り出して、読んでいるうちにあっという間に読了した。深刻な内容だが、闊達でにぎやかな印象を受ける歌群である。いわき市在住の作者は、原発事故の直接の被害者の一人でもあるし、福島の知人の消息を身近に見聞きする立場にある。けれども、歌集を貫く気分のようなものは好日的で明るい。そこが本書の良い点となっている。

めづらしく嵩ある雪の積みし朝放射線量なべて下がりぬ  佐々木喜代子

過去形で言ひたきものをふくしまはなほも現在進行形にて

 これは巻末に近い震災四年後の頃の歌である。私はまずここからひろげて読みはじめ、最初に戻って読むことにしたのである。

屋内退避告げゆく声の走りまはりうはずりてゆく現となりぬ

ガラス戸をいち枚へだてたちまちに黄のクローカス界を異にす

 これは、原発事故の発生直後の歌。防災無線の声がとどろき、行政や消防の緊急アナウンスの音が街に響き渡ったのだろう。切迫した空気が伝わってくる。

喪失のひろがりを背に観光の集合写真のシャッターは鳴る

ガラス戸に夕餉の卓の映りをり さうだつたねと思はするごと

「放射能は正しく怖れよう」といふ 我ら歯ぎしりをして「正しく」

ああここにも被災住宅建つならむ記憶ひらたく均らされてゆく

いまはしきもの降りし地ににじみ出るリベツ、ブンダン、サベツ、被サベツ

山背風事故の地撫でてくるからに朝に開けしひむがしを閉づ

 これらの歌は、事故のあと、多少落ち着いてからの歌。当事者の立場に立って詠まれた作品は、するどい批評性を持って、被災の現実に問いを突き付ける。「いまはしきもの」とは、むろん放射能のこと。
 また、この歌集には戦時中の記憶を詠んだ歌もある。

名にし負ふ勿来の関をわたる風風船爆弾飛ばしし日あり

敗戦となれば勿来の風船基地湮滅の音はげしかりきと

 それにしても、ふくしまの喪失感は深いものがある。もう三首引く。

棄てられてゆくばかりなる町ありてまづ手はじめの草の丈かな

放射能のことはもういい ふくしまに疲れてしまつたお母さんたち

残されし我の時間にふくしまの劫初の空は戻りては来ず



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