さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

香川景樹「桂園一枝講義」口訳 26~32

2017年01月12日 | 桂園一枝講義口訳
26  
伊勢の海のちひろたくなは永き日もくれてぞかへるあまのつり舟
七六 伊勢の海の千尋(ちひろ)たぐなはながき日も暮てぞかへる蜑(あま)の釣舟
□「たく縄」、たくの木の皮でしたる縄なり。濡れると切れぬものなり。たぐる縄とするはあし。「たく」、「古事記」にあり。「いせの海」いふにもきれいなり。「長き日」の序詞なり。「永き日もくれてぞかへる」といふが此歌の旨なり。海人のしわざのひまなき事をいふなり。此の永き日に暮て帰るとなり。もと此歌は、「伊勢の海」といふ題にてよみしなれども「題知らず」に入れたり。
○たく縄は、たく(楮)の木の皮でした縄だ。濡れると切れないものだ。たぐる縄と解するのは良くない。「たく」は「古事記」にある。「いせの海」は言うにもきれいである。長き日の序詞だ。「永き日もくれてぞかへる」と言うところがこの歌の趣旨である。海人(あま)の仕業の忙しい事を言うのである。この永き日に暮れ(まで働い)て帰るというのである。もともとこの歌は「伊勢の海」という題で詠んだものであるけれども、「題知らず」に入れた。

27 帰雁
はるはるとかすめる空をうちむれてきのふもけふもかへる雁金
◇はるばると霞める空をうちむれてきのふもけふも帰るかり金(がね) 文化四年
□此通也。調をゆたかにして春景ののどやかなるをいふなり。昨日もかりのこゑがした、けふも行くわい、と也。一むれ々々追々とかへるとなり。「昨日もけふもかへる雁かね」古歌にありしと見ゆれども此方がよきなり。
○この通りである。調べをゆたかにして春景ののどやかなようすを言うのだ。昨日も雁の声がした。今日も行くわいというのである。一群れ一群れあとを追って帰るというのである。「昨日も今日もかへる雁がね」古歌にあったと見えるけれども、こっちの方がよい歌である。
※「昨日もかりのこゑかした けふも行くわい」などは、口語の「た」の国語資料として好例だろう。
※※一、二句めで春の空をすんなりとさわやかに言いなしておいて、下句はいかにも実景を彷彿とさせるところが魅力的。「昨日もけふも」は古歌では山辺赤人など。結句に「かへるかりがね」と据える歌はそれこそ何百首とあってこの歌はその中に埋没しているとも言えるのだが、実景の味を持つところが「此方かよきなり」という作者の自信あふれる言葉となっているのだろう。

28  
花をこそ待わたりつれ雁かねのかへる空にもなりにけるかな
七八 花を社(こそ)まちわたりつれかりがねのかへる空にもなりにけるかな
□花のさくをのみこそ待渡りて居るのに、待つ花はまだ咲ずして帰雁のころにもなりにけるかな、と也。時節打合ひたるなり。雁の別の事には待つ心もなかりしに、此別のおもしろからぬ事は待たざりし、となり。「花をこそまちわたりつれ」といへば花一つをぬき出だしていふなり。「花をぞまちわたりける」といへば一つを抜くには抜くなれども、さしやうの工合がちがふなり。たとへば人が列座してゐる中にて誰が何を知つて居るといふにぞ、といへばそのまゝに置きて指すなり。「こそ」といへば一つ其物を引抜きてきびしく指すなり。
○花が咲くことだけをずっと待って居たのに、待つ花はまだ咲かないでいて帰雁の季節にもなってしまったことだなあというのである。時節が打ち合っているのである。雁の別れの事には待つ心もなかったのに、この別れのおもしろくない事は待っていなかったよ、というのである。「花をこそまちわたりつれ」と言えば、花一つだけをぬき出して言うのである。「花をぞまちわたりける」と言えば(花)一つを抜くには抜くのだけれども、指しようの工合が違うのである。たとえば人が列座している中で誰が何(者かということ)を知って居ると言う時に、「ぞ」といえば(他の者は)そのままにして置いて指すのである。「こそ」と言えば一つそのものを引き抜いてきびしく指すのだ。
□「成にけるかな」、「思ひけるかな」、俗に「かへるてにをは」といふ也。六七分は返るなれども、それに限ることではなきなり。
此歌は「成りにけるかな」というても返りはせぬなり。又「君が代に逢阪(ママ)山の石清水木がくれたりと思ひけるかな」。「木がくれはせぬものを」と返るなり。然るに返るは〈変〉なり。返らぬは〈常〉なり。「君が為惜からざりし命さへ」、これなどは返らぬなり。
○「成にけるかな」「思ひけるかな」、(これは)俗に「返るてにをは」と言うものだ。六、七分は返るものであるけれども、それに限ったことではない。
この歌は「成りにけるかな」と言っても返りはしないのである。又(ついでに言うと)「君が代に逢阪(ママ)山の石清水木かくれたりと思ひけるかな」(という歌の)「木がくれはせぬものを」と返るのである。けれども、返るのは(どちらかと言うと)変(則的なもの)だ。返らないのは常のことだ。「君が為惜からざりし命さへ」この歌などは返らないのである。
※「君が代にあふさかやまのいはし水木がくれたりと思ひけるかな」は、「古今集」「古今和歌六帖」(山)所収歌。ここで「返る」と言うのは、反語的なとらえ返しのことである。「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」は、むろん「後拾遺集」「百人一首」の藤原義孝の有名な一首。

29
草まくら旅をつねなるかりすらもかへる空にはねをそなきける
七九 草枕たびを常なるかりすらも帰る空には音をぞ啼(なき)ける
□「草枕」旅の枕詞なり。大体枕詞は知れぬが多き也。「足曳の」「たらちねの」「久かたの」など子細ありて知れぬなり。今は「草枕」といふ事はしられであるやうなる故に枕でなきやうなり。それ故に木枕、岩枕、波枕などと一緒に思ふなり。されども其方の類に入るゝは第二義也。元来は「草枕」は旅の枕詞也。此「雁がね」が草枕をすることはなきなり。旅といはんが為也。旅といふことは一夜でもよそへ行きたらば旅なり。たびといふ事は「たびと(三字傍線)」と云ことなり。「たびとあはれ」とあり。「たび(二字傍線)」とは田に居る人なり。それが始め也。昔は田に別に出て行きて百姓が作りをしたる也。今の世では田家とて別に百姓家が出来てある也。前方は、其近辺に田主はあらぬ也。それ故に田を守ることも古は多かりしなり。田のわさになると出てゐねばならぬ也。それ故に本家とは間がある故に田中に別に家を立てゝゐねばならぬ也。それ故に「秋の田のかりほの庵の」などいふ也。田居と云事もある也。今では田居とはいはれぬ程になりたり。「田居」とは田に行きて逗留して居る間也。「田住居」と云事なり。「しづくの田居」といふやうに「しづくの田」の事をいふやうになりたるなり。今も三保田居と名残れり。これよりしてよそにとまる人を「田人」といふ也。それを又略して「たび」といふなり。
○草枕は旅の枕詞だ。大体枕詞は、(背景を)知ることができないものが多い。「足曳の」「たらちねの」「久かたの」など(もとは)子細があって(今は)知られないのである。今は「草枕」という事は(一般に)知られているようであるから、(まるで)枕詞ではないかのようだ。それだから「木枕」「岩枕」「波枕」などと一緒に思ふのだ。けれども其の方の分類に入れるのは、第二義のことである。元来は「草枕」は旅の枕詞である。この雁がねが草枕をすることはないのである。旅と言おうがためになのだ。旅ということは一夜でもよそへ行ったら旅なのだ。「たび」という事は、「たびと」と言うことである。(古歌に)「たびとあはれ」とある。「たび」とは、田に居る人のことだ。それが始めだ。昔は田に別に出て行って、百姓が作りをしたものである。今の世では「田家」といって、別に百姓家が出来てある。先の世にはその近辺に田主は(住んで)いなかったのである。だから(特別に)田を守ることも昔は多かった。田が早稲(わさ・早く熟した状態)になると出ていなければならないのだ。だから本家とは間があるために田中に別に家を立てていなければならないのだ。それで「秋の田のかりほの庵の」などと言った。「田居」と言う事もある。今では田居とは言わない程になってしまった。田居とは、田に行って逗留して居る間のことだ。「田住居という事である。「しづくの田居」というように「しつくの田」の事をいうようになったのである。今も三保田居という名が残っている。これを由来として、よそにとまる人のことを「田人」といったのだ。それを又略して「たび」といったのだ。
□帰るとなれば悲しき物と見えるとなり。別を悲むの意なり。
「すら」は、引つく事なり。その丈一ぱいと云事なり。雁すら一ぱい、雁だけと也。「道すらに時雨に逢ひぬ」、道中向へ行く間一ぱいに時雨ふる也。「催馬楽」「此殿の蔵がき春日すら行けとつきせすたに」とは大ちがひなり。「あふやうな」は、ふと合ふやうなる也。箱を枕にするやうなもの也。枕になりても枕ではなきなり。「妹とせは木すら鳥すらあるとふを」木は木だ(ママ)け、鳥は鳥だけの夫婦のある事なり。
○帰るとなれば悲しい物に見えるというのである。別れを悲しむの意である。
「すら」は、引きつける事である。その丈一ぱいという事だ。雁すら一ぱい、雁だけというのだ。(紀貫之の)「道すらに時雨に逢ひぬ」(これは)道中、向こうへ行く間一ぱいに時雨が降るのである。催馬楽(の)「此殿の蔵がき春日すら行けとつきせすたに」とは、大ちがいである。「あふやうな」は、ふと合うような様子である。箱を枕にするやうなものだ。枕になっても枕ではないのだ。「妹と夫は木すら鳥すらあるとふを」木は木だ(ママ)け、鳥は鳥だけの夫婦のある事である。
※「前方」は、さきつかた、と読むか。
※貫之集「みちすらに時雨にあひぬいとどしくほしあへぬ袖のぬれにけるかな」
催馬楽此殿之西「この殿の 西の 西の倉垣 春日すら あわれ 春日すら はれ 春日すら 行けど 行けども尽きず 西の倉垣や 西の倉垣」。こちらの「すら」は、「さえ」と訳す。ほんの数行のコメントだが、この節には万葉集の歌についてのすぐれた知見が含まれている。現代の高取正男の論考に匹敵するような米作についての民俗学的な考究の深さに驚かされる。
※「あふやうな」以下、門人の質問に答えているうちに脱線した談話の筆記だろう。
※※三句目の響き方、四句目の上句の受け方などは、昭和十年代に景樹も含めた近世和歌を研究した茂吉が学んで、戦後の『白桃』の頃の歌に生かしたのではないかと思われる。などと言っても、誰も信じないだろうが…。

30 深夜帰雁
春の夜のおほろ月夜にねさめしてたへすや雁のおもひ立つらん
八〇 春の夜の朧月夜(おぼろづくよ)にねざめしてたへずや雁の思ひたつらん 文化二年
□「ねざめ」といへば、一ね入したる後故に、深夜になるなり。「ねざめ」には物思ふもの也。物にまぎれぬなり。よしあしともに思出るなり。翌日よりはと思ふやうな事も「ねざめ」にある也。
「たへずや」、こたへられぬさうな。立つて帰るとなり。故郷恋しきなり。
○寝覚めと言えば一寝入りした後だから、深夜になるのだ。寝覚めには、物を思うものである。雑事にまぎらわすことがない。善いことも悪いことも思い出す。翌日よりは、と思うような事も寝覚めにはあるのである。
「たへずや」は、堪えられないような(思いがして)、発って帰るというのである。故郷が恋しいのだ。
※これも類歌の海に埋没しそうな歌だが。

31 帰雁少
花によりたまたまのこる雁かねも今はとこそはおもひ立つらめ
八一 花によりたまたま残るかりがねも今はとこそはおもひ立(たつ)らめ 享和元年 初句「花ユヱニ」
□見るのに一、二羽残るやつなり。花によつて残つたのであらうに、花も散りたる故にたつそうな、と也。
○見るのに一、二羽残るやつだ。花のために残ったのであろうに、花も散ったために(渡りに)発つそうな、というのである。

32 旅にありける年の春雁のこゑを聞きてよめる
なきかはし帰るをきけば雁金のかずにつらなるこゝちこそすれ
八二 なきかはしかへるをきけば雁がねの数につらなる心地社(ここちこそ)すれ
□津の国にゐたる時であつたかとおぼゆ。
雁が鳴かはして帰るが、我もそれが羨しさにその連中にはいる心持なり。
「かりがね」、雁の音なり。「たづがね」鴨かねと同様なり。然るに雁はいつでも鳴きて通る故に「雁がねがする」「雁がね聞ゆ」といひなれたり。それよりして雁といふ事を雁がねといふ程になりたる也。これ調の転じ来たる也。理に拘はる事でなき也。二千年前よりして雁を「雁がね」といふなり。故に「雁がねの声」といふなり。
歌はことわるものにあらず、調ぶるもの也。博ちうちの類、雁がねの声と同様なり。
○津の国に居た時であったかと思い出される。
雁が鳴きかわして帰るのだが、自分もそれが羨ましくてその仲間に一緒に入るという気分なのだ。
「かりがね」は「雁の音」である。「たづがね」「鴨がね」と同様だ。そうであるが雁はいつでも鳴いて通るので「雁がねがする」「雁がねが聞こえる」と言い慣れたのである。そういうことから「雁」という事を「雁がね」と言う程になったのである。これは調べが転じて来たのだ。理に拘わる事ではないのだ。二千年前から「雁」を「雁がね」と言うのである。だから「雁がねの声」というのだ。
歌はことわるもの(理屈をこねるようなもの)ではない。調ぶるものである。(まあ)博打打ちの党類も雁がねの声(で呼び合う気分)も似たようなものだよ。
※平易な古今調の歌だが、吟じてみるとやすらかな哀調があって心地よい。よく見ると「雁金の数に列なる」というのが、何気ない装いをしながら一歩踏み込んだ表現なのだ。景樹はそこのところがうまい。凡庸な弟子たちは、そういう微妙なところをわからなかっただろうという子規の皮肉は当たっているだろう。一見学びやすそうでいて、真似できない、それが景樹の平易な歌風であった。さて、自解の末尾の唐突な一句、にわかには解しかねるが、右のように訳してみた。ところどころでぽろっとくだけた遊び人風の口調をもらすところが、景樹の座談の魅力だったのではないだろうか。