ロシアインターネット投稿で消される元サハリン州知事無念の死

消される訳は?
ロシア側が事実を知っているから

No.35 北方四島返還と元サハリン州知事ファルフトジノフ氏

2017-02-04 15:58:23 | 国際情勢
対立の歴史
前回アップした日本政府事務方トップの名刺のように、第三者でも確認できるような話です。



まず一つ目は、外務省ロシア課さんとの電話での会話を私が録音したことに関連する話等です。
ブログNo.30で出した月刊誌“財界さっぽろ” (東京の書店でも販売されています)鈴木編集局長とのやり取りを備忘録として録音していたのですが、その録音テープは鈴木編集局長が持っています。電話011-521-5151




北方四島(クリル)の事や、サハリン知事との会話であった重要な情報に照らして、日本が取ろうとしている施策が間違っている旨を知らせるため、外務省ロシア課宛に数回にわたりFAXしました。
北方四島返還が、今のような間違ったレールを走る前から所轄官庁には連絡していたのです。

私達のことを外務省ロシア課さんは誤解していたのかもしれません。
そのため、「私たちは敵ではなく、日本人です」ということも何度もお知らせしていました。
ただ、元サハリン日本総領事渡辺さんは今もご健在のはずですから、出てきて私達の事実を話せると思います。




しかし、その誤解は無理のないことでもあったとも認識しています。
なぜならば、一人の日本人、それも民間人が、北方四島(クリル)を抱えるサハリン州政府の中枢にいたことなど信じがたいことでしょうから。

北方四島問題に関して、私の方が日本総領事館より情報取得が早いのは、サハリン政府の中にいた私達には当然のことではあったのですが、やはり信じてもらいにくい私達の立ち位置であることに変わりがないのと、「一介の民間人の方が日本政府関係者より正しく早い情報を得ていたこと」それ自体が面白くない(面子とかプライド?)側面もあったでしょう。


ただ、重要な情報が現場で握りつぶされ、日本政府の本丸にまで届けられなかった結果、今のような時間が無駄に消費されるだけの体たらく政策に堕してしまったと思っています。

仮に、在サハリン日本総領事館のトップ人材(総領事)に、日本国内で総領事に強く推薦した人間がいるとしたら、サハリン州での工事など利権を自分達のやりやすいようにできます。
利益と名声の一石二鳥となるわけです、その御仁は。
その御仁にとっては、私達は間違いなく「邪魔な存在」になります。




先般、ある新聞社の記者さんからある話を教えてもらいました。
我々は、一番初めの大人数の記者会見の方法で大失敗しました。
当社メンバー以外の人に代理会見をお願いした事です。(この代理人は、父親が元警察の偉い人のようです)
以前のブログでご案内したように、超満員のマスメディアの席で、一声目から記者の人との大喧嘩を始めることとなり、私はビックリしました。

僭越ではありますが、当方関係者の名誉のために言っておきます。
当方メンバーは、日本の大手銀行役員、弁護士、税理士が多く、みんな紳士でエリートです。
そんなメンバーの中で一番若い私が動きやすいことと、ロシア大幹部と同じスポーツ選手の仲間という事で私は行動していました。

もう一つ驚いた事があったのは、私が信じて情報を共有していた当方のメンバー内の、会社経営者達が、この組織(私たちの組織)の表向きの代表はヒロシだけれど、本当は自分が裏の代表と思われるような、会話と行動を取っていました。後で皆さんから聞いて、まだまだ現地サハリンでも一部商売をやっている日本人、真逆の事を言っていますが、いずれ自分達が私に書いた書類を付けて公表します。
何の力もないのに、名声が欲しかったり、利権やカネに目が眩んだ結果とはいえ、そんな人物であることを見抜けなかった私も「脇が甘かった」と今は深く反省しています。
とにかく、あまりにも馬鹿らしく振舞うその御仁達の言動を知ったとき、大変驚きました。(その御仁を特定する情報はいつでもアップすることができます)


話は変わりますが、当時、週刊現代に(週刊ポストだったかも)「影の総理大臣」と称されていた末次一郎さんという国士がいました。
私は末次事務所に何度かお邪魔し、末次さんから色々と政治の話をお聞きしていましたし、直接連絡を取り合うなど、親しくさせていただきました。

末次一郎さんが政界では大人物であることを私は全く知らなかったので、随分と失礼な態度で接してしまったように思い起こしています。当時の総理大臣は小渕恵三氏でした。




その末次一郎事務所のナンバー2だった方がいます。今もご健在の吹浦忠正です。
偉い立場になった(?)吹浦忠正さん、私は吹浦さんを今も本当に日本を愛している人だと思っています。

吹浦さんは、私に対してロシア外務省の〇長の名前を何回も何回も聞効いてきました。吹浦忠正さんのことを「本当に日本を愛して戦っている人」と思っていた私は、その尋ねられた人物の名を吹浦さんに教えてしまいました。

今となって反省しなければならないのは、何があっても、吹浦さんにその人物の名前を言ってはいけなかった・・・ということです。
吹浦さん、一連のやり取りを、忘れてないと思います。
しかしこれは、何があっても話してはいけない、ジンギの分野です。
今でも本当に、反省しています。

政治の事はよくわかりませんが、いろいろ難しいのが政治なのだと、今は思っています。

次回は、11日か12日公開します。


saharinhiroshi2@yahoo.co.jp











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