頑固爺の言いたい放題

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ピッツァと寿司の共通点

2017-10-16 16:53:07 | メモ帳

1970年代の始めごろ、私の勤務先はニューヨークのマンハッタンの南端にあった世界貿易センター(2001年に崩壊)にあり、ランチに近くの立ち食いピッツァ店をよく利用した。

“One slice and Coke, please!”と注文すると、窯から直径50センチほどの円形のアルミ板に乗せて焼き上げたピッツァ(日本ではピザと発音するから、以下ピザに切り替える)を取り出し、12等分(または8等分か、記憶が定かではない)して油紙にのせて渡してくれる。薄いクラストに乗っているのはトマトソースとチーズだけ。三角の先がベローンと垂れ下がる熱々のスライスを2切れと、コーラで75セント。ピザは安上がりで美味しい、手軽なランチだった。ちなみに当時のニューヨークのランチの相場は2ドル前後。

その後(といっても21世紀の始め)シカゴで、四角で分厚いクラストのピザを食べて、「へぇーこんなピザもあるんだ」と思ったが、それがシカゴスタイルのピザだった。薄切りのマッシュルームと輪切りのブラック・オリーブが上にのっていたと記憶する。

私はイタリーに行ったことはあるが、イタリーでピザを食べた記憶はない。本場のピザとはどんなものなんだろうと思っていたところ、最近読んだ“ねじ曲げられたイタリア料理”(ファブリツィオ・グラッセッリ著、光文社新書)によって、ピザの歴史を知ることができた。

同書によれば、ピザの原型は薄いパンに、玉ねぎやガーリックなどの具をのせるだけの非常にシンプルなものだったらしい。要するに貧しい人々の食事である。それが20世紀になって、トマトソースとチーズが使われるようになり、現在のピザに近いものになった。

しかし、そのピザが大衆化したわけではない。おしゃれな食べものとして本格的に普及させたのは、アメリカに渡ったイタリー人の移民である。そのピザが人気を呼んで、ピザチェーンがいくつか誕生した。

1960-70年代になって、イタリーに押し寄せたアメリカ人観光客の好みに合わせて、アメリカ風ピザを提供する店が増え、そこにイタリー人もやってくるようになり、ピッツェリアと称する専門店が増えた(1970年代)。

こうした歴史を振り返ってみると、私が1970年代始めにニューヨークで食べたピザはまだ大衆化したばかりだったことになる。当時、私の仕事である輸入業務用大型缶詰の主力アイテムの一つは韓国産マッシュルームだったが、その用途はサラダ用もあったものの、かなりの部分がピザ用だった。そのマッシュルーム缶詰の取扱量が1970年代半ばに激増したが、それはピザの人気上昇に支えられたものだった、と今にして思い当たる。

さて、ピザの発祥の地がイタリーだったとはいえ、大衆化の舞台になったのはアメリカだという点で、よく似ているのは寿司である。

寿司ブームは1970年代半ばにロサンゼルスで始まった。但し、生魚に抵抗感があるアメリカ人の好みに合わせて、カニカマとアボカドを具にした太巻きのカリフォルニア・ロールが開発され、一気に大衆化の波に乗った。今では生魚主体の握り寿司を食べるアメリカ人が増えたが、それでも主力はカリフォルニア・ロールを始めとする巻物である。

アメリカで起きたブームはすぐさま欧州に伝播し、それが世界中に広まったのが現在の世界的寿司ブームだ。すなわち、寿司ブームはアメリカを舞台に展開したのである(私は十数年間、アメリカの日本食レストラン向け情報誌を発行していた)。

ピザも寿司もブームがアメリカで起きたという点で、共通しているのである。