Sagami タイムズ 社説・時代への半鐘

潮流の本質を見極める

全否定では糸口が見えない

2017-07-06 20:21:35 | 日記
 東京都議会議員選挙の最終日、安倍首相が秋葉原に訪れることを見越してか、青年団が大挙して集まり「安倍帰れ」や「安倍辞めろ」のシュプレヒコールを繰り返した。

 一方、安倍首相は、(選挙期間中の)いきなりの強圧的なコールには断固とした態度を示すといわんばかりにマイクを通しその声を否定し続けた。

 弾圧的コールを浴びせる側も、「これこれ、こうだからあなたの政策には疑問があり、そのことについて明確な説明がなければその政策には反対です」とか、「こんな風に(国民は)考えているのに、何一つとして受け入れてくれないではないか」など、その根拠を示す必要があったのではないか。冒頭からの全否定は最たる人権侵害だ(私たちが日本で暮らすうえで規範となる憲法に反している)。
 
 首相も、「このような人たちは自民党にはいない」などとそのコールには応えようとはせず、まったく意に返さない後ろにいる石原伸晃氏の「そうだ、そうだ!」に押され、蔑むかたちで演説を終える手段しかなかったのか、賛否両論だ。なぜ、そのようなことを言うのか、どうして、このような行動に出るのかの本意を質す必要があったのではないか。

 想うに、どちらにも正義感があり、おそらくは、それぞれが「日本のためには俺(私)たちの方が必要だ(あるいは正しい)!」と考えてのことだろうが、意見すら聞かず(言わず)、どちらも相手のことをはなっ端から否定していることがとても気にかかる。

 はなっ端からの否定、すなわち、全否定は、その存在を理由もなく無きものとする所業と同じことだ。そこには、生命体が暮らす地球において、弱肉強食という必要性の中でも、共立共存をしてこそ生きる価値を見いだせるといった命題が埋もれてしまっている。

 肉食動物は、時には、けがをしたり幼かったりする草食動物を追っかけまわしたり食べたりもするが、必要以上を捕らえることは決してしない。それは、地球の環境を守り、生きとし生けるもののそれぞれの繁栄を考えた故のことだ(いわゆる食物連鎖)。

 人間だけがし得る媚び諂い(忖度)ではなく、動物がする、地球環境や共立共存への配慮をして(慮って)こそ成し遂げられる偉業があるはずだ(実は、動物にもまれに媚び諂いはあるが、それは、弱肉強食を生き抜く手段)。我々人間が暮らす社会も弱肉強食であって良いのか、悪いのか?残念ながら、その答えを導き出せるのは安倍首相しか今の日本にはいない(一強他弱)。
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