佐渡の翼

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手なし仏(佐渡市真野)   投稿者:佐渡の翼

2016年10月16日 04時02分28秒 | 佐渡の神社仏閣及び史跡

県道南線を両津方向から真野方向に向けて車を走らせると、旧真野町竹田のバス停の手前200メートルほどの所の左手に「手なし仏」の案内看板が見えてくる。看板が指示する道を数分歩くと斜め左手方向へと登る道が見える。ここに説明看板があるので、この看板の方向に歩いて行くと「手なし仏」に辿りつく。この仏、恐れられ、崇りのある仏とされている。ま、真野の心霊スポットのような所だ。そこに、自然石に五輪を彫りくぼめた珍しい石が三基並んでいる。ここは、日野資朝が斬首された場所と伝えられている。資朝の子息で13歳の阿新丸(くまわかまる)が父との対面を阻止し資朝を処刑した佐和田城主本間入道を恨み、その弟本間三郎を討った。そしてその首をここに置き父の霊に供え積年の恨みをはらした。その際、追手が迫って来たので、阿新丸は近くの松によじ登り身を隠して落ち延びたと言う。この松は「阿新隠れ松」と伝承されていたが、その松が枯れ、代わりに榎が自生したので「阿新榎」と称されるようになった。なお、資朝の処刑地は四日町の大願寺裏の紅田(べんだ)と言う所ではないかという説もある。今では竹田集落の人たちは、この地は阿新丸を脱出させた山伏大膳坊が、城主の怒りにふれ、石子積(いしこづめ)の酷刑に処せられた場所だと伝えている。生きながら穴に入れられ、さらに小石で埋め殺された大膳坊が、手足を奪われ、身動きできない状態で生き埋めになったとして、その怨霊を「手なし仏」という通称で呼び習わしているのかもしれない。又、彫られた五輪塔の形が手のない仏体に似る事から、「手なし仏」と呼ばれるようになったという説もある。初夏の頃に訪ねたが、首筋をさあ~っと冷やすような風が通り過ぎて行ったような気がした。また、このあたりは大昔大通りだったらしく、「大通り仏」がなまり「おどり仏」とも称されている。

なお、「かくれた佐渡の史跡」という本には、この手なし仏の場所について、「畑野から真野町方面に向けて竹田橋を渡り左側の畦道を5分ほど入る」と記されているが、これは誤りである。竹田橋を渡る手前の畦道に入らなければならない。真野方向から行くと案内看板には気付きにくいが、両津方向から行くと容易に看板の存在に気付く。

これが榎の木か

五輪塔が彫られた石像

これらは左右一対あった

http://www.digibook.net/d/c3c5a95ba11c0a34fc293d848a33771a/?viewerMode=fullWindow

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