ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

山田ときさんを偲ぶー10   新入のころ

2016-05-16 22:06:23 | Weblog

     山田ときさんを偲ぶー10

 

  新入のころ

 五月〇日

 こっけいな金芳が、朝教室にはいるとすぐ「センセ、キョウ、オヒサママッカニナッタケ」と報告する。

  区教育総会で全員出席のため、授業はできない。父母への通信第二号を渡して、授業のないことを話すと「センセイ、キョウ、サッパリベンキョウシナイノガハ」と、物足りないような顔つきをしている。「サヨウナラ」を三、四へんもして教室を出た。西畑の栄、文司は、「センセ、ハタエ、エッタンダガハ」と探していた。一里も離れた部落からたった三人弁当背負って、船越ししてくるこの子たちには、殊にすまないような気がして、急いで出口まで送った。

 

五月〇日

 入学の当初、帰るまでカバンをおろさず、朝から体操場で遊んでばかりいた岩吉の父から次のような手紙がきた。

 「学校はいつたら、朝早く起きるようになつたし、ひとりで顔洗うし、本などをだして見たり、時には、庭などをはいたりするようになつた。自分のことはたいてい自分でするよ うになった。全く別の子どものようになったが、『ゼニケロ(おかねくれ)Jだけはまだなおら ず、毎日『ゼニケロ、ゼニケロ』と、だだをこねる。もういいだしたら十銭も使わないと承知しないので困る。先生何分よろしくお願いします」

 もったいないような半紙に鉛筆でこまかに書かれてあった。ぜひの用でもなければ筆など持つことのないこの村の親たちが、忙しいなかに、こうした手紙をよこしてくれることを思うとき、ただ嬉しくなり、大勢のこととて、手の届かないことが、すまなくてならない。この親たちのことを思うとき、何もかも忘れて、仕事に精だそうと励まされる。

 西畑の文司は栄と組んでからとてもまじめになつた。いつも鼻汁をどろどろ流して、もん ぺのひもをずるずる引きずって歩く。忠正よ、あなたが学校にきた当時は、これからどうして、毎日をすごそうかと、ずいぶん考えたよ。一力月ぐらいのうち、席についていたことが 何日あつたろう。もんぺのひもをずるずる引いて、ランドセルを背負ったまま、走りまわつてばかりいたね。それがどうしてこんなにおとなしくなったのだろう。あなたの眼はいつも 先生の眼を見ている。そして、すぐに立って発表する。書くことも一生懸命だね。しかし、石板いっぱいに書いでくる字はどれひとつとして字のかっこうをしたものがないんだ。でも、 あなたは、何か覚えようと一生懸命書くのだ。それでよい。しかしどうして字のかっこうにしていったらよいかなあ?まあ、もんぺのひもばかりもきちんと結んでおきなよ。

 一時間一時間が終るごとに、他の組は整然とならんで体操場に出る。そして先生たちは、 一時間の役目が終つて、教室にかえる。しかし、あなた方は、体操場で遊ぶよりも、黒反にいたずらを書くことが嬉しいのだね。書きたくて書きたくてしようがないのだね。よし、みんなどんどん書いて遊びなさい。黒板いっぱいに何でも書くがいい。今の教育では、それがいけない、規律正しく、訓練重視といわれるのだが、こうしていたずら書きすることが、あなた方の勉強なのだ汽車でも、子どもでも、名前でもどしどし書くがいい。だが、鐘がなったらすぐやめて、チョークをキチンと箱のなかにしまい、席につきましょよ。いちいち「センセハコボコ(白墨)力シテケ」とことわりにきて、黒板の前にずらりとならぶ。

 そのうち、女の子たちは、二人ずつ髪をとかしあい、爪ののびてる子はずらりとならぶ。二十人近くもならんでいるのに、五・六人切きっただけで鐘がなってしまう。

 〈註〉戦争にはいる前のあのころは、こんな小さな子どもたちの上にまでようしゃなく訓練訓陳と要求さ  れ、教室でこんなにしてごちゃごちゃと黒板にいたずら書きなどをさせる教育は、許されるはずがなかった。私は、あるとき、校長に、「相沢さん、遊び時間に子どもたちを教室に残しておいてるでないか。――そういう教育をしたければ、お山の大将になるんだね。さもなくば私立の何々学園にでも行くがいい。われわれ天下の公立小字校訓導たるものは」と、みんなのまえで皮肉をいわれ、「アッハッハ、ハァ」とちよう笑された。もちろん、それに答え得るようなな確固とした理論も自言も持たなかったし、いわれるままに、ただ歯をくいしばり、胸の動悸を感じるだけだった。   山田とき著『路ひとすじ』(東洋書館・1952年・35〜37頁)より

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【教育を追う】「改革」私の意見−5

2016-05-11 12:33:44 | Weblog

 

 この〈【教育を追う】「改革」私の意見〉は、『教育を追う 教育改革・私の視点』(毎日新聞社編・1985年1月)にまとめられていました。参考までに、その「あとがき」もここにそえておきます。

 

 

あとがき

 

  中曽根首相が熱心に進めている教育改革は、臨時教育審議会が発足して、具体的に動き始めたようです。臨教審は、首相の諮問機関として設けられました。八四年八月二十一日に二十五人の委員 が決まって、九月五日の第一回総会で「二十一世紀をめざす改革」という諮問を受けたわけです。

 臨教審設置法の国会審議で、中曽根首相や森文相は、各界各層を代表する委員によって、国民の合意する改革案を作り、実行するのだ、と強調してきました。日教組や社会党は、中曽根首相が主導する臨教審を警戒し、〃草の根の教育改革"を唱え、国民教育審議会の設置を提案しています。

 毎日新聞社の教育世論調査(八四年四月九日朝刊)によれば、教育改革が必要だとする意見は、 全体の八三パーセントに達しています。臨教審にせよ、日教組にせよ、教育改革を求める国民の声を重視しないわけにはいきません。しかし、国民の数だけ、改革案があるというのが教育改革 をめぐる実情です。学校教育は、だれもが経験しているし、その経験によってモノを言うことができるからです。

 経験には、個人の差があります。多様な背景を持つ人たちの、多様な意見に耳を傾けないかぎ り、実効性のある教育改革を議論することはできないでしよう。

 このような視点から、私たちはできるだけ違った立場の、教育に関心を持つ人たちに登場しいただき、インタビュ—を重ねて、改革への意見を紙面で紹介する作業を始めました。七年にわたって続いている毎日新聞の教育企画「教育を追う」シリーズの一つとして、「改革.私の意見」 というタイトルで八四年五月から十月まで掲載したものが、それです。掲載したインタビュ—を まとめて「教育を追う」シリ—ズの本の一冊としました。教育改革の議論が本格化するのは、これからです。教育を語るとき、多様な見方が必要だということを、これらの意見が十分に示して います。

 インタビューは五力月間に及びました。その間に、臨教審設置法の成立、委員の任命、審議会の発足と、さまざまな変化がありました。掲載時と比べ、インタビューの内容に多少のずれも生じていますが、あえて手を加えず、掲載当時のままの形で収録しました。日本の学校教育をめぐる基本的な状況には、全く変わりはないからです。

 インタビューは毎日新聞教育取材班の矢倉久泰、中村竜兵、安間教雄、戸沢正志、赤司正文、 原田三朗が担当しました。

    一九八四年十二月

                 毎日新聞編集委員(教育取材班キャップ)兼論説委員 原田 三朗  

                               

 

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国分一太郎 【教育を追う】「改革」私の意見−5  人類主義に立って

2016-05-10 16:52:33 | Weblog

【教育を追う】「改革」私の意見〈58〉

人類主義に立って

  国分 一太郎ァ併童文学者)

 ――中曽根首相は「国際社会の中で活躍できる日本人を育てる教育」を強調しています。

 「そのようですな。資源小国の日本としては石油や農産物を外国から買い、工業製品を売りつけるために、礼儀正しい如才ない日本人を育てることを考えているのでしょうかね。でもね、日本人が外国人とつきあううえで足りないものは何かというと、外国の歴史や芸術の知識なんですな。娘がソ連の大学に留学し、そのあとラテンアメリカを数年間歩いてわかったことらしいんですが、外国人は、よくギリシャ神話やローマ神話、聖書を引き合いに出して話すそうです。ディッケンズやドストエフスキー、ツルゲーネフといった世界中の人々が読んでいる文学作品も出て『あの作品の主人公○○のように』と言う。そういうことを知っていないと話が合わないそうですな。

 それともう一つ。ぼくが『人類的視野で』と言うのは、こういうことです。いま『自然と人間の共生にもう一度かえれ』といわれていますね。つまり科学技術文明のひずみの克服が国際的な課題になっています。また平和の問題があります。いま核の均衡のうえに立った“平和”ですが、みんなそんな危うい状況に耐えられなくなっているんじゃないですか。核を廃絶し軍縮して真の平和な国家社会になることを、みんな望んでいます。自然や平和を守る人類主義が、いまの教育に最も大事になってきていると思いますね。

――最後に、教育改革はどのようにすすめるべきだと思いますか。

 「政府は『戦後教育の見直し』と言っているが『見直し』とは戦後教育を『やめる』ということじゃないのですか。そうではなく、今一度、戦後教育の方針に立ちかえることです。つまり教育に対する民衆のコントロールの復活、真理真実をきっちり教え、子どもの自発性を尊重して自ら考える力をつける、教師には自由を保障する、そうした戦後教育の行政、制度、内容、方法が意義あったことを再確認すべきです。

 そのためには戦後教育の原点で育った人たちを各界から集めて賢人会議とか百人会議をやったらどうでしょう。教育関係者だけでなく自然保護などにかかわる市民や農民などを入れてですな。そういう若い人たちで人類の将来を見通した教育改革の方針を練ってもらいたいですね」(この項おわり)

1984年(昭和59年)7月14日(土曜日) 毎日新聞

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心のケアと自立のための日記指導-21 全体をふり返って思ったこと、考えたことも書く 

2016-05-10 16:30:37 | Weblog

    心のケアと自立のための日記指導-21 

 

(六)全体をふり返って思ったこと、考えたことも書く

 

 「綴方」が授業のなかに位置づけられていた、戦前の話になりますが、「綴方指導読本」のなかで国分一太郎は「第五課 あることをかかせる(焦点を捉えさせる)指導の工夫(1)」で、次のように述べています。

 

 雑多な生活の中から、ある意味をもつ事柄を捉えさせる指導工夫が必要です。いまその(イ)として

〈日記・児童詩〉を説明します。

 日記や児童詩の指導が、ものごとの焦点を捉える子どもの目を育てるのに有効であることを考えましょう。

 

 こう書いています。そして、日記の例をあげ、下の部分に、〈日記〉指導として、イ 日記にも普通の日記と、雲の観察日記…といろいろな種類があることを述べ、

 

ロ どちらにしても、その日の中で特徴的なこと、すなわち

◎大事なこと、めずらしいことを

◎多くの生活事件から特にえらんで

◎簡略にかく

◎反省も加える

  ということになるのです。

 ハ 日記をつけていれば、その日の大事なことをくわしくかけば、りっぱな綴方となってくるわけです。

 

 ここでは、日記は綴方とくらべて「簡略に書く」という特徴をあげています。これは、当時の東北の教育環境のめぐまれない中では、ゆっくりと日記を書くことに時間をかけていられない状況をふまえて、「簡略であってもよい」と判断しているのだと思います。

 それは、これまで私が行って来た、書き出しを意識させ、したことや見たこと、思ったことをありのままに書こう、くわしく書こうと言ってきたことに、反するようですが、ゆっくり時間をかけて日記を書けない状況というのは、昔も今も同じで、今のこどもたちが「簡略」に書いてくることに避難をあびせるわけにはいけません。「週一日記」のすすめも、こんなところからきているのですから。

 けれども、すこしでも時間の取れる時を見計らって、ありのままに、よく思い出して書いて欲しい、それが心のケアと自立にもつながるのだと、こう考えてきたのです。

 そして、ここで長く国分一太郎の文章にふれて引用しているのは「簡略」に書くことはしかたがないにしても「反省も加える」という点に着目しているからです。教師になってそれほど経験をかさねたわけではない国分一太郎が、ズバリ、日記の最後には、その出来事の全体をふり返って、思ったり、考えたりしたことを「反省」として、つけ加えることの大切さを強調している点です。

 ここまで、くり返し、心に残った出来事を書きつづること、出来事の進行する過程で、すなわち、その時、その時の気持ちや思ったこと、考えたことを書きつづることの大切さを述べてきましたが、その出来事がひととおり終わった時点で、ふり返って、出来事全体をとらえて、自分はそれをどう思ったのか、どう考えているのか、その出来事のもつ意味を考えることは、とても大切なことは言うまでもありません。

 そうした、ふり返り、反省をする視点も子どもたちに、「ふり返って思ったことを書く」「ふり返って考えたこと、感じたことを書く」を、ことで、身につけさせたいのです。

 最後に、考えをまとめて書くと、その出来事から飛躍したり、一般化したりする場合が多く、文章としてはその決意をあらわすようなものが多くなってくる危険性も、これまでによく指摘されたところですが、「簡略」にしか書けないときには、書ききれなかった分をふくめて深く「反省」して、その出来事が自分にとって「快」であったのか「不快」であったのか、どう思ったのか、感じたのかを意識させることが、ケアと自立のためには必要なことだと考えます。

 

 その出来事を、直視して、文章のさいごに 全体をふり返って思ったこと、考えたことを書いているような作品例をしめして、「反省」を書くことの大切さも理解させていくようにします。

〈作品例〉

 その日の、夜は、ベッドになながら、ベッドとベランダとどっちが気持ちよく寝られるかを比べてみました。ベッドは熱いけれどやはりねやすかったです。それに、ベッドだと、雨がふらないので、ベッドの方がいいなと思いました。

 ベッドの方がよかったので、もうベランダで寝たいなとは思わなくなりました。星や鳥は、寝る前にベランダで見ることにして、今度は、おしいれで寝てみたくなりました。(「ベランダのねごこち」5年・宮山達成)

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水曜日は「作文の会」です!

2016-05-09 21:46:58 | Weblog

水曜日は「作文の会」です!

 連休ボケ?家庭訪問などで忙しくて、例会をわすれてはいませんか。今週の水曜日です。校務を早めにきりあげておでかけください。日記指導で話し合いたいことを、考えておいてください。念の為に案内を再掲します。

 また、次回の例会は6月17日です。

□「横須賀・逗子」作文の会

5月例会のお知らせ

 

《提案》心のケアと自立のための日記指導〜

    ― 週一日記のすすめ ―

 クラス担任の時には、ずっとつづけてきた日記指導をふりかえり、その指導の意味やねらい、どんな題材を、どうか書かせてきたか、どんな赤ペンをいれ、どう読み合ってきたかをお話します。レポートは、次のような文章からはじまっています。

「安全」「安心」がキーワードの時代。新しい学年を受け持ったとき、まず、子どもたちの安全を保障し、心をひらかせ、安心して学校生活をすべての子がおくれるように心がけなければなりません。

 それは、クラスのなかの一番弱い立場にいる子どもたちに目を向け、一人ひとりのちがいを認めながら「仲間づくり」「学級づくり」をしていくことです。ほおっておいては、形はあっても「集団」はできていないのです。

 その時に大きな力を発揮するのが、子どもたちが書いてくれる日記や作文、詩です。

 とくに日記は、子ども自らが書きたいことをえらんで書くことが原則になりますから、えらんだ題材、書かれている内容、その書きぶりなどから、その子の生活や願い学習の状況、友だちとの関係などがみえてきます。日々の心の変化の一部を知ることもできます。

「一人ひとりの子どもの生活や願いを知れば知るほど、その子にあった教育ができる。」

 このことは、日記をずっと子どもたちに書いてもらってきた、わたくしの経験から生まれたものです。

 子どもたちの書いた日記は、教師が読んで、「赤ペン」を入れて書いた子どもを励ますだけでなく、書かれたものを読んだり、学級通信や一枚文集に紹介したりすることで、書き手の生活に対する思い、願い、見方・考え方をみんなのものとすることができます。

 お互いの生活や願い、その日、その時の気持ちを知ることで、心をひらき、共感、共鳴する心も育ち、安心して生活をおくることもできるのです。〈できれば、ブログ「ツルピカ田中定幸先生」を読んでご参加ください。〉

 

田中 定幸(国分一太郎「教育」と「文学」研究会)

□日 時   2016年5月11日(水)18:30提案〜   終了20:50

□会 場   横須賀市総合福祉会館 5階 第1研修室

□司 会   佐藤 美沙樹さん 

□会 費   1回300円  (年会費として3,000円を納めていただけると幸いです。) 

□次回例会の予定  2016617日(金)18:30 総合福祉会館5階 第1研修室

 □連絡先   田中定幸  自宅 逗子市新宿3―2―45  筺FAX 046-873-4339

 

 4月の例会は、遅れてきた方、早退された方を含めて20名。若い先生がたくさん見えて、抱負を交えての自己紹介。提案も若手のホープ北原先生。生活科の中に「書く」活動をとりいれて実践は、「書く」ことの優位性を生かしたものでした。たくさんはなしをさせる。絵と文で話をさせる。話したことはそのまま文字かけばよい。ものやこと、人とも結びつけて書く。低学年の指導に大切なものを語ってもらいました。とても充実した例会になりました。

 参加者が20名ということで、事務局長の横山さんが会場をとりなおして5月の例会も、やや広めの同じ会場で開きます。仲間をさそっての参加は、「協働性」を高めます。いっしょに学び合うことが力となりますね。

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心のケアと自立のための日記指導-20   自分の心の動き、心の中を意識させる

2016-05-09 21:26:16 | Weblog

    心のケアと自立のための日記指導-20 

 

(五)自分の心の動き、心の中を意識させる

          ―心が動いたこと・心の動きを書こと事の意味―

 

1,心が動いたことを書くということ

               

 その時の気持ちや感情、あるいは、いつも持っている考えや思想を表すとき、すなわち表現をするときには、表情や身ぶり、動作、あるいはコトバ、芸術作品などによって表します。けれども一番、端的にその気持ちや考え、あるいは心の動きや状態をあらわすことができるのは、言語による表現であり、なかでも文字言語であるといわれています。

 このことについては、国分一太郎の「『自己』をも対象化する」(『つづり方教育について』麦書房)を参考にすることをおすすめします。

 わたしたちは、その時の、心の状態、あるいは心の動きの変化を一番表現しやすい、文章表現をことのほか大切にしてきました。そして、日記や作文や詩などの表現を通じて、

 

うれしかった、かなしかった、おもしろかった、びっくりした、くやしかった、めずらしかった、新しいことをみつけた、いつもこうだと思った、こうなるといいなと思った、おもわず、こうしちゃった

 

 というような心が動いたことを日記の題材としてえらぶことを大事にしてきました。それは、心の動いたことは、その人にとって、かかわりのあったこと、深かったことだからです。

 かかわりのあった出来事を日記に書くことによって自覚させるのです。自覚させることによって、その出来事あるいは対象の理解がはじまるのです。

 そして、表現の場面では、ただ「うれしかった」「かなしかった」「くやしかった」と書くだけでは、それは適切な表現にはならないこと。どのような、ものやことをあるいは出来事をにあって、どのような人とかかわっていく中で、その出来事が展開し、その結果、どう心が動いたか、どんな思いや考えがそこからつくりだされたかを書くことが、「表出」をのりこえた「表現」になると考えてきました。

 だから、その出来事のきっかけやはじまりを意識させるために「書き出し」に着目させるようにしてきたのです。そして、出来事を時間経過・事件の進行にしたがってふりかえさせるようにして、その経過にそって、したことや見たこと聞いたことなどを思いだし、それを書かせるようにしてきました。それにつけくわえて、その時その時の心の動き書くように励まし、時には指導も加えてきました。

 

□そのときどきの心の動きを書くということ

 

   しぎょう式の日

                 5年・友美

 しぎょう式の日の四月五日、わたしは学校に行きました。校門を入るときわたしは、何組になるかなあとドキドキしました。わたしは、ドキドキしながら歩いて行きました。

 やっと玄関です。わたしは玄関にある紙をとり、組をしらべました。わたしは、一年生からずっと三組なので、五年生も三組がいいなと思いました。だから三組から見たら、おともだちのあっ子ちゃんが三組だったけど、わたしの名前はありません。わたしは、がっかりしました。でも、がっかりするのはやめて、こんどは二組を見ました。そうしたら、四年の時、同じともだちがいて、わたしの名前がないから、またがっかりしました。そして、こんどは一組をみました。そうしたらあったので、四組じゃなくてよかったと思いました。

 そして、外に出て、わたしの三年生になるいもうとに、

「何組。」

と聞いたら、

「一組といったからよかったです。

 そして、四年の時にともだちがいたので、

「一組になったよ。」

と言っている時に、田中先生がきって、

「なん組」

と言ったので、

「五年一組。」

と言ったら、先生が笑いました。その時、わたしの組の先生は、もしかして田中先生かなあと思いました。(以下略)

 

 その時その時の、心の動きを書かせたいのは、ものやこと、人のなどへの対象にはたらきかけたことに対する心の反応をよりはっきりさせることになるからです。対象にはたらきかけられたその時の状況から、どのような感情をいだいたのかを確かめるためなのです。

 心の動きと、ものやこと、その経過をしっかりと書きつづることによって、かかわりの深かったものやこと、出来事のありのままの姿が見えてくるのです。この「ありのまま」にものごとをとらえることが、「安心」「安全」の第一歩になります。

 これは、喜怒哀楽を感じた出来事、具体的な事実は、その人にわかりやすくものやこと、人の動きを、自覚したり理解したり認識させたりしてくれます。意識したり理解したり認識したりすることによって、ひとの心は、落ち着くことができるのです。冷静に、客観的に考えることができるのです。

 人は、喜怒哀楽を自覚したり、また、それを客観的とらえたりしたとき、心地良いもの、すなわち「快」と感じた体験は、これからもまた求めて行きたくなります。くり返し体験できるように、同じような体験をもとめて積極的に行動するようになります。よりここちよい「快」をもとめて、創意・工夫が生まれます―この「快」をもっともわかりやすく感じるのは、「ほめられる」ことです。「ほめること」によって、子どもが育つといわれているのは、こういうことです。後ほどふれます。

 不快を感じたとき―恐怖・悲しみ、さびしさ、苦痛を感じた体験(出来事)は、これをさけようとします。そのために身を固める、守るということなどから、他者や他物との関係を切るために接触をこばんだり、かかわりをさけたり、拒否しようとする意識が強くなります。行動にもそれが表れます。「不快」な体験が強かったり、くり返し行われている場合には、無意識のうちにそれを拒否するかたちで、無反応になったりアレルギー症状を起こしたり、自虐的な行為をとったりもします。逆に、闘争心が芽生えて、思いもかけなかった行動や、他者に対する攻撃行動となって表れてくるのも周知のことです。

 この「ありのまま」にとらえることによっての自覚や事実の理解や認識、あるいはそこで感じた「快」「不快」が、どう行動していったらよいかの視点・観点となりなることで、「安全」「安心」への心の持ち方とつながっていくのです。

 生きる物すべてが持っている、「安心」「安全」な状態でくらしたいという本能は、「不快」な体験をしたとき、これをさけるための努力をします。良くない結果が予想される時には、それを避けるように行動します。明るく楽しく、愉快に感じられたことがらは誰もが欲することであり、それを感じる方向へと、積極的な行動が展開されます。

 じつはこのとき、この行動をささえてくれるのは、これまでの体験あるいは経験であり、その「体験」の自覚、理解が行動をささえる力になっているのです。だからこそ、これまでに体験したことを自覚したり理解したりすることが大切なのです。

 強く心を動かされた出来事は、その経験への自覚や理解をより強く印象づけるだけでなく、ふだんからの見方、考え方だけでなく、「そのときそのときの心のはたらかせ方や行動のし方」が顕著に表れます。

・あの時、興味をもって、よく耳をはたらかせていたから、お父さんの話が理解できたのだ。

・あのとき、疑問に思ってきいたことがよかったのだ。

・よく観察していたから、気づいたのだ。

といたように、具体的な生活の場面での心の動かし方、行動のし方の良さに気づくこともできるのです。これは、子どもたちには「そのときどきのからだや心の動かしかた・行動のしかた」といったりもしますが、この「認識のしかた・操作のしかた」の理解もえて、前向きな行動、さらには、積極的・意欲的な行動へと導いてもくれるのです。

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国分一太郎 【教育を追う】「改革」私の意見−4  憲法や緑の学科も

2016-05-09 16:45:33 | Weblog

【教育を追う】「改革」私の意見〈57〉

憲法や緑の学科も

                  国分 一太郎ぁ併童文学者)

 

 ――カリキュラムの改革案として小学校低学年で理科、社会科を分けずに「合科」にする意見もありますが。

 「中教審の教育内容等小委員会の中間報告で『合科』案が出ていますね。ぼくは合科ではなく読み方教育や綴方教育でやれって言っているんです。小学一年から四年までの間に発音や、文字、文法の知識を与えて、日本語の基礎をしっかり身につけさせる。と同時に、読本で社会や自然、人間についての初歩的な知識を教えるのです。

 昔の四年生の国語読本には、例えば横浜港についての記述で、『東京の西南八里のところに一大貿易港があって……商船の出入り絶えることなく……』なんて書いてあった。これを読みながら『貿易とは何か』を学習できたわけです。こうした社会や歴史、地理、自然に関する内容を入れた国語読本を与えるのです。これが将来の各教科で学ぶ科学的概念や法則の土台になると思います。西ドイツやフランスの国語の教科書には、昔から社会科や理科的な教材が入っているそうですよ。

 書くことについては父母の働く姿などを事実に即して綴方させる。とにかく事実と結びついた読み書きが大事です。だから四年生までの国語の時間は週に十数時間が必要です。

 書くことで、さらに言えば、子どもたちに手紙をせっせと書かせるのもいいでしょう。ふるさとのおじいさん、おばあさんからリンゴやカキを送ってきたら、お礼の手紙を書くとかね。手紙は生活に根ざしており、お互いの心を通わせるのでいいですよ。子どもに手紙を奨励するために、郵便代を特別に安くする『子ども郵便』なんてのを、郵政省は考えてくれないかなあ」

 ――いまの教科の構成は基本的に明治以来変わっていませんね。

 「そうなんです。教育基本法の言う『良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない』を具体化するために、五年生から憲法科を置くべきです。小学校高学年で理解できる範囲で社会の事実に即して憲法の精神を教える。憲法を知っておくことは国民の義務であり責任ですからね。

 『緑の学科』というのもどうでしょう。エコロジーですな。人類は自然なしでは生きていけないこと。自然保護の大切なことを教えるのです。教科の問題は、それこそ人類的な視野で再構成すべき時期に来ていると思いますね」(つづく)

1984年(昭和59年)7月13日(金曜日) 毎日新聞

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国分一太郎 【教育を追う】「改革」私の意見−3 「人間育てる教育を」

2016-05-08 08:01:42 | Weblog

【教育を追う】「改革」私の意見〈56〉

 人間育てる教育を

                国分一太郎(児童文学者)

 

 ――教育基本法にあるように、子どもを「平和的な国家および社会の形成者」に育てるためには、どうすればいいと思いますか。

 「それにはまず大人が平和で民主的な国家、人間を大事にする社会をつくるために奮闘努力すべきです。しかし大人たちは、それを怠ってきたのではないですか。より便利な生活を求めすぎて自然を崩壊し、人間的なものを失ってきました。

 野菜なんかもビニールハウスで促成栽培したものが食卓に出まわっていて、子どもに季節の変化を実感させる機会が少なくなっていますね。何でも出来あいの物を与える。科学技術の発達、高度経済成長が生活を、社会を、そして価値観を一変させました。日用品を作る職人や小さな農家、炭焼きをする人などがいらなくなり、家庭では子どもには手伝わせる仕事もなくなって、ただ『勉強しろ』。勉強して会社員や役人になれっていうわけですな。教育もそうなってしまった。いまの社会は子どもたちを不幸にしています。

 こういう時代だからこそ、子どもの教育にいま必要なことは、人間らしいもの――やさしさや、いたわり、人と心を通わせる、といったこと、それに美しいもの、真実なものを、体や目や耳を使って、いろんな現象の中から子どもに探りとらせる力つけることです。その意味で生活綴方は必要なんです。」

 ――そのためには学校をどうすればいいのでしょう。

 「一つは小中高をみんな、うんと小規模校にすることです。そして、読み、書き、算、自然、歴史、社会の基礎的な知識を、時間をかけて、ゆっくり教えることです。また、学校から離れたところに、かなりひろい農場を設けて、子どもたちに農作業をさせる。農場は学校ごとにかわるがわる使えるようにするのです。そこで作物や動物を育てる。生き物が日に日に成長していく過程を体や目や耳で実感させるんです。できれば手工業的なことが出来る小さな工場のようなものもあればいいですな。

 消費文明の中で、子どもたちは出来あいの物ばかりを与えられている。これでは子どもの五感や情操は発達しません。働くことへの姿勢も出てきません。人間らしさを育てるために農作業や手工業をさせるのです。

 ――いまの教育は、あまりにも知識の詰め込みだけですからね。(つづく)

1984年(昭和59年)7月12日(木曜日) 毎日新聞

 

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山田ときさんを偲ぶー9 新入のころ

2016-05-08 07:53:40 | Weblog

山田ときさんを偲ぶー9

  新入のころ

四月○日

 今の子どもたちを見ていると、全く、マルをもらうための学習である。いつまでもこんなでよいのだろうか?

 帰る時、「アイザワセンセイ、キライナヒト」と、きいたら、芳次、市四郎、信二、芳美、 ヤス子の五人だった。なんのこだわりもなく、「ハイ」と手をあげる無邪気さには苦笑させられた。そのうちの一人、体の小さい芳次は、「ハライタイ」と、机にうっぷして泣いている。

「くすり飲ませるから職員室にゆきましよう」と、手をひっぱったが動かない。

「いやだ」と首をふり、「センセ、ココサ、モツテコエ」という。茶碗に用意していってようやく飲ませた。帰るときも、まだうっぷしている。ちようど、百姓のひるやすみの時間でもあるし、一番多くの子どもたちがきているー鹰の巣と西畑だけで四十一人いたー鷹の巣に 一度もいったことがないので家庭訪問記(西洋紙四半分で作ったノート)を持って、子どもたちといっしょにでかけた。子どもたちは喜んだ。ピョンピョンはねながら、「センセイ、ヨシツグ サエグナガ(芳次の家にゆくのか)、オラエサモアエベナ(うちにもゆこうな)、ツァ(父)モエダ、 アッツ力(母)モエダ」と、それぞれ人に占領されまいと、私の手をぐいぐい引っぱる。フミ子とイシ子はそれでけんかまでする。かわるがわる手をつないで『ヘイタイサン』『日の丸のはた』などを歌ってゆく。満州事変ぼっ発後、ますます軍国主義が濃厚になり、一年生の音楽は、まず『日の丸のはた』『ヘイタイサン』にはじまり、小さな子どもたちは歌といえば『テッツポウカツイダヘイタイサン』でなければだめだった。私たちもそれをいっしようけんめいに歌わせた。教室でも、道を歩くときでも、体操のときも、あけてもくれても『テツポウカツイダヘイタイサン』の教育に専念した。実に忠実な教師だったと、われながら寒心(・・)せざるを得ない。

 農家で冬仕事につくっておくわら草履をはいて、ぼこぼこ砂ぼこりを立てて、子どもたち はあとになり、先になりしてはしゃぐ。この履物は衛生的に考えれば、全く賛成できないも

 のだが、大部分の履物はこれである。脚は、はだしで歩いたと同じに、まっしろになる「布切でも何でもよいから、まちがわないように印をつけてはかせてください」と、『父母への通 信』にも書いてやったのに、印をつけているのは十人ぐらいだけだ。それでも学校にいくのだからといつて、新しいのをはかせてよこす。

カバンをカタカタいわせ、片足でとんでは、つくしを取り、おくれるとまた。パタパタほこりを立てながら、私に追いつく。いつも私の傍から離れず手をぎっしりにぎっているフミノ。フミノに負けて、私の手をつながれなかったイシエは、「センセ、ツクヅクス(つくし)デッ夕、 トテケッガ」と私の顔をのぞく。

「ん」

「そうら、みんな、つくしんぽは袴はいてるね。いくらはいてる」ときくと、「三つ、四つ」と数えては、私の顔を見て、ポンと放り投げて、また別のを取る。

「これ、ゆでて食べられるよ。うんとうまいよ」

「おお、すみれも咲いているな、鷹の巣の人はこんなにきれいなところを毎日通って歩かれていいなあ。先生も毎日こんなところにきたいなあ」

「んだがら、まえ(い)にちくつど(来ると)ええのよ、先生」

 こんな会話をかわしながら、羊の群のようにぞろぞろと部落に入った。右手は大きな高い崖、左手は広々としたたんぼでその向うに最上川がうねっている。私までが片脚とびでもしたくなるようだった。農夫は肩に、ももひきをひっかけて帰ってくる。子どもたちは、大人 たちとあうと、「オラダノセンセイダ」といわんばかりに、なおはしゃぐ。「部落に入ったし、 ひるにもなつたんだから、みんな帰ってなさい。先生あとからみんなの家にゆくから」といっても、帰らない。まず守正の家にゆく。おばあさんと三分ばかり話して、街道にもどってみると、子どもたちは、べったり道ばたにしりをついて待っていた。芳次も、もうなおったといって一人でぐんぐん帰っていった。

 ここまできたついでに、家ばかりも少し覚えてゆこうと、道ばたの家にだけチョイチョイ 廻って挨拶だけして歩いた。もう十二時過ぎている。「はらへったろうから、みんな先にいってなさいよ」と、またいったが、きかずに一軒一軒ついて歩いた。道ばたで私を待っているうち、佳三と裕次は喧嘩をはじめたとか泣いていた。一番きかん坊で、こっけいな金助は、「オラエノエ、ココダ」と私の手を引いて案内する。だれかいるのだろうかと思って、はいっていったらだれもいない。「どこへいつたの」ときくと、「タサ(田に)、ママモテエツタナダ」という。ろばたは杉葉やわらくずやらいっぱいで、足のふみばもないくらい。どこに手をついてよいのかわからない。それでも、自分の家を見てもらっただけで、さも満足そうに、カバンをドサツと板の間におろしてまたついてくる。「ひるごはんどうして食べるの」ときくと、朝学校にでかける時、おにぎりをあずけられるのだという。そのおにぎりは、今道ばたで、私を待つ間に食べてきたのだった。顔の青白いフミヨの家には、目の見ぇないおばあさんだけだった。もう一時になった。五年の裁縫にでなくてはならないのでゆっくりしていられない。訪問をやめて帰った。ひる休み時だったので、母親とはたいていあってきた。みんな喜んで迎え、話してくれたのには嬉しかった。家庭訪問記に印象だけをチョッチョッと書きこんで歩いた。家にはいってみればもう何も注文されなくなる。やっぱり家庭を知らずに学校にとじこもっては、子どもに何だのかんだの要求はされないものだ。

 カバンのひもがとれたとて「おかあさんになおしてもらっておいでょ」といってやった自分がはずかしかった。「机上の空論ではだめだ。家庭を知らずには、ほんとの教育はできない」とこれらの仕事の分野を考えなおしながら学校に急いだ。

 途中でうしろから「一年生の先生んないが」と、ことばをかけられて、ふりむくと知らな い人。ところが西畑の栄の父だった。選挙(衆議院議員)にゆくのだった。理知的で良心的な栄をうんとほめてやった。この上の姉たちは学校にださないでしまったから、この子ばかりも満足に学校にだしたいと語るのだった。学校の前で別れた。女子会の役員会があったので、五年に栽縫の自習をいいつけてそれにのぞんだ。終って小使室でごはんを食べ始めたのが二時半ぎ、食べ始めると職員総出の機具整理だといわれて、食べるのをやめ、もんぺをはいて加わった。              山田とき著『路ひとすじ』(東洋書館・1952年・P30〜PP34)より

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国分一太郎 【教育を追う】「改革」私の意見−2 [ 監視機関を作れ]

2016-05-06 15:10:48 | Weblog

  国分一太郎 【教育を追う】「改革」私の意見−2

 

【教育を追う】「改革」私の意見〈55〉

監視機関を作れ

        国分 一太郎氏➁(児童文学者)

 

――戦後教育のスタートにあたって、物たりなかった点がほかにもありますか。

 「ええ。教育基本法第八条二項に『法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治的教育、その他、政治活動をしてはならない』とありますね。この“政治的教育”を監視する機関を作らなかった点が残念です。と言いますのは、昭和二十五年の朝鮮戦争以後、特定政党や経済界の方針で教育が動かされてきましたね。教科書検定が強化され、教育の地方分権を保障した教育委員会が公選制から任命制に後退しました。そのほか文部省はその時々の内閣の方針にしたがって教育行政をすすめてきた。だから、教育基本法に違反していないかどうか、監視する機関を設けるべきだったんです。違憲審査をする機関として最高裁があるように、また独占禁止法を監視する公正取引委員会が設けられたようにです。

 戦後教育を見直したいとか、憲法を改正したいという動きがいる今の時期にこそ、中央教育委員会といったような監視機関の設置を、国民は真剣に考えるべきです」

 

――自民党は「日教組こそ特定の政治教育しっている」と非難しています。

 「教師もむろん言論、思想の自由を持っています。しかし、教師が個人の言論、思想の自由を大事にし、基本的人権を尊重して民主的な日本を作っていこうと思うなら、子どもに、ある特定の思想を押しつけてはなりません。教師はそうした教育上の原則を厳重に守るべきです。このことは日教組にもやかましく言ってきたことです。むしろ教師は、子どもたちが自分の思想、世界観を形成するために必要な基礎的知識を与えるべきです。単に教育の政治的中立性を守るというのではなく、何が公民にふさわしい政治的教養なのか、平和で民主的な国家をつくるためには、子どもに何を教えるべきなのかを考えて欲しいですな。」

 

――先生たちは授業中に時事問題についての“雑談”をしなくなりましたね。先生の雑談は子どもに社会への目を開かせるのに効果がありましたが……。

 「かつては授業で時事問題や社会についての自由研究がありました。いまはそういうことをあまりやらないようですね。」

1984年(昭和59年)7月11日(水曜日) 毎日新聞

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