ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

第12回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会のご案内-2

2016-07-08 02:36:28 | Weblog

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第12回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会のご案内

2016-07-06 23:57:52 | Weblog

申込先 〒332―0023 埼玉県川口市飯塚1-12-53

            国分一太郎「教育」と「文学」研究会(事務局) 榎本 豊(宛)

                                 電話 FAX 048-256-1559

*宿泊・交流会に参加を希望される方は、7月15日(金)までに、葉書・FAXで申し込んでください。

*7月23(土)さくらんぼ東根12:07着(つばさ131号)の方は、青松館のバスで会場までご案内いたします。

 

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(七)表記のきまりにしたがって書いていることをほめる    心のケアと自立のための日記指導-26

2016-07-01 12:52:58 | Weblog

             心のケアと自立のための日記指導-26

 

(七)表記のきまりにしたがって書いていることをほめる

 

 □しっかりとした文字で書いている

 □ならった文字をつかって書いている

 □くっつきの「は」や「を」がきちんとかけている。

 □「つまるおと」の「っ」や「ょ」が正しくつかわれている。

  □話したことばを「  。」を使って書いている

 □行をかえて、会話をかいている

 □「、」の打ち方

 □短い文で書いている

 □段落に分けて書いている

 

 表記の仕方をしっかりと身につけていればより行動や心の動きなどが、明確に表現されます。これこそ、表記の決まりにしたがって書くことの良さと言えます。

 また、「段落」に分けて書くことができるということは、「時間の経過」、「場面の転換」「ことがらもまとまり」「状況の変化」等がが、意識できていることで、これまた、物事の理解や認識にはたいせつなことといえます。

 形式からではなく、内容とむすびつけて、段落の意味を理解させ、段落を意識して表現できる力をつけていく必要を感じています。

 こうした対象の理解、確認のためにも、「段落」の指導もぜひしっかりと位置づけていきたいと思っています。

 どの子にも、表記のきまりに従って書けるようにするには、具体的な作品を使って、「「原稿用紙の使い方」についても、一斉にしどうすることも必要です。学級で生まれた作品を、原稿用紙に、表記のしかたにそって書いたものを、「視写」あるいは「聴写」させます。そうして、表記のしかた、書き方の基本を理解させたあとで、その定着をはかるためにほめていくとより効果もあがります。

 参考までに、「原稿用紙の使い方」の例をあげておきます。

 

 

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神奈川県作文の会学習会のご案内 新聞紙スリッパを作って・書いて・つながろう

2016-06-30 15:00:46 | Weblog

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(六)行動や心をはたらかせたことを書いたこと   心のケアと自立のための日記指導-25

2016-06-27 10:00:40 | Weblog

心のケアと自立のための日記指導-25

 

(六)行動や心をはたらかせたことを書いたこと

 

□よく調べている場合…長さや形をていねいにしらべているのがよい。

・からだの大きさは、1センチ2ミリで、からだをぜんぶのばすと2センチにもなります。しょっかくが伸びると5ミリになります。口がみじかいしょっかくのあいだにありました。

(「でんでんむし」2ねん・けい子)

□よく見ている場合

・まゆ作りのはこにいれてあげました。すると、かいこは、あたまをふりながら、くものすみたいに白くてほそい糸をだしていました。

(「六ぴきのおかいこさん」2年・ゆう一)

□よく聞いている場合

 

□対象へはたらきかけている場合

・でんでんむしを手のひらにのせたら、くすぐったかった。それで、つめたかった。それで、1ぷんかんに、5センチメートルあるいた。

・まゆをナイフできってみたら、さなぎになっていました。だっぴしたかわもはいっていました。

(「六ぴきのおかいこさん」2年・ゆう一)

□比較して考えている場合

・「北岡先生は十年間。大河内先生は、九年間。広竹先生は、十一年間。栗原先生は四年間、船越小学校にいてくださった。」

と教頭先生がおっしゃいました。私が生まれる前から北岡先生は船越小学校につとめていたなんて、ずいぶん長い間なんだと思いました。(「りにん式」4年・陽子)

 

□疑問に思ったことをたずねている場合

・わたしは、夕ごはんの時に、おかあさんに、

「なぜジャガイモに、はいをつけるの。」

ときいてみました。(「ジャガイモを花だんにうえたこと」4年・有子)

・田んぼを見にいったその時、お母さんが、

「これは、機械で植えてあるよ。」

と言いました。ぼくは、どうしてそれがわかるのかと思って、

「どうして。」

とお母さんに聞きました。お母さんは、

「なえが小さいから、機械で植えているんだよ。」

と言いました。田んぼを見ると、手で植えてなくて、機械で植えたことが農業をやっているお父さんとお母さんには、分かったようでした。

(「初めての田植え」5年・安史)

 

□意見や考え方に心をうごかしている場合

・桜井君が、意見を言いました。

「尾崎君は、これまで中心になってやったことがないから尾崎君にこういうことをやらせたいです。」

と言いました。そのつぎには、露崎さんが手をあげて、

「長島君は、ふざける所があるから、そういう所は尾崎君がいいと思います。」

と言ったので、それもそうだなあと思いました。(「尾崎君に手をあげてよかったな」5年・浩二)                 

 

□具体例を」出して説得している場合

・うちのおかあさんはすこしふとっています。 わたしが、

「バレーボールやれば。」

といったら、

「よしみがならっている先生だから、おかあさんがならうなんておかしいでしょう。」

と言いました。わたしは、

「加とう美な子ちゃんのおかあさんもそうだよ。」

といいました。(「お母さん」2年・よしみ)

 

□問題点を整理して書いている場合

・そこは、しまもようがななめの線のようになっていて、順番に、こげ茶色、茶色、おうど色、はだっぽい色と、色がちがっていた。色だけでなく、土や砂、小石のそうといろいろちがった種るいのものが重なっていて、ちょうどサンドイッチを何枚も重ねたようだ。

 その地そうを見たりさわったりしているうちに、いくつかの問題や疑問点が出てきた。

①地そうは、表面だけでなく、山おくまで続いているか。②どうして、地そうは、しまもように見えるのか。③どうしてしまもようが、ななめになったり、横になったり、たてになったり、まがったりしているのか。④どうして土なら土、砂なら砂と、かたまっているのか。⑤地そうはどんなはたらきでできたか。

ということなどだった。(「地そう」6年・はじめ)

 

 日記に書かれている文章の部分にふれて、こうはげますことは、「このように日記に書くことができたのは」、日記に書いている」出来事が展開しているその時の心のはたらかせかたが良かったと評価していることになります。

 日記に書く赤ペンは、文章全体を読んで、その子に励ましたいこと、伝えたいこと、ほめてあげたいことを書くようにもなりますが。どちらかというとこのほめる視点は、作品の部分に見られる表現から、その人の、その時、よく耳をhたらかせていたのですね」という言葉かけのように、その時のその場面での五感の働かせ方の良さをほめたりもします。

 これは、具体的な行動を評価されていることになり、「認識操作の方法」といわれる、そのときそのときの行動のしかた、心のたたらかせ方を評価されることによって子どもたちは学んでいくことになります。

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(五)必要な説明を入れて書いたことをほめる   心のケアと自立のための日記指導-24

2016-06-26 22:53:46 | Weblog

心のケアと自立のための日記指導-24

  (五)必要な説明を入れて書いたことをほめる

 

□自分との関係や年齢の説明

    二さいのおとうとのやっちゃんが       (「どろあそび」2年・まゆみ)

□行動の説明 

・わたしは、さっき言わなかったから言おうとおもったけど、内田君が手をあげていたのでやめた。それはなぜかというと、内田君は、さっきもわたしと同じような意見だったけど、なんだかすごくうまく言ったような気がしたのでやめたのだった。(「新聞紙事件」6年・弘江)

□状況の説明

・ 三月十日、はま見台のマンションにひっこします。だから学校がかわります。

わたしが、

「なんでひっこすの。」

と聞きました。お父さんが、…。

      (「ひっこし」2ねん・あき子)

 

・おばあちゃんの 大きいばあちゃんが、しんじゃった。その 大ばあちゃんは、足が いたみながら しんじゃった。85さいで しんじゃった。

 おそうしきに いきました。ぼくはなきそうになりました。おじいつあんが ないていました。

 

□会話の部分の説明

・「ここに ねて。」

とベットをさしていいました。

・わたるくんが、

「かくれ家№2を作ろうよ。」

といいました。どうして、№2というと、ぼくが二年のとき、かくれ家を作ったことがあるからです。そのかくれ家は、ちょっと小さかったけど、外をのぞくあながありました。

□自分の心・気持ちの説明

・でも、わたしは、学校がかわるのがいやだと思いました。なぜかというと、ほかの学校だとしらない人ばかりだから、すぐ友だちができるかどうか、心ぱいなのです。(「てん校」2年・あき子)

 

□行動や状況の説明

「えー、ベランダで寝るの。」

とお母さんが、あきれた顔でいいました。

 ぼくは、今の家に引っ越してきた日から、一度はベランダで寝てみたいなと思っていました。お兄ちゃんの部屋のとなりの山がわのところにはたたみ二まい分ぐらいのベランダがあるのです。そのベランダで寝るという夢を今日実現しようと思うのです。

 あついあつい熱帯夜が続いて寝苦しかったので、なんとしてもベランダで寝たかったのです。それに夜は、月や星が見えて、とてもきれいだからです。

 夜ごはんを食べていると中、お父さんとお兄ちゃんが、

「やめたほうがいいよ。」

と、かわるがわる言いました。けれども、ぼくは、一度きめたのだから、(「ベランダのねごこち」5年・達成)

 

 「読む人にもよく分かるように書こう」という言葉かけによって、子ども達は事実をありのままに表現していきますが、文章の中に以下にしめすような「必要に応じて説明」していくことによって、事実をありのままにとらえるだけでなく、自分をふくめて、とりまくすべてのものごとの状況や関係を意識することになり、起きていることがらを客観的にとらえることができるようになるからです、

 弟であることを意識すること、年齢を意識したときに、あるいは性格といったものなどが、その時の弟の行動の背景にあることに気づくことができるのです。

 自分が、なぜそういう行動をとったのかその行動の理由についてふれることで、自分の行動の正当性を主張することもできるし、自分の心の中でそれを確かめるようになるからです。

 会話の前後の状況をおぎない、その会話を自分の視点で表現できることは、会話への意識の高まりがあったからです。こうした会話の部分をきちんと説明して記述できることこそ、よりふかい理解、認識につながっていくことになるからです。

 したがって、もの」や「こと」「ひと」へのさらなる理解のために、必要な説明をいれて書くことを子どもたちの求めるのです。

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(三)したこと、見たこと、話したり聞いたりしたこと、…、を書いていることをほめる心のケアと自立のための日記指導-23

2016-06-18 07:44:57 | Weblog

心のケアと自立のための日記指導-23 

 

(三)したこと、見たこと、話したり聞いたりしたこと、

                …、を書いていることをほめる

 

 □行動を書いているもの

 

 □見たことを見たとおり書いているところ

 

 お父さんは、「ちょうでんじひげ、いくぞ。いいか。」といいました。たつやは、おさえているあごを、ぐうっとおしました。お父さんは、おさえているたつやの手と手の間にりょう手を入れて、たつやの顔をもちました。たつやはおもいきって、ぐうっとおしました。お父さんの手は上向きになって、たつやの方を見て、一生けんめいたつやの顔をひきつけました。たつやは一生けんめいお父さんのみじかいひげのはえているあごをおしています。

 

 □数量や形大きさを書いているところ

 □そのときの天候やまわりの状況を書いているところ

 

日記に書こうとえらんだ出来事は、書き手であるその子の考えや行動が中心になって展開していくことはいうまでもありません。けれどの、その子どもの行動や思いは、自分からものごとにはたらきかけたものだけでなく、まわりにあるものやこと、あるいは人や自然や社会や、文化や歴史といったものなどの影響もうけているわけです。

なかでも、出来事が展開する、時、所、場面。ものやこと、人、それをふくめた状況は、ときには圧力をくわえたり、逆に意欲を高めてくれたりもしています。行動や気持ちに大きな影響をあたえているのです。

具体的には、その時々に五感やこころのはたらきによって、目にしたこと、耳にしたこと、手やからだでふれたこと、鼻や舌で感じたことなどが、大きくその人のこころや行動に影響をあたえているのです。

したがって、ものごと、あるいは出来事を理解するためには、目にしたこと,耳にしたこと、自身が行動したことなど――これを事実といったりもします――をとらえてそれを書くことができなければ、できごとの展開をしっかりとらえているとは言えません。理解しているとは言えません。

だからこそ、一つのものごとのとらえ方として、時間の経過とあわせて、したこと見たこと聞いたことなど、事実にそって表現することが求められているのです。だから、そう書かれているところをほめるのです。

 

(四)描写して書いていることをほめる

 

(前略)

 あたりは、真っ暗で人はほとんどいなかったので、堤防の上にのぼって、とおくへなげました。それを三回ぐらいくりかえしていたその時…、

「ババババババン。」

さおがもていかれそうになりました。だけどぼくは、ひっかかったのかとリールをまきました。そしたら、

「ぐぐん。」

ときたので、ぼくはおもいっきりリールをまいて近くまでひきよせました。赤くきらきら光っていて、星のようにも見えました。ぼくは、お父さんにさおをわたして「たも」というあみを用意しようとしたら、近くの人がかしてくれました。そして、その人に魚をすくってもらいました。

 魚は、きらきら光っていて、あみの中でぴちぴちはねていました。魚なのに、グーグーとないていて、歯がするどくて、ぼくは「かまれたら痛そうだな。」と思いました。色はピンクの色に青い点々がついていました。目は黒く光っていました。せびれのとげは、いかにも「たい」と、いいきかされているような気がしました。尾は、少し曲がっていて、尾の先は少しとがっていました。

 お父さんは、びっくりしたようすで、

「すごいな。」

といいました。ぼくもこんな大物がかかるとは思わなかったので、「すごいな。」と思いました。

(中略)

 そして、行きにえさを買った「えびす屋」に行って、

「魚たくをとってください。」

と言ってたのみました。お父さんは、車の中でなっていると言ったので、お父さんからお金をもらってまちました。重さが1、1㎏で、大きさが39cmでした。(以下略)

                          「初めて真鯛をつったこと」5年 桑原 康人

 

 □その時の様子をくわしく書いているところをほめる。

 □まわりの様子を書いていることをほめる

 □今も目にしているように書いていることをほめる。

 

                      

 テレビが おわってから、わたしが、

「ゆきがっせん しよう。」

と はじめに いったら しげみさんも いって、みんなも いい出した。そして、先生が、そとを見て、「すこし、そとへ 行こう。」

と いいました。みんなが、

「わあい。」

といって そとへ でました。

 ゆきは、わたしの かおに あたって、つめたかった。山が まっ白だった。わたしは、ふでばこぐらいの 大きな ゆきの かたまりを つくって、田なべさんの おしりに あてました。そしたら、「パチン」とおとがしたから、「うふっ」と わらったらくみちゃんも わらった。そして、すどうくんが きた。そして、大きな ゆきを わたしに あてました。そして せなかの 中に どさっと はいったから、わたしは おこって、

「やだっ。」

と いって、大きなのを つくって あって やった。

 上を 見たら、水の 中で 虫が およいでくるように ゆきが ふってきます。先生が、

「うおっ。」

と、いって、たいそうふくを きて しょくいんしつの ドアから はんずぼんに ながぐつを はいて とびだして きました。そして、わたしは こころの 中で 先生の せなかに あって やろうと すごく つめたい ゆきを えらんで 大きなのを つくって、先生の はしるのを おいかけていた。ゆきが たくさん つもって いた。はしるたびに さくっ、ざくっと おとが して おもしろかった。そして、もっていた ゆきを 先生に あてようとしたけれど、ずれて あたらなかった。

 みんなは 先生を おいかけていきます。 先生は ひとりで にげt いきます。わたしは、くやしいから、もう一つ つくって そばに かけて いって ぶつけたら、よく あたった。

 先生は、

「みんなに ぶつけられるから、つめたいよう。」

と、いって からだを ゆらして、あっちへ にげたり こっちへにげたり するから おもしろいので、みんなに おいかけられて ぶつけられて います。わたしは 十かいぐらい あてました。(以下略)

                                         「ゆきあそび」1年 ふじわら 千え子

 

 事実を見つめさせるために、描写をだいじにします。これは、状況やものをよく見る事につながるからです

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新聞紙スリッパを作って・書いて・つながろう -神奈川県作文の会学習会のお知らせ

2016-06-15 17:21:45 | Weblog

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心をケアし自立をうながす「ほめること」 ー 心のケアと自立のための日記指導-22  -

2016-06-10 11:27:46 | Weblog

心のケアと自立のための日記指導-22 

四 心をケアし自立をうながす「ほめること」

               

―日記や作文のほめかた、励まし方―

 

 

 

 子どもが書いた日記には、どの先生も、感想をひとこと書き入れるたくなります。一人ひとりの子どもによりそって、ほめ、はげますことばを「赤ペン」などと呼んだりもしながら、書いてきたのではないでしょうか。

 

 日記指導が、多くの場合、子どもの書いたものを「ほめる」ことから出発し、書いた文章をもとにしながら学習が展開できるところに、私は大きな意義を感じています。

 

 自分の書いた文章にそくして励まされる。自分が書いた文章、あるいは事実から具体的に、ほめられます。――子どもにとっては、とてもわかりやすいことです。そこでは安心もし、自信も与えられ、どう行動していくか、その道筋がみえてくるからです。

 

 

 

(一)文章そのものをほめる

 

 

 

 一人ひとりによりそって、書かれた内容におうじた様々なほめかた、はげましかたがあります。けれども、その子におうじて、書かれた状況や内容におうじてくわしくはここではふれません(注)。が、日記に書かれた文章をどのような観点からほめ、励ますことが、子どもの心のケアにつながり,自立をうながすことになるか――これこそが文章表現指導の特長だと言えると思いますが――を中心にここでは話していきます。

 ここでも日記にとどまらず、作文の中からも、こんなところに注目してほしい、こんなところを取り上げたいという記述をひろいだしていきます。

(注)その子におうじて、内容におうじて「赤ペン」をどのように入れるかは、名著『日記指導』『日記の見方・書かせ方』『子どもをはげます赤ぺん《評語》の書き方』(亀村五郎著)をご覧下さい。

 

 またこのときのコツとして、まず、書かれた文章そのものをほめるというのが第一で、次に、そう表現できた理由を考えさせるのが次の段階です。

 *書いたこと

 *書かれていることがら(内容)

 *一つのことを書いていること

 *題材のえらびかた・めったにない題材をえらんだこと

 *題のつけかた

 *書き出しかた

 *自分の気持ちをすなおに書いたこと

 *したことをしたとおり、見たことを見たとおり書いていること

 *ものやこと数量や動きを書いたこと

 *会話を書いていること

 *いつ、どこでの話かわかるようにかいたこと

 *したことの順・時間の経過にそって書いていること

 *「むすび」に、自分の考えをはっきりと書いたこと

 *必要な説明を入れて書くこと

 *こころをはたらかせたことを書いたこと

 

 この中には、とりあげてはげます必要性について、これまで話したことと重なりも出て来ますので、ふれなかった部分をいくつかとりあげます。そして、なぜ、そうした表現に目を向けるのかを述べていきます

 日記の中にあるよさをとりあげてほめるとき、いくつもとりあげたくなります―たとえば「書き出し」のよさは、したとおり、見たとおり書く記述の良さともつながります、また、組み立て=構成ともいえる、「したことの順」に書いているよさにもつながっています。ですから、一つの日記から、いろいろなよさをとりあげることができます―けれども、あまりよくばらずに、この日記では、「このことを」と、一つのことをとりあげていきます。それは作品の「部分」を取り上げることにもなります。

「部分」を取り上げることで、どの作品からもそのよさを見つけることができ、こどもにとっても具体的になりわかりやすくなって身につきます。

(二)したことの順にかいていることをほめる

 

 □順序よく書いているもの

   孝幸君といっしょに走ったこと

                5年・英喜

 七月十一日の水よう日に、ぼくが、家のそばであそんでいたら、坂のしたの方からだれかが走ってきた。

どこかで見たことがあるみたいだなあ、だれかなあと思って、ずっと見ていたら、同じクラスの孝幸君みたいだけど、でも、ちがったらいやだからもう少し見ていた。

 それで孝幸君とわかったので、道のむこうがわにわたって、ぼくは、孝幸君に、

「なんで走っているの。」

と聞いたら、孝幸君が走りながら、

「おはようサンデーマラソンに出るから、れんしゅうしているの。」

とうれしそうにいった。

「じゃあぼくも、いっしょにはしってあげる。」

といったら、

「いこう。」

といってはしりはじめたので、ぼくもいっしょ走っていった。(以下略)

 

 連続する生活の中から、一つの出来事として切り取って、その出来事について、自分のこととしてとらえること、理解したり、自分の行動を自覚することの大切が、心のケアにつながることを、くり返し述べてきました。

 日々の生活の中に起きる出来事は、多くの場合、何かのきっかけ、あるいは行動があってはじまり、それが時間の経過とともに進んでいって、何らかの形で終了します。

 その出来事のきっかけへの意識をもたせるのが「書き出し」の指導でしたが、その出来事を「ひとまとまりのこと」としてとらえるためには、その出来事を時間の経過に沿ってふりかえることです。すなわち「時系列」でとらえることによって、原因や経過そして結果がみえてくるのです。なぜ、そのことに心を動かしたか、喜怒哀楽を感じたかが見えてくるのです。そして、その出来事を、ことばに表現することで、特に文字に固着する、日記を書くことで理解がさらに深まるのです。

 分析したり総合したりしてものごとをとらえることも必要ですが、時間の経過にそってとらえる力を身につけることは、まわりが見えて理解きることにもなり、「安全」「安心」につながり、そこから行動する方法が見えてくるのです。

 

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「はじける芽」理論研究会 5月例会のご案内

2016-05-27 17:38:22 | Weblog

「はじける芽」理論研究会 5月例会のご案内

日 時  2016年5月28日(土)PM1時~5時 

場 所  駒場住区センター 目黒区駒場1-22-4

*京王井の頭線・駒場東大前下車。改札前12時45分に集合。

 

◇講 義 「とつおいつ82」 (乙部武志さん)

◇提 案 国分一太郎・学芸大学特別講義

「国民学校令と国語・綴り方教育」 ―第8回― (田中定幸さん) 

☆報告:「とつおいつ81」

◆講義の最初に、資料が配られました。『夫も教師 妻も教師』(村井実・丸岡秀子編、明治図書、1962年刊)の中から、「批判し合い はげまし合い―考えの合う仲のよい人たちを羨んだこともあったが―」という表題がつけられている部分のコピー。そして、この部分を執筆した「夫」の名は、「山田賢一」(山形県東置賜郡那賀川小学校)、「妻」の方は、「山田とき」(山形県東置賜郡沖郷小学校)。◆ずっと話そうと思っていたことの一つ、と。人物評伝というもの(子供向けのものでは「伝記」)、それを記述していくこと・書いていくことの難しさをまず一番に取り上げたい、というお話からスタート。◆その一例として、『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年』の紹介がありました。「山びこ学校」の43人の教え子たちと無着成恭の40年後を追ったものだそうですが、筆者の佐野眞一、足で稼ぐというのでしょうか、すごい難儀をしながら取材活動を続けたことが紹介されました。◆石川啄木の父親、一禎が乙部先生の故郷、青森県上北郡野辺地町にある「常光寺」に一時滞在していたことは前回の話の中に出てきていましたが、その常光寺に関して、さらに耳寄りな話。その常光寺の息子さんとは小、中学校時代同じ学校に通っていて、レコードを貸したり借りたりするような仲。常光寺には当時の乙部少年、しょっちゅう出入りしていたのだそうです。◆その息子さん、後に先代から引き継ぎ、住職になるのですが(もう亡くなられたとのことです)、啄木の事情などもっと早くに分かっていれば、啄木に関する資料など集めることができたのかも知れないと話していました。そんなことを考えていたところに、やはり前回紹介がありましたが、ドナルド・キーンの新聞記事(石川啄木の評伝が完成したという話:東京新聞)を発見。この評伝には、啄木だけでなく、啄木の父親、一禎のことなどもたくさん出てくるようで、「我が故郷」でも何か出ていないかと探してみたところ、『啄木の父一禎と野辺地町』(高松鉄嗣郎・著)というのがあり、その本を1冊入手。筆者の、この高松鉄嗣郎氏、実は乙部先生のお兄さんと同窓・同学年だった方だそう。この方しょっちゅうご実家を訪ねてはお兄さんと酒を飲み、時に酔いつぶれて「うちに泊まる」ことが何度もあったとのこと(姪御さんに電話で聞いてみたところ、そういう話だったそうです)。◆高松鉄嗣郎氏は、郷土史家としては有名な方のようで、この本を読んでいくと今まであまり知らなかったようなことまで、いっぱい出てくるそうです。(1)その一、一禎は、短歌に関しては啄木に優るくらい優秀な父親だったらしいこと。(2)その二、初めて知ったこと。「啄木の父 石川一禎 終焉の地」という標柱の写真がこの本に掲載されており、その場所が高知になっていること。(3)その三、一禎は岩手の曹洞宗のお寺の住職をしていたが、寺の山林を売り払い着服したみたいなことがあって、寺を追われている。しかし、それはどうも私腹を肥やすとかのためではないらしい。どういうことなのか、その辺の真相をつかむのは中々難しいようである、といったこと。◆国分一太郎は、『宮沢賢治』という本を出しておきながら、「本当は石川啄木について先に書いておくべきだった」のような内容のことを話していた。ナゼなのか。『宮沢賢治』(福村書店・1952年初版)を読んでいくと、評伝というものは難しいものだと思わせるふしがいっぱいあるとして、この書の「まえがき」の書き方に言及。宮澤賢治は、農業政策についても考える人間であり、肥料などについても村の人たちに指導する立場にあったけれども、「農業」に関して、国分一太郎の立場からは、こういうところに踏み込んでもらいたかった、というようなことがかなりたくさんあったのではないか、不足を感じていたのではないか。そこから、石川啄木を書いておくべきだったという言い方が出てきているのではないかと思う、とのことでした。以下、『宮沢賢治』の「まえがき」の資料です。

◆ 宮澤賢治の作品集や、彼の一生をかいた本はかぞえきれないほど出ております。みなさんが読めるように作ったものもたくさんあります。それで、わたくしは、彼の生いたちから死ぬまでのことを、こまごまとかくようなことはやめようとおもいます。それよりは、彼の文学の読みかた、彼の思想についての考えかたを、みなさんといっしょに勉強するような本をつくろうと思います。

 さいわいに、わたくしは、宮澤賢治と同じ東北の人間であり、また貧しい村の子どもの教師をしたこともありますので、賢治がどんなところにいて、文学をかき、農民のためのしごとをしたかが、よくわかります。だから、そこを出発点としてお話をすすめていきたいと思います。

 そのために、まず、彼の 「グスコー・ブドリの伝記」という童話をよく読んでみて、そこから、さまざまな問題をだし、そのひとつひとつについて考えていきたいとおもいます。

 そのなかで、わたくしは、宮澤賢治のすぐれているところと、宮澤賢治がおくれていたところを、はっきりさぐりだすつもりです。

 そうすると、わたくしのこの本は、いままでになかったような風がわりな「宮澤賢治」の本になるかもしれません。そして、なかには、まちがっているといわれるところも出てくるかもしれません。それは、わたくしの勉強のたりないところでしょうから、これからも、よく勉強するつもりです。けれども、わたくしは、わたくしがこの本でやってみるような宮澤賢治についての考えかたが、そろそろ、みなさんのところにとどけられてもよいのではないかという気がします。もし、そうしなければ、宮澤賢治が、わたしたちにのこしてくれたものと、のこしてくれなかったものとが、はっきりしないからです。それよりも、この本をだしてくださる福村書店で、前からだしている「中学生歴史文庫」をよんで開かれたようなみなさんの歴史的な目が、すんだ目が、「うん」と承知してくれないのではないかーと思われるからです。

 ある文学者は、宮澤賢治をほんとうに正しく研究することはできないといっています。それに役だつ材料が少ないからだそうです。

 でも、わたくしは、これからみなさんといっしょに、それを、すこしでもやってみようとおもいます。 

著者  『宮澤賢治』(国分一太郎著 国語と文学の教室 福村書店)より。

 

◆『おじいさんの出場』について、どのような考えのもとに、この作品が書かれたのか分析がありました。『おじいさんの出場』は、ある意味で国分一太郎の大事なメッセージが込められた「書き置き」みたいな感じがあり、そして、最も関心のあった農村の事情、農業の事情にふれた記念すべき作なのではないかとのことでした。*山形における「青物」の話など、詳しくあったのですが、私にはまとめきれず、割愛いたします。お話の中で紹介のあった「「あとがき」は、以下の通りです。

◆この読み物を書くについては、長いあいだにわたって、つぎのかたから、たくさんのことをお聞きしたり、また、おせわになったりしました。

 それをじゆうぶんにはいかしきれなかったことのおわびもこめて、ここに、あつくお礼もうしあげます。

・いまは死んだ、国分清七さんと、その妻トメさん。そのむすこの国分清一さん (そのとうに戦死したにいさんは清一郎氏でした。)

・いま山形県南陽市に住んでいて、高等菌類・マツダケにかんする科学的、実証的な研究で、大きな業績をもっておられる山田賢一氏と、その夫人ときさん。

・キノコには関係がないが、山形県村山市大久保で父親、勘三郎氏のつくりだした『あらきそば』を、その仕事のうえでのちえをうけつぎながら、さらに、さらに、うまいものにしつつある芦野又三さんとそのおくさん。

・青年時代からの友だちで、いまは、わたしたちのうまれた町(現東根市)で、文化財保護委員をしている、ふるさとを愛する心のつよい、『奥の細道』研究家の、東海林隆氏。

・職業がら、としよりからの聞きとりがじょうずで、それを、わたくしに、なにかとよく教えてくれる、これも父親のあとをついで金銀細工を業とする、わたくしの妹マサの夫君である早坂次郎さん。

・それに、めんどうなことばかりしでかし、いろいろな目にあうわたくしを、なにくれといたわってくれ、死んだ父母のめんどうを最後までみてくれ、また、東北、世間でのできごとなら、行商をしているせいで、よく知っていて、大小となくかたってくれ、町内のことなら、どこのカキの木が一本かれたことも、どこのとしよりが、八十一歳で死んだことも、なにかと知らせてよこしてくれる、よい伝統愛好家の、実弟、正三郎くんとその妻君ハルヨさん。

 どうもありがとうございました。(一九七二年 五月 国分一太郎)            

(『おじいさんの出場』国分一太郎著 北島新平絵 あすなろ書房)より。

◆「あとがき」に出ている山田賢一氏に関連して、講義の最初に配られた資料、『夫も教師 妻も教師』の解説がありました。乙部先生自身、山田ときさんについてはよく知ってはいたものの、ご主人の賢一氏については知らなかったということと、さらには、長女和子さんの下に、二人の妹さんがいたことなども初耳で、たいへん新鮮な気持ちでこれを読んだとのこと。このように、人間関係やさまざまな事情など、たくさん知らないことがあり、人物評伝なども、いろいろな方向からみていかないと難しいところがあるのが分かりますと話がありました。◆話の最後に、乙部先生から、山田ときさんの本、『路ひとすじ』(正・続)2冊の紹介がありました。田中定幸さんが、この本(正の方)の中身を詳しく紹介してくれました。幼子の和子さんを背負って取り調べを受けに行くという話の中身でしたが、その辺、テープ起こしをしているうちに、もしやと思って田中さんのブログの『ツルピカ田中定幸先生』を調べてみたら、「ビンゴ!」でした。『路ひとすじ』の紹介が載っていました。2016年3月17日、「路ひとすじ」山田ときさんを偲ぶ-1、3月19日 山田ときさんを偲ぶ-2「辞令をもらって」、4月29日 偲ぶ-3「みどり児と牛乳びん」、4月30日 偲ぶ-4「子どもと生きようとして」、5月1日 偲ぶ-5「子どもと生きようとして②」、5月2日 偲ぶ-6「流されて」、5月4日 偲ぶ-7「新入のころ」、5月6日 偲ぶ-8「新入のころ②」、5月8日 偲ぶ-9「新入のころ③」、5月16日 偲ぶ-10「新入のころ④」等々。連載はまだどんどん続くようで楽しみです。2箇所(一部分ですが)引用しておきます。以下は、田中さんが、当日話していた部分です。長いので、途中で切ってありますので、詳しくはブログを。★ 「みどり児と牛乳びん」

  私は一女の母となり、日増しに激しくなる戦のなかに生きていた。昭和十七年一月、警察からの呼出し状がきた。国分先生の治安維持法違反事件に関する証人という名義の呼び出しだった。私は長女の和子をおんぶしていった。すぐに用はすむという話だったので、もちろん、ひる飯の準備も、子どものおむつ、牛乳も持たなかった。産後休養が終わり、教壇に立つようになると、だんだん乳が不足して、混合栄養で育てていた。ところが山形の特高からは係のものがまだきていなくて、冷たい部屋で何時間も待たされた。

 和子は背なかでぐずついて泣きだす。私は子守うたを歌いながら、部屋のなかをぐるぐるとまわり、なんとかして眠らせようとあやしたが、どうしても眠らない。おむつもよごれたのだったろう。いよいよ係の人がきたらしく、小使が火を持ってきた。

「じや、はじめよう」と、書類をパサッと机の上になげて、あぐらをかいた。

 その時はひる近くでなにをきかされたのか印象になく、「このへんでひるにして、あとは午後にしよう」ということばだけを記憶している。とにかく、二こと三こと質問ですぐにひるになってしまったのだった。ひる飯のないことを話すと、不心得だと叱りつけられたが、署の人たちと何か話し合ってきたらしく、ひる飯をたべに帰された。

 私は急いで帰り、すぐにおむつをとりかえて、牛乳を飲ませて、ひるをすませ、おむつと牛乳びんを持参してまたすぐ出向いた。……(以下、略)。

(2016年4月29日 『ツルピカ田中定幸先生』より。山田ときさんを偲ぶ-3)より。

◆…… 次回は、『路ひとすじ』の中から、いくつか紹介させていただく予定。

 なお、山田ときさんの著書、『路ひとすじ』『教室の記録』(国分一太郎との共著)は、「日色文庫」で、借りることができるはずである。

  日色章 (綴方理論研究会・国分一太郎「教育」と「文学」研究会)

  連絡先 286-0201 千葉県富里市日吉台5-7-4 

                            電話 0476-92-3459

(2016年3月17日 「路ひとすじ」山田ときさんを偲ぶ-1)より。

 

◆日色さんの名前が出てきたところで、この日のメインの提案に入りました。

 

☆報告2:増田俊昭さんの授業のVTR鑑賞・検討(日色 章さん)

◆日色さんが地元の施設から借り出して、重いのを我慢して持ってきたプロジェクター。

残念なことに、何が原因か音声が大きくならずもったいなかったです。◆前段に、東京作文協議会での講演?のVTR。講演者は村山士郎。38分近く講演を聞き、途中で切りましたが、みんな、何を語っているか辛抱強く聞いているので、びっくりしました。短気で、決めつけの激しい私には、とても我慢がなりませんでした。補聴器をつけていても聞き取れなかったことと、聞きたいという気もなかったもので、この人の話、聞こえなくて幸いでしたけれども、今井成司さん、何で村山士郎などを講演者に選んだのでしょうか。私には分かりません。◆後半3月4日、大阪で実施された「生活綴り方授業研究会」のVTRを鑑賞。日色さん、田中さんが参加で、今後もいろいろな情報が入ると思います。このクラスの児童が書いた『あざ』という作品をみんなで読み合う、2年生の「綴り方の勉強」でした。VTRを見ながら、いろいろな意見が出たのですが、すみません、時間切れ。割愛します。この授業に関する資料等は、『つづり方フォーラム・21』に詳しく載っていますので、興味のある方は、

『つづり方フォーラム・21』

http://www.tudurikata-forum21.jp/

 

にアクセスを。

 (文責:工藤 哲)

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