オリンピックを目前に控えた中国に行ってまいりました。目的は旅順博物館大谷コレクションを見ることが出来るというものだった。
その他、大連、瀋陽も訪れ、かっての日本が関わった満州国がどのように成り立ち、そして終わりを迎えのか、初め、二の足を踏んでいた旅だったが、戦争と言う歴史をもう一度見直し、又、満州は多くの日本人が否応なく関わり、戦争にと、突き進んでいった街、傷跡残る過去の歴史がどのような状態で残っているのだろうか、父親が戦争と言う大きな渦に巻き込まれた場所、それも中国でした。
八年間もの長い間、大連で過ごした父親の目は何処を見つめ、どんな思いで暮らしたかをほんの少しだけでも感じることができればと、思い切った気持ちのたびだった。
大谷コレクションとは大谷探検隊のことで、新疆、トルファンやクチャなどから蒐集した多くの出土品で、土器、ミイラ、絵画、織物、古文書等々だ。
大谷探検隊は、日本の西本願寺22代宗主だったとのこと、1902年頃から12年間ほどをかけて実行された。
費用も莫大なものだったとのことだった。大谷探検隊の当初の目的は仏教伝来の道と、仏教資料の蒐集だった。他の多くの国々は発掘を目的にしたこととは大きく違っていた。
従って、国費ではなく自費だったとのことで、後に、蒐集された文物も莫大な費用を賄うために売りに出され、日本、韓国、中国と散らばった。まだまだ、沢山の説明を受けたが、老いた頭では到底覚えきれない。写真を撮れるものと思っていたが、禁止であり残念である。何と、ミイラは9体も見つかり、湿度の関係で中国に移管されたという。 一部東京国立博物館に買い上げられたものについては日本でも見ることが出来る。
大連観光:大は日本統治時の満鉄関連の建物等が今でも使われなら、残っている。日本人が多く住んでいた住宅街、ロシア街等見るところが多い。町全体が大きく、中山広場から見る景色は美しい。残念なのはスモックなのか、霧なのか街の空気が澄んでいないことだ。少しづつ写真を交えながら見てみましょう。
大連中山広場です。丸く見えるのは地球を意味しているのだとか、地球上の総ての人々が仲良く一つにの願いがこもっているとの事でした。大連にはロシア統治時代、日本統治時代と長い歴史の中の記憶が生々しく残っております。日本人橋、大連大和ホテル、銀行、病院、鉄道、その他満鉄が作り上げた建築物が当時のままであったり、一部手直しされたり、で日本の影響がいかに大きかったかが窺えるものだった。
夕方になると広場には多くの人々が散策に訪れる。太極拳をする人々、特に、大きな羽根を足で蹴り上げている遊びは面白そうだった。
日本人街の角にあった日本の人が経営しているらしい、との事でした。日本人(満鉄社宅)が多く生活していた住宅街も今は、殆どが立て替えられていて、綺麗になっている。坂の途中にある美しい町並みだった。この日の大連は空気が澄んでいた。アカシアの大連は今の季節、ねむの木が沢山あり花を咲かせて綺麗だった。
ホテル内で本格的な中国茶を、注文し手際の良い所作を目の前で見せてもらった。最高級のお茶だそうで乾いた咽喉には非常に美味しく感じられた。3人で165元は(日本円で1600円くらい)高いのか、安いのか、80元で立派な食事が出来ると考えると高いというべきでしょう。
わき道と言っても、かなり広い道に、思い思いの商店が店を出している。奥にはいると迷子になりそうな為、遠くから眺めただけでした結構面白そうだった。
日本人橋、現在は勝利橋、広い向こう側に見えるのは、満州時代日本橋図書館としたところ。ロシア街、当時の面影を残したまま、手直しされたり塗り替えたりで綺麗になっている。現地の人々にも異国情緒漂う街として人気がある。ロシア街に入る交差点広場には信号が無いのには吃驚した。人はどうやって渡るのだろうか。
どちらかと言うと車優先だそうで、皆でわたれば怖くない。そんな感じで私達も、人の後に付いてわたった。空気がどんよりしている。
何を意味する文字でしょうか。オリンピックに関係した文字でしょうか。
ロシア人街、両側に美しい建物が並んでいる。規模はあまり大きくない。ここの突き当たりのお店でお土産を買った。細工のよく出来た数珠等を買ってみたが、良いものだった。どこかに又売っているだろうと思っていたが、見当たらず、北京辺りでは沢山あるというが、中国製品は日本にも沢山輸入されていても、中国独特の品はやはり良い。
用をたすのに便利なパンツをはいたベビー、可愛らしいったらこ上ない。かっての日本でも見たように思うが?
ロシア街の両側に並ぶ商店。ロシア人形、日本人形も売られているが、中国製だった。
上から赤い紐が下がってくるくる廻っている。ハエを追い払っているのだ。あさり、たこ、いか等の干物らしい。
値段の交渉が面白い。ひどいものでは1/10くらいの値段になる。
此処からは瀋陽へ、中街の看板。ケンタッキーと読むとの事、成程ね。フライドチキンとはどんな文字で書くのだろう。中街とは欧風の建物を模索しながら建てたバロック建築が多い街。故宮博物院の近くであり、賑やかである。お店の前でスタイルの良い、女性と男性がポーズをとり、スラリと立っていた。仕事なのだそうでほぼ一日中立っている。「疲れるでしょう」「いや、本人たちは楽しんでいるのです」とは添乗員さんのお話でした。
瀋陽:故宮博物院門。北京の故宮博物院の1/12の規模だそうですが、相当大きい。世界遺産になっている。後金のヌルハチが北京を瀋陽にも作ろうと、築いたものが瀋陽故宮博物院となっています。建設半ばで終わったが90以上もの建物があり、現在修復中のものも沢山ある。
屋根の上には綺麗な飾り?動物達が見張りをしているようだ。
柱の彫刻、竜が守り。素晴らしい彫刻。
公園の中で中国の人が何か文字を書いていた。素晴らしく上手で拍手をして見ていた。そして、全部書き終わった文字はおじさんのお店の宣伝でした。「してやられた」と添乗員さんは笑っていたが、滅多に見られない極上の文字に感激です。
瀋陽、博物館、日本統治時代に使っていた銀行。内部様子を再現したもの、リアルにできた人形が今にも話しかけてくるようだ。
北陵 此処も世界遺産だ。皇帝達のお墓。
主人が現役の頃、中国で仕事をしていた頃の100元札。今ではあまり使われていないらしいが、問題なく使えた。
お店で出すと透かしたり、他の定員さん達と話したりと時間がかかることがあったが、だから駄目と言うことは一度もなかった。今回はこのお金と別に小さなお金が沢山あったので、お陰でお小遣いは間に合った。兌換券が沢山あるのですが、これは完全にえませんね。残念でした。
最後に満鉄大連本社
満鉄、満州時代の特殊会社。満州支配のために立ち上げた国策会社と言うことは、戦争を知っている人なら誰でも思っていることだろうと考えますが、その証拠に後には関東軍の支配が強まり、やがて大きな権力を持つ、国家機関となった。
満鉄については、多くの事柄がありすぎて書ききれない。この建物も今は、瀋陽鉄路局、大連鉄路局支社として使用されていたが建物は吃驚するほどしっかりと建てられていて、重厚さを感じる。
北京のオリンピクが迫っている。大連、瀋陽(今は沈阳と約されている)も霧か、靄、スモックかと思われる空色で、大連に関してはもっと曇りが強い。咽喉に刺激があるときもあり、交通量が多いからとばかりは思えない。
この日の大連も曇っているのか晴れているのか分からない空模様だった。
長い旅ではなかったが、中国でお金を使う場面では注意が必要と思った。まず、添乗員が10元で行けるといったホテルまでのタクシーは20元を要求された。勿論、断ったが。両替の時、友人は10、000円が620元との事が580元きりなく怒っていた。よく、数えるべきこと。
電車に乗るときもベルトコンベアーで荷物検査をする。オリンピックの影響だろう。とんでもなく後ろから入り込まれ、自分の荷物のふりして持ち去る。
添乗員に助けられた人ありで、大方は親しみやすく、良い人ばかりだが油断は出来ない早業を持つ人が多い。