みみずく迷ブログ

旅、スケッチ、等々、日々の出来事。

山のスケッチ

2008-09-28 16:00:43 | 絵画 :スケッチ:油絵:パソコン画
 山のスケッチを描いて見ましたけれど、山を歩いている時にはゼイゼイ、ハーハが多くて、描くことなどとても駄目です。帰ってきてイメージしたり、写真を見たりで思い出します。下手なりに暇な時には描いて見ようと思うのですがなかなか思うようにはいかないのです。                 鬼押出し風景 描きすぎて煩い   我が家からの風景 空は少しどんよりしておりましたが何故かこの日は山が近  くに良く見えた。  箱根、丹沢、大山は真正面に見える。冬には雪を被った富士山、丹沢山が美し い。   大山をバックに厚木飛行場から飛び立つ飛行機  ゴミではないのです。
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浅間隠山へ

2008-09-27 14:45:51 | 趣味 ハイキング
 飛び石連休の翌日、月一のハイキングです。15名の小型バスは元気の良い
シルバーハイカーを乗せて上信越ハイウエーを走る。
アプローチの非常に悪い山ですが、車は便利に登山口の小広い路肩につけて
くれる。二度上げ峠〜少し手前の倉淵登山口からゆっくりと登る。
初めは石のごろついた湿っぽい坂道だが、程なく登山道としては広く、歩きよいクッションの良い道に変わる。ゆっくりと歩けば喘ぎ登るほどの事もなく、稜線直下まで気分の良い道は続く。やがて頂上まで25分の標識が見えたら道は二分する。此処は右が急坂、左が緩やか。右の急坂を選んで登る。流石に道が荒れてくるが、緩やか道を選んだところで大した変わりは無いようだ。

倉淵登山口から山頂までは普通90分の行程。我々は休憩込みで110分だった。
山頂からの眺めは遮るものが無い。浅間山が手にとるように近い。噴煙も穏やかに見える。


下りは注意が必要だ、沢山踏みあとが付いている。ただ、どの道を選んでも同じところに行き着くので心配は無いが、大きく外れないように木の枝の道標を見落とさないようにしよう。
来た道を戻るだけなので、余り早く歩くと勿体ないような気分の良い道だ。
みつばツツジ、石楠花、が多く、又、秋の紅葉はさぞ綺麗なことと思う。今日は少し季節的には早いようだった。帰りの道すがらの鬼押出しは少し色ついていて、秋の澄んだ空気に輝いて見えた。


一昨年登った鼻曲がり山。大雨で孤立した霧積温泉温泉はこの山の麓にある。紅葉が綺麗だった。
帰りに寄った塩壷温泉1000円と多少高めだが、団体割引で1人850円非常に雰囲気のよい温泉であり、また、一泊したいお気に入りの温泉になった。一泊2食付で15000円だとの事。
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お絵かき:クロッキー教室

2008-09-23 16:20:30 | 絵画 :スケッチ:油絵:パソコン画
 クロッキーのお教室に行ってまいりました。家を出るときには雨はポツリでしたがお教室に着く頃は土砂降りでした。
それでも熱心な生徒さんたちが8人来ておりました。モデルさんから両サイドは書きよいのでしょうか、早く来ている人が場所取りをしております。
私は、まだ場所の良し悪しまで分からないですから空いてる場所に座ります。今日は正面です。
「此処が空いてるよ」と教えてくださる方がおりますが、お隣が上手だと落ち着かないので、広い場所を選ぶ。
初めは15分、2回 次は10分2回、次は5分6回くらいです。途中で休憩が何度もあります。
オーナーが「次何分」と言い、モデルさんに伝えます。モデルさんはハイと言って自分でポーズを決めます。
今日のモデルさんは難しいポーズをとるのでため息がでます。皆さん慣れていて,上手な方達は難しいポーズを喜びます。
早く、難しいポーズを描ける様にと思いますが、鉛筆を削っているうちに終わってしまうような事があり、皆さんに笑われてしまいます。では今日のお絵かきです。

          後ろ向きの裸婦。

15分、なれている方達は5分くらいで描き、色をつけている。


            正面からの裸婦、15分忙しいので
            全体が間に合わなかった。

      10分忙しい


 5分、腕が細すぎて色々狂っている。髪の毛をバラバラにして顔を
隠している。細かいところはさっぱり分からない。こうゆうポーズは目の
悪い人にはとても難しい。他の人も見えにくいなあと呟いていた。



   10分 手がほそすぎて、小さくて腰が太すぎて、厳つい感じに
なってしまった。今日の勉強おしまい。又、来月ね。ってご挨拶して
帰りました。
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猫 フーガ、アキ、メル

2008-09-18 17:04:55 | 身近な人びと:袖すり合うも他生の縁
 猫好きな人たちのところに嫁したことは後で分かった事だが、私が(ここではおばちゃん)好きかというと困ったことに、人様の家の猫は触らずにいられるから、それはそれで可愛いと思うこともある。
その程度の我が家に突然ある日猫がきた。
丁度、今から20年ほど前に(随分古い話と思われるかもしれないが、)遡る.痕跡は現在でもしっかり残っていて忘れられない。

 平成元年に小さな家を建て替えた。老後の生活に寒さは応えると,思い切って、断熱効果の良い家にと銀行の融資を受けて建てたのだった。だから私にとっては大事に大事に使いたい家と毎日せっせとお掃除に明け暮れたのだったが、私より一足先にこの家に住み着いた猫(フーガ)は、自分の存在が主人の次と本能で思っているのだから始末が悪い。

 では何故この猫が我が家に来ることになったかの経緯なのだが。何よりも新築の家にいち早く猫が来たと聞いて、友人達は真っ先に驚いたのだったが、そして私はなおの事吃驚した。
仮住まいの家から初めて新しい家の玄関を開けてみて、いきなりニヤーーオと威嚇されて思わずのけ反った。「な、な、ナンダこの猫は」日頃の柄の悪さはこんな時にばれる。
以下11年間もの間付き合わされてマイッタの猫騒動(私にとっては)なのです。

             僕(フーガの日記)
 僕:名前はフーガって言うんだ。此処のご主人様がつけたのではないよ。僕には(オス)初めから名前があったのだから。僕がどうして此処の家に来たかは僕自身が一番良く理解してるから教えてあげるよ。
この頃、僕はまだ生後6ヶ月だったのよ。だから僕はまだ悪いことする知恵が無かったから可愛いって皆に可愛がられていたわけさ。前のご主人様も可愛がってくれたけれど、僕は悪いことは決してしないと誓ったところがいけなかったね。だって猫だからね猫一通りの事はするよ。

 僕はソマリア種、なかなか手に入りづらい上等な猫様さ。チャンピオンの証明つき自慢するわけではないけれどね。此処の住人、そうご主人様の「奥さん」なんて言いたくないけどね。理解できないよ。僕は猫なんだって事、もう少し考えろって!!そうさ、おいおい話すよこのおばちゃんが僕に何をしたかをさ。

あ、そうそう僕の生い立ち。前ご主人は会社経営していたんだ、一時期は羽振りも良かったのよ、ほら20年前はバブルの頃、僕もバブルで買われたってわけ。

 気の毒な前ご主人は、バブルのコケで一気に破産。悲しかったよ。家も抵当で取られた。後で聞いた話だけれどね。突然工場の倉庫の中に連れてこられたんだ。坊やがマンションに住んでいたんだけれど、マンションは規制があって動物は禁止になっているし、前ご主人が僕の事に悩んでいるときに此処のお父さん(現主人)が尋ねて来たという訳で、僕はこの人が猫好きであると直感したんだ。早速、膝の上にのり思いっきり媚びたのよ。
どうだろう「フーガは知らない人には絶対に媚びないのにどうしてかな」って、前ご主人が言った時にシメタ!ニャンと大きな声で訴えたんだ。

 新しい家には臭いや爪とぎなぞが無い。僕にしては不便な家だけれどこの際、仕方が無いと早速僕は僕の縄張りを知らしめる為に匂い付け(僕にとって最高の匂い)を2.3箇所つくったのよ。
いやあ、おばちゃんは怒ったね。それからは僕の事でお父さんとおばちゃんが大喧嘩をはじめちゃうの。

 それからは、おばちゃんの部屋には入らないように戸を閉められて、僕も嫌だけれどね。幸い、小さな家だから屋上が作られていたんだ。僕はここが大のお気に入りとなって嬉しかったね。お父さんが昼間仕事に行っている間は屋上で好き勝手にしていられるし、時々、カラスが僕をからかいに来るから飛びついて羽をむしり
とってお父さんに見せるんだ。おばちゃんは「ふん」てな事で、何時だってそうだよ。

 僕はお父さんが大好きだからいつもこうして眠るんだ。これは昼ねだよ。ここならおばちゃんも何も言わないんだ。二人とも外出の時はいち早くご主人の靴音に反応してゴロゴロ、ニャンニャンと飛びつくから、おばちゃんは睨むんだ。

 あるとき、屋上で下を眺めていたら気になる真っ白な女の子が通りかかったんだ。思わずご挨拶と思って興奮したら足を滑らせて真っ逆さまにドスン。音に気付いたおばちゃんがこのときは助けてくれたんだけれど、暫くはぼーとして変だったらしいよ。

 おばちゃんに「馬鹿猫」って言われてしまったけれど、助けてくれたから仕方ないと、少しおとなしくしていたよ。でも、忘れた頃又、落ちちゃうんだ。僕も反省しようと思っていた矢先に、おばちゃんにとんでもないことをされちゃって(去勢)暫く絶望の日々を過ごしていたね。

 でも、人間の立場で考えると仕方ないかと許す気になったのさ。お父さんによしよしと慰められたんだ。
僕は特殊な猫だから近所の可愛い女の子にちょっかいをだし、子供を作ると、すぐにバレちゃって苦情が来るらしい。それから僕に、こんなお人形をお父さんは買ってくれたんだ。


 僕は、片時も離せないほどこの子が好きになって、この通りさ。だけど時々おばちゃんが「ガビガビで汚いでしょっ」て取り上げられて洗われるけど、綺麗になると余計に可愛いと思うから、ま、我慢しようと思う。
僕は、おばちゃんが苦手だ。おばちゃんも僕を苦手だからお互い様なのだろうけれど、何か僕をスケッチしているようだ。

              ある日のフーガ
 疑い深い僕の目を見たら分かるでしょう、いつでも逃げられるように目を離さない様子は中々いいかとも思う。
もう、僕はもうとっくに天国だよ。でも、僕が天国に旅立つ時には何と、おばちゃんがせっせと面倒を見てくれたんだ。お父さんは呑み屋に逃げちゃってさ、お父さんは意気地なしだったんだね。

 今だってこの家には僕の爪をといた跡がしっかり残っている。傷だらけの壁紙も未だに修理されずにいて、貧乏なんだねきっと。
そのうち、僕の後輩アメリカンシートへヤー(アキ)を紹介するね。アキはまだまだ若いから元気だよ。


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シルク・ドゥ・ソレイユ

2008-09-16 10:05:50 | 絵画 :スケッチ:油絵:パソコン画
 デイズニィランド、デズニィシーそして隣接して常設テーマパークとして建設されたショー劇場「ゼット」を私は知らなかった。娘から「サーカスを見に行こう」と誘われて、たまには童心に返ってと、孫と三人で連れ立って舞浜まで行った。
連休の中日とあって家族連れでデイズニーランドに行く人たちで舞浜はごった返していた。それでも1:30分の開場には少し早めだった。
会場近くでは大道芸などで、結構退屈なしで時間まで過ごすことができ、飽きさせない気づかいが感じられて流石に世界のテーマパークと変に感心したのでした。
シルク・ドゥ・ソレイユ
カナダに本拠地を置く、サーカスをテーマにしたショーという事だったが、度肝を抜かれる演出と舞台装置、音響効果を最大限に生かした生演奏は感動の一言だろう。
照明の美しさ、鍛えられた美しい人体の妙技、ミュウジカルのようなショー演出、そしてオペラのような美しい歌声と生演奏でうっとり、あっという間の2時間だった。
フイナーレの美しさは圧巻で、鳴り止まない拍手に、もういい加減で良いとのパフォマンスに大笑いの一幕もあり、思い切り楽しい時間を過ごした。再度、見たいと思ったショーだった。


写真を撮ってはいけない。という訳で下手なパソコン画で、シルクの布でしょうか、天井からしなやかな布を体に自由自在に巻きつけて空中で踊る様は妖精が舞い降りて踊っているようで、ため息が出るのだった。
円く型どられた劇場は巨大なプラネタリュームの中で舞っているようにも見え、沢山の妖精たちが右に左に布で飛び回る。時には宙返りをしたり、上に下にするすると一気に降りるときには思わず「わーと」客席から叫び声が上がる。まさに一言美しいだった。

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お絵かき教室 1

2008-09-13 10:47:33 | 絵画 :スケッチ:油絵:パソコン画
 油絵を始めて何年になるのだろうか。娘が結婚をする事が決まってから「お母さんボケられたら困るから、勉強してね」って勝手に申し込まれた絵画教室です。娘が小学校から通っていたお絵かき教室の大人クラブだった。
初めは戸惑っていたのですが、お教室の雰囲気は「すこぶる良い」でした。
その時の先生は多くの思い出を残して突然天国へ旅立ちました。
生徒達はやがて自力でお教室を立ち上げ、やがて再び先生を迎えることが
できました。とてもよい先生にめぐり合えて幸せななお教室は続いております。
いつまで経っても下手なりのままですが、楽しい事には変わりなく皆でワイワイ
ガヤガヤとお喋り仲間の趣味クラブ、拙い絵を描いております。



                    別教室

 昨日はモデルさんを頼んでデッサン教室と言っても、生徒さん達がオーナーの
呼びかけに応じて勝手に参加の面白いシステムです。なんと、20人は参加して
いたでしょうか。賑やかな3時間でした。「着衣の人」此処は多くの画室の方が
勝手に1500円を置き3時間を楽しむ。
可愛らしいお嬢さんでしたが、老け顔に描けてしまった。プロ級の方が大勢いて
素晴らしさに圧倒される。


                   裸婦 

何本もの線で汚い描き方です。お隣が素晴らしいのでビビッてしまいます。
「80歳でも素質が隠れている方はたくさん居りますよ。楽しめればいいのですよ」と慰められて今日も刺激を貰う。



額に入れると頭が切れてしまう。裸婦も、着衣の人も素晴らしく綺麗なモデルさんだ。線が硬すぎると言われている。自由教室には2回目だからと言い訳をして今日も楽しんだ。
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伊吹山から醒ヶ井へ

2008-09-06 22:41:46 | 趣味 ハイキング
 パソコンが思わぬときに突然電源が落ちる。故障で10日間ばかり修理を余儀なくされ
その後、慌ててバックアップをしたり、整理をしたりと慌しい日々だった。
伊吹山の書き込み写真の整理と思いながら手付かずの日が続いた。
少し時間がずれてしまいましたが、伊吹山ハイキングと醒ヶ井、中仙道旧宿場町。
梅花藻の花が水に漂い、素晴らしい風情でした。では写真と少しの説明を加味して、ご覧
いただけたらと思います。
初めは日本ライン下りから始まります。この日の暑さは記録的なもので、川下りが涼しいと
思っておりましたが、何と何と犬山城の暑さは37度でした。目が廻るような気温に少々
ばててしまいました。

  さあ此処から船下りです。前の方が良いそうですが、水が掛かるのは覚悟のうえで。

ラインを下る河畔は見事な岩が次々と現れる。特徴のある岩にはライオン岩、さる、かば等の名前が付いている。途中、岩の上から観光用の写真を写して1枚1000円で売っていたがあまり、注文をする人はいないようだった。


川下りから犬山城へ。木曽川沿いに犬山城は聳えている。天守閣からの良い景色。
犬山城は別名「白帝城」とも言い国宝になっている。徳川家老成瀬家の居城だった。


さほど大きな城ではないが、非常に美しい。正面から見た天守閣。

さて、これから宿場町醒ヶ井へ、中仙道69次、宿場の風情をたっぷり残した醒ヶ井は又、梅花藻の花が有名です。水の澄んだところでなければ咲けない梅花藻は涼しげに咲いていて、見るだけでも涼しさを感じます。
湧き出た清水が地蔵川となり、真夏でも15度を保っていて冷たい。

地蔵川の冷たい流れの中に涼しげに漂う、バイカモ「沈水植物:キンポウゲ科」
梅の花のような白く小さな花。



翌日は伊吹山へ
織田信長が薬草を200種類以上も植えさせたといい、薬草、高山植物、野鳥昆虫の宝庫です。全山隙間が無いように咲き誇っている。
春から夏、夏から秋へ伊吹山は大きな大きな花の山です。1377m晴れれば琵琶湖が眼下に、比叡、日本アルプス、伊勢湾と見事な眺望で、頂上付近は国の天然記念物に指定されているとの事、登りもあまり険しいところはなく、写真を撮りながら疲れる事もなく1時間くらいで頂上に到着した。コースは3コースあり西コース:中央コース:東コースと分かれて足にあわせて歩けるようになっている。西コースから中央コースが花が多くてお薦めです。


                 コオニユリ



                      シシウド



              所狭しと咲くシモツケ草



                花の咲く様子



             カワラナデシコ



            ツリガネニンジン



            ルリトラノオ



     中央登山道を歩く。花の道。
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日光白根山ハイキング

2008-08-11 15:09:29 | 趣味 ハイキング
 うだるような東京を抜け出して、何時もの月一のハイキングに出かけた。中型バスに揺られて
まずは、足尾の高山跡に。暫しの勉強会は有意義なものでした。
江戸時代から昭和に至るまで400年を超える長い期間日本一を誇る銅山として活躍していた。
第一発見者は農民2名と言うから面白い。
初めは江戸幕府の管理下に置かれていたが、民営化され古川市兵衛によって驚くほど発展した。
やがて鉱山は掘りつくされ公害だけが残った。大きな社会問題となった足尾鉱毒事件は生々しい。
現在、枯れ果てた山々は地元の人たちの努力によって蘇っているとの事で、以前は禿山だった山
は緑豊かになって、今では熊や鹿が周辺から餌を探しにくるようになった。
構内は観光化されて、見学できる。800円なりでも見ごたえがあり、向かい側の資料館などは、当
時の様子をリアルに再現していて、興味深い。



 手堀だった作業夫は狭い構内を掘り出した銅を背負って運んでいる。構内人形(一部)

脇にボタンが付いていて押すと動き出す。このように当時の作業を人形によって再現している。
銅を掘り出している様(人形)。

 足尾銅山見学後、戦場ヶ原にハイキングでした。夏休みということでしょう、学生さん、小中学生が林間学校を日光で過ごしているのでしょう。木道の上は賑やかだった。湯滝入口から赤沼まで、花の写真を撮りながら2時間、風は冷たいと感じるほどの涼しさで、日光に多くの人たちが暑さを避けてやってくるのも頷ける。
            

         湯滝です。湯の湖から流れ出す滝。非常に美しい滑滝


                男体山、戦場ヶ原から

                  戦場ヶ原のくるまゆり
         
                             ともえ草


 日付が変わって今日(30日)は本命の山歩きだ。日光白根山は、若い頃に苦労して登った記憶の登山道ではなく、今日はロープウエーに乗って2000メートルの登山口まで一気にあがる事が出来る。
それでも年齢を考えるときついと感じるこの頃だ。少々足が痛むが大分良くなっていることを考えて、そろりそろりと頂上まで登ることができて、嬉しかった。山頂までは休憩を入れて2時間40分くらいで登れる。


               傾斜のました登山道で休憩

 ロープウエー駅より二荒山神社の柵を開け、真っ直ぐに登ってゆく。やがて、右に回りこむような緩やかな登山道は1時間くらい続く。七色平分岐を過ぎ、大日如来のところまでは、さして急な坂道ではなく歩きやすい。

やがてすこしづつ傾斜は増してゆく。急坂に変わって、しばらくすると岩の道に変わる。登山道が明るくなってくると森林限界の花畑につく。砂礫の歩きにくい道を更に登りつめていくと、やがて稜線の分岐に着く。もう山頂は目の前だ。頑張ろうもう一息だ。
一度、岩の道を急に下がり、そして登り返したところは山頂だ。山頂は狭い。足元も岩が多く気が許せない。
お天気さえ良ければ眺望は抜群だが、今日は残念なことに眺望はなく、残念だったが荒々しい山頂は登り甲斐のある山だ。
 

さっきまで明るかった空も一瞬のうちにこんな空模様山のお天気は気まぐれだ。


稜線に出たところ。(スケッチ)もう一息だ


目の前に頂上が見える。此処から急に一度下る。向側に岩が累々と連なる。岩肌を
四つん這いになり、登ってゆく。


山頂は人々で賑わっていた。そうそうに下りないと狭い頂上では危ない。山頂から少し下がった
所でお昼を食べ、下山は約2時間(休憩を入れて)でロープウエー駅まで、ロープウエー駅にはコマクサが鮮やかに咲いていた。白根あおいの葉が群生していたが花には少し遅かったようだ。



  ロープウエー山麓駅で植生されているコマクサ、色が鮮やかで自然にあるものより色合いが強く、人の手の加わった色を感じた。
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オリンピック前の中国に

2008-07-24 15:33:59 | 趣味 ハイキング
 オリンピックを目前に控えた中国に行ってまいりました。目的は旅順博物館大谷コレクションを見ることが出来るというものだった。
その他、大連、瀋陽も訪れ、かっての日本が関わった満州国がどのように成り立ち、そして終わりを迎えのか、初め、二の足を踏んでいた旅だったが、戦争と言う歴史をもう一度見直し、又、満州は多くの日本人が否応なく関わり、戦争にと、突き進んでいった街、傷跡残る過去の歴史がどのような状態で残っているのだろうか、父親が戦争と言う大きな渦に巻き込まれた場所、それも中国でした。

八年間もの長い間、大連で過ごした父親の目は何処を見つめ、どんな思いで暮らしたかをほんの少しだけでも感じることができればと、思い切った気持ちのたびだった。

 大谷コレクションとは大谷探検隊のことで、新疆、トルファンやクチャなどから蒐集した多くの出土品で、土器、ミイラ、絵画、織物、古文書等々だ。
大谷探検隊は、日本の西本願寺22代宗主だったとのこと、1902年頃から12年間ほどをかけて実行された。
費用も莫大なものだったとのことだった。大谷探検隊の当初の目的は仏教伝来の道と、仏教資料の蒐集だった。他の多くの国々は発掘を目的にしたこととは大きく違っていた。

従って、国費ではなく自費だったとのことで、後に、蒐集された文物も莫大な費用を賄うために売りに出され、日本、韓国、中国と散らばった。まだまだ、沢山の説明を受けたが、老いた頭では到底覚えきれない。写真を撮れるものと思っていたが、禁止であり残念である。何と、ミイラは9体も見つかり、湿度の関係で中国に移管されたという。 一部東京国立博物館に買い上げられたものについては日本でも見ることが出来る。

大連観光:大は日本統治時の満鉄関連の建物等が今でも使われなら、残っている。日本人が多く住んでいた住宅街、ロシア街等見るところが多い。町全体が大きく、中山広場から見る景色は美しい。残念なのはスモックなのか、霧なのか街の空気が澄んでいないことだ。少しづつ写真を交えながら見てみましょう。




大連中山広場です。丸く見えるのは地球を意味しているのだとか、地球上の総ての人々が仲良く一つにの願いがこもっているとの事でした。大連にはロシア統治時代、日本統治時代と長い歴史の中の記憶が生々しく残っております。日本人橋、大連大和ホテル、銀行、病院、鉄道、その他満鉄が作り上げた建築物が当時のままであったり、一部手直しされたり、で日本の影響がいかに大きかったかが窺えるものだった。
夕方になると広場には多くの人々が散策に訪れる。太極拳をする人々、特に、大きな羽根を足で蹴り上げている遊びは面白そうだった。



日本人街の角にあった日本の人が経営しているらしい、との事でした。日本人(満鉄社宅)が多く生活していた住宅街も今は、殆どが立て替えられていて、綺麗になっている。坂の途中にある美しい町並みだった。この日の大連は空気が澄んでいた。アカシアの大連は今の季節、ねむの木が沢山あり花を咲かせて綺麗だった。



ホテル内で本格的な中国茶を、注文し手際の良い所作を目の前で見せてもらった。最高級のお茶だそうで乾いた咽喉には非常に美味しく感じられた。3人で165元は(日本円で1600円くらい)高いのか、安いのか、80元で立派な食事が出来ると考えると高いというべきでしょう。



わき道と言っても、かなり広い道に、思い思いの商店が店を出している。奥にはいると迷子になりそうな為、遠くから眺めただけでした結構面白そうだった。



日本人橋、現在は勝利橋、広い向こう側に見えるのは、満州時代日本橋図書館としたところ。ロシア街、当時の面影を残したまま、手直しされたり塗り替えたりで綺麗になっている。現地の人々にも異国情緒漂う街として人気がある。ロシア街に入る交差点広場には信号が無いのには吃驚した。人はどうやって渡るのだろうか。
どちらかと言うと車優先だそうで、皆でわたれば怖くない。そんな感じで私達も、人の後に付いてわたった。空気がどんよりしている。



何を意味する文字でしょうか。オリンピックに関係した文字でしょうか。



ロシア人街、両側に美しい建物が並んでいる。規模はあまり大きくない。ここの突き当たりのお店でお土産を買った。細工のよく出来た数珠等を買ってみたが、良いものだった。どこかに又売っているだろうと思っていたが、見当たらず、北京辺りでは沢山あるというが、中国製品は日本にも沢山輸入されていても、中国独特の品はやはり良い。




用をたすのに便利なパンツをはいたベビー、可愛らしいったらこ上ない。かっての日本でも見たように思うが?



ロシア街の両側に並ぶ商店。ロシア人形、日本人形も売られているが、中国製だった。



上から赤い紐が下がってくるくる廻っている。ハエを追い払っているのだ。あさり、たこ、いか等の干物らしい。
値段の交渉が面白い。ひどいものでは1/10くらいの値段になる。



此処からは瀋陽へ、中街の看板。ケンタッキーと読むとの事、成程ね。フライドチキンとはどんな文字で書くのだろう。中街とは欧風の建物を模索しながら建てたバロック建築が多い街。故宮博物院の近くであり、賑やかである。お店の前でスタイルの良い、女性と男性がポーズをとり、スラリと立っていた。仕事なのだそうでほぼ一日中立っている。「疲れるでしょう」「いや、本人たちは楽しんでいるのです」とは添乗員さんのお話でした。





瀋陽:故宮博物院門。北京の故宮博物院の1/12の規模だそうですが、相当大きい。世界遺産になっている。後金のヌルハチが北京を瀋陽にも作ろうと、築いたものが瀋陽故宮博物院となっています。建設半ばで終わったが90以上もの建物があり、現在修復中のものも沢山ある。





         屋根の上には綺麗な飾り?動物達が見張りをしているようだ。





            柱の彫刻、竜が守り。素晴らしい彫刻。



公園の中で中国の人が何か文字を書いていた。素晴らしく上手で拍手をして見ていた。そして、全部書き終わった文字はおじさんのお店の宣伝でした。「してやられた」と添乗員さんは笑っていたが、滅多に見られない極上の文字に感激です。





瀋陽、博物館、日本統治時代に使っていた銀行。内部様子を再現したもの、リアルにできた人形が今にも話しかけてくるようだ。





         北陵 此処も世界遺産だ。皇帝達のお墓。







主人が現役の頃、中国で仕事をしていた頃の100元札。今ではあまり使われていないらしいが、問題なく使えた。
お店で出すと透かしたり、他の定員さん達と話したりと時間がかかることがあったが、だから駄目と言うことは一度もなかった。今回はこのお金と別に小さなお金が沢山あったので、お陰でお小遣いは間に合った。兌換券が沢山あるのですが、これは完全にえませんね。残念でした。







最後に満鉄大連本社

満鉄、満州時代の特殊会社。満州支配のために立ち上げた国策会社と言うことは、戦争を知っている人なら誰でも思っていることだろうと考えますが、その証拠に後には関東軍の支配が強まり、やがて大きな権力を持つ、国家機関となった。

満鉄については、多くの事柄がありすぎて書ききれない。この建物も今は、瀋陽鉄路局、大連鉄路局支社として使用されていたが建物は吃驚するほどしっかりと建てられていて、重厚さを感じる。

北京のオリンピクが迫っている。大連、瀋陽(今は沈阳と約されている)も霧か、靄、スモックかと思われる空色で、大連に関してはもっと曇りが強い。咽喉に刺激があるときもあり、交通量が多いからとばかりは思えない。

この日の大連も曇っているのか晴れているのか分からない空模様だった。
長い旅ではなかったが、中国でお金を使う場面では注意が必要と思った。まず、添乗員が10元で行けるといったホテルまでのタクシーは20元を要求された。勿論、断ったが。両替の時、友人は10、000円が620元との事が580元きりなく怒っていた。よく、数えるべきこと。
電車に乗るときもベルトコンベアーで荷物検査をする。オリンピックの影響だろう。とんでもなく後ろから入り込まれ、自分の荷物のふりして持ち去る。
添乗員に助けられた人ありで、大方は親しみやすく、良い人ばかりだが油断は出来ない早業を持つ人が多い。




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大内宿と田代山:帝釈山

2008-07-05 14:40:33 | 趣味 ハイキング
 前後を雨に挟まれた6月末の二日間を会津の観光:温泉:山にと楽しんできた。もともとはハイキング
が目的の小さな会、年齢も決して若くない私達にとって観光つき、温泉つきハイキングは健康増進の為
には格好な楽しみであり、又、少々頑張ろうの気力も湧いてくる月一の楽しみである。そのようなハイキ
ング計画が実行された。今回は会津方面への旅だった。
 東北道をひた走り、塩原温泉郷を通過、二つばかり長いトンネルを抜けると会津はもう近い。
メインは田代山、帝釈山だが前日に小型バスは珍しい藁葺き屋根の集落大内宿をまわり、更に、姫小
百合の群落で知られる山上公園、そして、塔のへつり奇岩奇石のある渓谷へと変化のある行程を楽し
んだ。
では旅のページをめくってみよう。

大内宿  「大内宿」突き当たりの高倉神社から見た集落、綺麗に並んでいる。
江戸時代に関東と会津を結ぶ下野街道。重要な交通の要衝だったという。日光街道が出来た為に人、
物の流れが変わり、時代に取り残されたお陰で、現在は「重要伝統的建造物保存地区」として観光で賑
わっている。
荷駄運送の駅所だったとのことで当時の賑わい風情がしのばれる。又、戊辰戦争の時は会津軍と新政
府軍が激戦したところだそうで、歴史的にも価値あるところとのこと、興味深い土地である。
西の外れにある高倉神社という階段が80段ほどの上に上って見よう。とても眺めのよい神社である。
7月の2日は毎年お祭りで、村中の男衆が繰り出しそれは賑やかで活気があるとのことだ。
宿場通りは、沢山のおみやげ屋さんが軒を並べて可愛らしい郷土人形等をを売っている。美味しいお蕎
麦屋さんもある。ウイークデーだと言うのに観光客で賑わっていた。

お土産やさんの様子
土地の名物栃もち、そば粉、私は竹でできたおろし大根けずりを買った。400円なり。このおろしがね
で大根をおろすと比較にならないほど美味しいと、友人から聞いていたので早速使って見た。しゃりし
ゃりとして本当に美味しかった。

お蕎麦屋さんのようでもあり、陶器類を売っていたお店。ここはひっそりとしていた。

湯野上温泉駅 駅舎の中には囲炉があり土地の人々の憩いの場、或いは電車を待つ人々の情報の
行き交う場なのだろうか。大内宿へは電車の場合此処で降りる。

姫さゆり 高清水姫さゆり公園内にはゆりが群生している。毎年、山焼きをして姫さゆりを保護、増やし
ているとのことで、以前来た時よりも相当数増えていると思った。ひめさゆりは本当に綺麗だ。私は、20
数年前に毎年この地に来て山ほど採れる山菜を、お土産にしたことがあるが、今は、植物採取は禁止と
のことでした。残念。わらびが沢山あり、大きくなりぎて、もったいないと思わずつぶやいた。うつむき
かげんに咲く。ひめさり。

かなり大きな花色が美しい。咲き初めとおわりでは濃淡がある。

湯の花温泉 ペンション「山の音」のご馳走です。ぜーんぶ美味しかったです。食べきれない程の
多さにびっくりでしたが、結局全部食べました。お酒のおまけつきでグー。11品ありました。

田代山 尾瀬の北東に位置する山上が湿地帯の山、猿倉登山口から登る。
尾瀬の湿原は有名だが、此処、田代山も尾瀬に引けを取らない。急坂を喘ぎながら30分を過ぎたころ、
「もう急坂は終わりだよ」のリーダーの声を励みに頑張ったが、まだ、半分の行程だった。
そこから更に30分くらいでやっとなだらかになる。小田代湿原だ。此処からは花の道、珍しい花々が小
さい葉を震わせて可憐に咲いている。ワタスゲ、モウセンゴケ、ヒメシャクナゲ、コイワカガミ、チングル
マ、あれこれカメラに収めるのに遅々として歩が進まない。湿原からは会津駒ケ岳がまだ雪をまとって
美しい。
尾瀬もそうだが虫が早速ハイカーに纏わ付く。ネットを被っても何処からか進してきて二箇所ほど
刺されて、いまだ痒い。

 田代山の山頂は湿原で平である湿原をゆっくりと散策して、帝釈山へ、いったん急坂を下る。足元が
非常に不安定な坂だ。ぬかるみ、木の根、歩きにくい登山道を下り、更に、又登り返す。最後は急登だ
大石ゴロゴロの最後の登りは非常に苦しいが、山頂を実感できる狭くて、でこぼこの尖った頂上だ。
咲き残りの石楠花が薄いピンク色の花をつけて美しかった。

此処より駐車場のある馬坂峠まではオサバ草が群落を作り、飽きることのない非常に美しい山歩きが
出来るオサバ草がこれ程咲いている山は、今まで見たことがなく珍しいことと思う。

オサバ草の群生地、写真では伝え切れない美しい登山道だ。
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