小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

591 大国主に秘められた製鉄の性格 その12

2017年05月19日 02時02分13秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生591 ―大国主に秘められた製鉄の性格 その12―
 
 
 明神大社の位を授かり、朝廷から奉幣使が派遣されるほどの丹生川上神社が近年にはその
所在さえわからなくなってしまった理由について、大和岩雄(『神社と古代民間祭祀』)は、次の
ように推測します。
 それは、丹生川上神社の祭神は吉野の国栖(くず)たちが信仰する神ではなく、中央集権の
祈雨神であったから、この神社は中央権力が奉幣をおこなわなくなったことで衰退し、神名も
消えてしまった、というものです。
 
 ここで少し注釈が必要になりますが、吉野の国栖(国巣と表記されることも)とは、大和政権
誕生以前から吉野に住んでいた、いわば在地勢力だと考えられています。
 『古事記』では、神武天皇が井氷鹿(イヒカ=井光)と出会った後、続いて石押分之子(イシ
オシワクノコ)という神が現れたとしますが、井氷鹿が吉野首(おびと)の祖で石押分之子が
吉野の国栖の祖と記しています。これは『日本書紀』も同様のことを記しています。
 
 しかし、それならば丹生川上神社の祭神とは誰が祭祀していたのでしょうか。
 この疑問については比較的容易に答えることができます。
 倭氏(やまと氏。大和氏とも表記)です。
 丹生川上神社は、実は倭氏が祭祀を司る、奈良県点尻の大和神社(おおやまと神社)の
別社なのです。
 先述の『類聚三代格』の中に、大和神社神主の大和人成が、別社丹生川上雨師神について
解状を出したことが記されていますし、『延喜式』の中にも丹生川上神社の祈雨神祭は大和
神社の神主が赴いて行う、とあります。そして、当の大和神社の『大倭神社註進状』の中にも、
「別社丹生川上神社」と記されているのです。
 
 これと関連して大名持神社のことにも触れなくてはなりません。
 所在すらわからなくなってしまった丹生川上神社ほどではなくても、大名持神社もまた明神
大社の号を受けながら後に郷社となってしまっています。
 吉野郡にはすでに紹介したとおり、五社が大社の位を授けられています。
 吉野郡の大社五社は、貞観元年(859年)に吉野水分神は従五位下から正五位上に、吉野
山口神は同じ従五位下から従五位上に、丹生川上神社は正四位下から従三位に、金峯神は
従三位勲八等から正三位に、そして大名持神社は従一位から正一位を授かっています。
 つまり吉野郡の大社五社の中で、大名持神社が最高位というわけです.
 
 その理由について、三谷栄一(『日本神話の基盤』)は、丹生川上神社の祭祀氏族が倭氏なら、
大名持神社の祭祀氏族も倭氏であったと考えられる、とします。
 
大名持神社では大名持御魂神(オオナモチミタマ神)が主祭神で、須勢理比咩命(スセリヒメノ
ミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が配祀されています。
 一方、大和神社の祭神は、日本大国魂神(ヤマトオオクニタマ神)、八千戈大神、御年大神の
三柱です。
 八千戈神は、『古事記』、『日本書紀』ともに、大国主の別名のひとつと記していますから、
倭氏が大名持神社の祭祀も司っていたと仮定してもおかしくはないように思えます。
 ただし、大和神社において日本大国魂神は中殿にて祀られており、『日本書紀』も倭氏の祖、
市磯長尾市(イチシノナガオチ)に倭大国魂神を祭祀させた、とあるからこの日本大国魂神が
大和神社の主祭神であったと考えられます。
 
 もっとも、『古事記』、『日本書紀』ともに、大国主の別名として倭大国魂神(日本大国魂神)の
名は記していないので別神であることは明らかです。この神は『古事記』には登場しませんが、
『日本書紀』では完全に大国主とは別神として描かれています。
 それなのに、三谷栄一が、大名持神社と倭氏の関連を考える理由は大物主神との関係です。
 
 大物主は、『日本書紀』や『出雲国造神賀詞』では大国主の分身とされ(ただし、『古事記』は
別神としています)、奈良県桜井市の大神神社の祭神なのですが、さて、この大神神社の摂社に
狭井神社があります。
 狭井神社は別名を華鎮社ともいいますが、摂社とは言え『延喜式』に「狭井坐大神荒魂神社 
五座」として記載されている式内社なのです。
 ところが、この狭井神社は、大神神社の境内に鎮座しながら大和神社の別社であるというの
です。
 『延喜式』に「五座」とある狭井神社の祭神は、大神神社の『社記』によれば、
 
 四  勢夜多々良比売活玉依姫命也 越氏
 二左 大物主神
 一中 大国魂神 大己貴命荒魂神 大和神主
 三右 姫踏鞴五十鈴媛命 高宮氏
 五  事代主神
 
とあり、中央の座にて祀られる大国魂神が主祭神と思われるのですが、大己貴命、つまり大国主の
荒魂と記され、しかも、大和神主によって祭祀されるとあるのです。
 
 一方の大和神社の側でも、「大倭神社註進状 並率川神社記」に、
 
 「別社 狭井神社。伝聞、狭井神者、大己貴命之荒魂、大国魂神、即当社別社也」
 
とあり、狭井神社は大和神社の別社で、主祭神は大国魂神、この神は大己貴(大国主)の荒魂で
ある、としているのです。
 そして、残る四座のうちの一座について、その祭神を、
 
 「伝聞、大物主神者、大己貴命之和魂也」
 
としており、倭大国魂神を大国主の荒魂、倭大国魂神を大国主の和魂とするのです。
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