大国主の誕生29 ―さまざまな神婚譚―
さて、前回にお話ししましたの3つの伝承なのですが、いずれも最初オオモノヌシ
は正体を明かさずに妻となる女性のもとを訪れるという点が共通しています。
『古事記』の崇神記と『日本書紀』の崇神紀は、ともに人間の姿で女性のもとを訪
れますが、『古事記』の神武記では丹塗矢に化けて登場します。この型の神婚譚は丹
塗矢(にぬりや)伝説と呼ばれるものです。
他にも同じ丹塗矢伝説がありますので紹介します。
①山城国風土記逸文
カモタケツミノミコト(賀茂建角身命)は、丹波の神野の神イカコヤヒメ(伊可古
夜日女)を妻に迎え、タマヨリヒコ(玉依日子)とタマヨリヒメ(玉依日売)が生ま
れた。
タマヨリヒメが石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、河上から丹塗矢が流れて
きた。それを拾い、家に持ち帰って寝床の側に挿して置くと、懐妊して男の子を生ん
だ。
その子が成長すると、祖父のタケツミの命は神々を集めて7日7晩宴を開いた。そう
して、孫に向かって、
「お前の父と思う人に酒を飲ませよ」
と、言うと、その子は杯をかかげたまま、屋根を突き破って天に昇っていった。
その子は祖父のカモタケツミノミコトの名にちなんでカモワケイカヅチノミコト
(賀茂別雷命)という。
タマヨリヒメが拾った丹塗矢は、天つ神ホノイカヅチの神(火雷神)であった。
こちらの話では、タマヨリヒメが矢をそばに置いていただけで懐妊したとあって、
神そのものは姿を見せません。
さて、この伝承は鴨氏のものなのですが、記紀では鴨氏はオオモノヌシの子孫
(『日本書紀』ではオオモノヌシの子)であるオオタタネコの子孫ということに
なっています。
実は、オオモノヌシ、オオタタネコを祖とする伝承を持つのは鴨君(かものきみ)
で、「山城国風土記逸文」の伝承は鴨県主(かものあがたぬし)のものなのです。
鴨君も鴨県主も元は同じ家系であったと言われていますが、だとすると、途中で始
祖伝承が違ってしまうようになったのでしょう。
次に、『日本書紀』の「崇神紀」ですが、ここでは、オオモノヌシの正体は蛇で
あった、と描かれていましたよね。
『日本書紀』では、大物主は御諸山(みもろやま)の神としていますが、「雄略
紀」でも、御諸山の神は蛇の姿をした雷神として登場します。
そこで、これに似た話も紹介したいと思います。
②常陸国風土記
ヌカビコとナカビメという兄妹がいた。
夜になると、正体を語ることなくヌカビメを訪ねる男がいた。ついには夫婦となり
ヌカビメは一夜で懐妊した。
やがて臨月が来てヌカビメは小さな蛇を生んだ。蛇は、昼間はもの言わず夜になる
と母と語りあった。
兄のナカビコと兄妹の母は、この子の父親はきっと神にちがいない、と思い、祭祀
用の器に蛇を入れ、祭壇も設けた。
しかし、蛇はどんどん大きくなっていき、ついにはその体を納める器が亡くなって
しまった。
ヌカビメは蛇に、
「あなたはきっと神の子にちがいありません。ですが、わが家の財力ではあなたを
養うことができません。あなたは父のもとに行きなさい」
と、言えば、蛇も涙をぬぐって言った。
「母さまがそのようにおっしゃるならば従いましょう。ですが、ひとつお願いがご
ざいます。身一人では心細いのでどうか従者を1名つけていただけませんか?」
ヌカビメが答えた。
「この家にいるのはお前のおばあさまと伯父さまだけしかいないことは知っている
でしょう?
従者となる者はおりませんよ」
蛇は恨み、何も言わなくなった。
そして、いよいよ旅立ちの時に、怒りがおさまらず、雷で伯父のヌカビコを殺し、
それから天に昇ろうとした。
この行為にはヌカビメも驚き、器をわが子に向けてぶつけると、蛇は天に昇る力を
失い、そのまま晡時臥山の峯にとどまった。
神婚譚ではありませんが、少し気になる説話が『常陸国風土記』の逸文としてあり
ますから、これも取り上げてみます。
⑥常陸国風土記逸文
昔、兄と妹が同じ日に田植えをした。「遅い時間に植えた者は伊福部(いぶきべ)
の神の崇りにあって殺されるぞ」と、言われていたのに、妹は遅い時間から田植えを
行った。
その時、雷が落ちて妹を殺してしまった。
兄は嘆き、かつ恨んで仇を討とうと思ったが雷神の居場所を知らない。
その時一羽の雌雉がやって来て兄の肩にとまった。績麻(へそ=紡いだ麻糸を環状
に幾重にも巻いたもの)を雉の尾羽根にかけると、雉は伊福部の岳に飛んで行った。
兄が績麻の糸をたどっていくと、とある岩屋にたどり着き、中をのぞくと雷神が寝
ていたから、刀を抜き、雷神を斬ろうとしたところ、雷神は、あわてて起き上がって
命乞いをした。
「そなたに従い、100年の後もそなたの子孫には雷を落とすことはしません」
兄は雷神を許し、また雉に対しては、
「生涯この恩を忘れはしない」
と、誓ったので、以来、この地に住む者は雉を食べない。
「崇神紀」も、『常陸国風土記』も、神は天を翔けて去っていく時に、「崇神紀」
では妻を、「常陸国風土記」では伯父を殺して行きます。「常陸国風土記逸文」でも
伊福部の雷神は主人公の妹を殺しています。
それから、もうお気づきでしょうが、『常陸国風土記』の方は「山城国風土記逸文」
の説話にもよく似ています。
また、神婚譚ではない風土記の逸文を取り上げたのも、麻糸をたどって神の住む処
にたどり着くというものであり、神武記の説話に共通しているからです。
あと、「山城国風土記逸文」も、『常陸国風土記』も、神の妻となる女性には兄が
います。「常陸国風土記逸文」も、兄と妹という設定になっています。もしかすると、
「常陸国風土記逸文」に登場する妹も本来は伊福部の雷神の妻という物語だったのか
もしれません。
『日本書紀』のモモソヒメの場合には兄は登場しませんが、ここでは崇神天皇がそ
れにあたります。崇神天皇はモモソヒメの甥なのですが、天皇、つまり大王家の当主
なのですから、父や兄あたる存在になるわけです。
それでは、どうして兄の存在がこれらの伝承に必要なのでしょうか?
兄は、その家の時期当主です。その妹が神の妻になるということは、次の当主は妹
が生んだ神の子を主と仰ぐことになり、当然父である神自体を崇めることになるのです。
トミビコも妹がニギハヤヒの妻になったことで、ニギハヤヒを主と仰いでいたのです。
・・・つづく
さて、前回にお話ししましたの3つの伝承なのですが、いずれも最初オオモノヌシ
は正体を明かさずに妻となる女性のもとを訪れるという点が共通しています。
『古事記』の崇神記と『日本書紀』の崇神紀は、ともに人間の姿で女性のもとを訪
れますが、『古事記』の神武記では丹塗矢に化けて登場します。この型の神婚譚は丹
塗矢(にぬりや)伝説と呼ばれるものです。
他にも同じ丹塗矢伝説がありますので紹介します。
①山城国風土記逸文
カモタケツミノミコト(賀茂建角身命)は、丹波の神野の神イカコヤヒメ(伊可古
夜日女)を妻に迎え、タマヨリヒコ(玉依日子)とタマヨリヒメ(玉依日売)が生ま
れた。
タマヨリヒメが石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、河上から丹塗矢が流れて
きた。それを拾い、家に持ち帰って寝床の側に挿して置くと、懐妊して男の子を生ん
だ。
その子が成長すると、祖父のタケツミの命は神々を集めて7日7晩宴を開いた。そう
して、孫に向かって、
「お前の父と思う人に酒を飲ませよ」
と、言うと、その子は杯をかかげたまま、屋根を突き破って天に昇っていった。
その子は祖父のカモタケツミノミコトの名にちなんでカモワケイカヅチノミコト
(賀茂別雷命)という。
タマヨリヒメが拾った丹塗矢は、天つ神ホノイカヅチの神(火雷神)であった。
こちらの話では、タマヨリヒメが矢をそばに置いていただけで懐妊したとあって、
神そのものは姿を見せません。
さて、この伝承は鴨氏のものなのですが、記紀では鴨氏はオオモノヌシの子孫
(『日本書紀』ではオオモノヌシの子)であるオオタタネコの子孫ということに
なっています。
実は、オオモノヌシ、オオタタネコを祖とする伝承を持つのは鴨君(かものきみ)
で、「山城国風土記逸文」の伝承は鴨県主(かものあがたぬし)のものなのです。
鴨君も鴨県主も元は同じ家系であったと言われていますが、だとすると、途中で始
祖伝承が違ってしまうようになったのでしょう。
次に、『日本書紀』の「崇神紀」ですが、ここでは、オオモノヌシの正体は蛇で
あった、と描かれていましたよね。
『日本書紀』では、大物主は御諸山(みもろやま)の神としていますが、「雄略
紀」でも、御諸山の神は蛇の姿をした雷神として登場します。
そこで、これに似た話も紹介したいと思います。
②常陸国風土記
ヌカビコとナカビメという兄妹がいた。
夜になると、正体を語ることなくヌカビメを訪ねる男がいた。ついには夫婦となり
ヌカビメは一夜で懐妊した。
やがて臨月が来てヌカビメは小さな蛇を生んだ。蛇は、昼間はもの言わず夜になる
と母と語りあった。
兄のナカビコと兄妹の母は、この子の父親はきっと神にちがいない、と思い、祭祀
用の器に蛇を入れ、祭壇も設けた。
しかし、蛇はどんどん大きくなっていき、ついにはその体を納める器が亡くなって
しまった。
ヌカビメは蛇に、
「あなたはきっと神の子にちがいありません。ですが、わが家の財力ではあなたを
養うことができません。あなたは父のもとに行きなさい」
と、言えば、蛇も涙をぬぐって言った。
「母さまがそのようにおっしゃるならば従いましょう。ですが、ひとつお願いがご
ざいます。身一人では心細いのでどうか従者を1名つけていただけませんか?」
ヌカビメが答えた。
「この家にいるのはお前のおばあさまと伯父さまだけしかいないことは知っている
でしょう?
従者となる者はおりませんよ」
蛇は恨み、何も言わなくなった。
そして、いよいよ旅立ちの時に、怒りがおさまらず、雷で伯父のヌカビコを殺し、
それから天に昇ろうとした。
この行為にはヌカビメも驚き、器をわが子に向けてぶつけると、蛇は天に昇る力を
失い、そのまま晡時臥山の峯にとどまった。
神婚譚ではありませんが、少し気になる説話が『常陸国風土記』の逸文としてあり
ますから、これも取り上げてみます。
⑥常陸国風土記逸文
昔、兄と妹が同じ日に田植えをした。「遅い時間に植えた者は伊福部(いぶきべ)
の神の崇りにあって殺されるぞ」と、言われていたのに、妹は遅い時間から田植えを
行った。
その時、雷が落ちて妹を殺してしまった。
兄は嘆き、かつ恨んで仇を討とうと思ったが雷神の居場所を知らない。
その時一羽の雌雉がやって来て兄の肩にとまった。績麻(へそ=紡いだ麻糸を環状
に幾重にも巻いたもの)を雉の尾羽根にかけると、雉は伊福部の岳に飛んで行った。
兄が績麻の糸をたどっていくと、とある岩屋にたどり着き、中をのぞくと雷神が寝
ていたから、刀を抜き、雷神を斬ろうとしたところ、雷神は、あわてて起き上がって
命乞いをした。
「そなたに従い、100年の後もそなたの子孫には雷を落とすことはしません」
兄は雷神を許し、また雉に対しては、
「生涯この恩を忘れはしない」
と、誓ったので、以来、この地に住む者は雉を食べない。
「崇神紀」も、『常陸国風土記』も、神は天を翔けて去っていく時に、「崇神紀」
では妻を、「常陸国風土記」では伯父を殺して行きます。「常陸国風土記逸文」でも
伊福部の雷神は主人公の妹を殺しています。
それから、もうお気づきでしょうが、『常陸国風土記』の方は「山城国風土記逸文」
の説話にもよく似ています。
また、神婚譚ではない風土記の逸文を取り上げたのも、麻糸をたどって神の住む処
にたどり着くというものであり、神武記の説話に共通しているからです。
あと、「山城国風土記逸文」も、『常陸国風土記』も、神の妻となる女性には兄が
います。「常陸国風土記逸文」も、兄と妹という設定になっています。もしかすると、
「常陸国風土記逸文」に登場する妹も本来は伊福部の雷神の妻という物語だったのか
もしれません。
『日本書紀』のモモソヒメの場合には兄は登場しませんが、ここでは崇神天皇がそ
れにあたります。崇神天皇はモモソヒメの甥なのですが、天皇、つまり大王家の当主
なのですから、父や兄あたる存在になるわけです。
それでは、どうして兄の存在がこれらの伝承に必要なのでしょうか?
兄は、その家の時期当主です。その妹が神の妻になるということは、次の当主は妹
が生んだ神の子を主と仰ぐことになり、当然父である神自体を崇めることになるのです。
トミビコも妹がニギハヤヒの妻になったことで、ニギハヤヒを主と仰いでいたのです。
・・・つづく