小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

25 太安万侶が大物主の子孫な理由

2012年10月14日 23時29分32秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生25 ―太安万侶が大物主の子孫な理由―


 『古事記』を編纂した太安万侶がオオモノヌシの子孫であることは『古事記』
自体に書かれていることなのです。

 神武天皇は、日向にいらっしゃった時に阿多の小椅君(あたのおばしのきみ)
の妹アヒラヒメ(阿比良比売)という妻がおり、この妻との間に、タギシミミ
ノミコト(多芸志美美命)、キスミミノミコト(岐須美美命)のふたりの皇子が
いました。『日本書紀』では、大和入りの時にタギシミミが従軍している場面が
登場します。
 しかしながら、大和を平定しますと、別に大后(皇后)とすべき女性を求める
のです。その時に、オオクメノミコト(大久米命)が、オオモノヌシの子イスケ
ヨリヒメを神武天皇に推薦するのです。
 神武天皇とイスケヨリヒメの間には、ヒコヤイノミコト(日子八井命)、カム
ヤイミミノミコト(神八井耳命)、カムヌナカワミミノミコト(神沼河耳命)の
3人の皇子が生れました。
 
 神武手天皇が崩御すると、長兄のタギシミミが未亡人のイスケヨリヒメを妻に
しますが、神武天皇とイスケヨリヒメとの間に生まれた3人の弟たちを殺してしま
おうと企てました。それで母親であるイスケヨリヒメは心を痛め、歌でもって皇子
たちに知らせるのです。

 狭井河より 雲がわき立ち 畝火山では 木の葉が鳴り騒いでいます 風が吹
こうとしていますよ

 また、
 
 畝火山に 雲が広がっています 夕方になれば 風が吹くぞ と木の葉が騒い
でいます

と、歌いました。
 これには皇子たちも驚き、ならば反対にこちらからタギシミミを殺してしまおう
と相談を始められた時に、カムヌナカワミミは、兄のカムヤイミミに、

 「あなたが武器を持って、タギシミミの元に忍んで殺してくださいませ」

と、言います。
 しかし、カムヤイミミは、タギシミミの元まで行きながらも、いざ暗殺を決行
しようとすると手足が震えて実行することができませんでした。そこで、弟のカ
ムヌナカワミミが兄の武器を取って、部屋に入るとタギシミミを殺してしまいま
した。
 「それで、その名を称えてタケヌナカワミミノミコト(建沼河耳命)とおっしゃ
る」と、『古事記』は記しています。
 ここにカムヤイミミは、弟のタケヌナカワミミに、

 「私は敵を討つことができなかった。しかるにそなたは敵を殺した。私は兄で
はあるが大王になるべきではないようだ。そなたが大王となり天下を治めよ。私
はそなたを助け、忌人(いわいびと=神を祭る人)となって仕えよう」

と、言います。
 『古事記』には、

 ヒコヤイミミノミコトは、茨田連、手島連の始祖です。
カムヤイミミノミコトは、意富臣、小子辺連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、
筑紫の三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余国造、科野国造、道奥
の石城国造、常道の仲国造、長狭国造、伊勢の船木直、尾張の丹羽臣、島田臣等
の始祖です。
 カムヌナカワミミの命は、次の天皇になられました。

と、記されています。ヒコヤイミミの子孫の先頭に登場する意富臣が太安万侶の
太氏です。
 『日本書紀』では、崇神天皇の次の第11代天皇を御諸山の神が決定していま
すが、第2代天皇は、オオモノヌシの孫ヒコヤイミミが決定しているわけです。


 それにしても・・・。神武天皇崩御の後、2代目の地位を巡って早くもお家騒動
勃発といったところでしょうか。
 タギシミミは日本書紀ではヤマト入りの時に神武天皇に従軍している様子が書か
れているので、年齢的にも跡継ぎの資格十分な人物だったのでしょうね。
お父さんが亡くなった後、その奥さん、というか義母を自分の奥さんにしちゃいま
した。
 神武天皇にはアヒラヒメ(タギシミミの生母)という奥さんがいたのに、自分の
子供と歳の変わらない、いや、もしかすると子供よりも若いイスケヨリビメを新し
く娶って正妻の地位を与えてしまいます。これを、ひどい話、なんて思ってはいけ
ません。これには理由があるのです。と、言うのも神武天皇が大和の大王になるに
は、大和の神を祭祀する権利を獲得しなければいけなかったからなのです。つまり、
大和の神、大物主の子であるイスケヨリビメを妻に迎えることでその祭祀権を得る
ことができたわけです。一種の入り婿の形ですね。
 これと同じで、タギシミミも大王になるためにはイスケヨリビメを妻にすること
で祭祀権を得る必要があったのですね。いくら神武天皇の子といっても、彼の母親
は九州の人ですから、彼には大和の神を祭る祭祀権が認められなかったのでしょう。
 この時代はヒメ・ヒコ制度ですから女系が優先されたのです。事実、カムヤイミ
ミなどは自分の意思で忌人になる、と言っているのですから。
その点、カムヤイミミやカムヌナカワミミたちはイスケヨリビメの子なので、初め
から祭祀権を持っていたわけです。
 このことはタギシミミにとっては脅威だったにちがいありません。もしかすると、
大和の豪族たちも、タギシミミよりイスケヨリビメの子に二代目を継いでほしいと
声を上げていたのかもしれません。だから、異母弟たちを殺してしまおうとしたの
でしょう、きっと。

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