小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

214 日子坐王の系統

2014年07月13日 02時33分32秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生214 ―日子坐王の系統―


 ここまで、関東における出雲系の神々の祭祀について見ながら、武蔵と
上野における動乱を採り上げてきました。
 しかし、このようなことは何も関東に限ったことではなく、全国的に
起こっていたようです。その中には吉備や丹波なども含まれます。

 毛野の上毛野君や下毛野君の祖が10代崇神天皇の皇子豊木入日子命
(トヨキイリヒコノミコト)であるのと同様、吉備や丹波の氏族の始祖も
皇族出身である、と『古事記』にはあります。
 古代の皇室は、主にふたつの系統があった、と言ってもよいでしょう。
 ひとつは、天皇によって繋がれていく系統。
 もうひとつは日子坐王(ヒコイマスノミコ)に始まる系統です。
 豊木入日子命のように、天皇の皇子であった人物は数多くいますが、
日子坐王の系統は『古事記』の中巻において歴代の天皇たちと強く絡み
合うのです。

 日子坐王は、9代開化天皇の皇子で、崇神天皇とは異母兄弟になります。

 『古事記』によると、日子坐王には、山代の荏名津比売(エナツヒメ)
またの名を苅幡戸辨(カリハタトベ)、沙本之大闇見戸売(サホノオオク
ラミトメ)、息長水依比売(オキナガミズヨリヒメ)、袁祁都比売(ヲケ
ツヒメ)の4人の妻がおり、合わせて11人の御子がいました。

 11代垂仁天皇に時代に、ホムチワケの出雲訪問に同行した曙立王と
莬上王の兄弟は、日子坐王と山代の荏名津比売との間に生まれた大俣王
(オオマタノミコ)の子なのです。

 垂仁天皇には3人の皇后がいましたが、最初の皇后沙本毘売命(サホビ
メノミコト)は日子坐王と沙本之大闇見戸売(サホノオオクラミトメ)
との間
に生まれた皇女です。
 なお、ホムチワケはこのサホビメの生んだ子です。
 サホビメは同母兄の沙本毘古王(サホビコノミコ)の反乱で兄と運命を
共にしますが、垂仁天皇に、自分に代わって丹波比古多多須美知能宇斯王
(タニワノヒコタタスミノウシノミコ)の娘を皇后にするよう勧めます。
 この丹波比古多多須美知能宇斯王も、日子坐王と息長水依比売(オキナ
ガミズヨリヒメ)との間に生まれた子なのです。
 ちなみに、息長水依比売が生んだ子は5人で、そのひとりに神大根王
(カムオオネノミコ)がいます。
 この神大根王の娘がヤマトタケルの兄オオウスノミコトの妻になります。

 また、茨城県常陸太田市にある長幡部神社の祭神多弖命(タテノミコト)
はこの神大根王のことだともいわれています。

 サホビメの死後、垂仁天皇はサホビメの助言に従ってミチノウシ王(丹波
比古多多須美知能宇斯王)の娘比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)を皇后
に迎えますが、この時、ヒバスヒメの妹ふたりもともに後宮に迎えているの
です。

 また、神功皇后も日子坐王の系統に属するのです。

 このように天皇の系統と強く結びつく日子坐王の系統ですが、丹波に拠点
を持っていたのがこの日子坐王系なのです。

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