小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

585 大国主に秘められた製鉄の性格 その7

2017年04月21日 01時27分00秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生585 ―大国主に秘められた製鉄の性格 その7―
 
 
 兵庫県北東部はかつての但馬国ですが、現在の養父市や豊岡市がその但馬国に含まれ
ます。
 
 『延喜式』神名帳には、但馬国の式内社として楯縫神社が載っています。
 養父市建屋の楯縫神社がこれに比定されていますが同じ養父市の長野にある斎神社
(いつき神社)も式内社楯縫神社に比定されています。また、養父市に隣接する豊岡市の
日高町には楯縫神社も鎮座します。
 いずれも彦狭知命(ヒコサチノミコトあるいはヒコサシリノミコト)を祭神とするので、
楯縫氏の斎く神社だったと思われます。
 先にお話ししたように、楯縫氏は紀伊の忌部氏と同じく彦狭知命を始祖にすると伝えら
れているのです。
 
 但馬とは反対に、西脇市の東に隣接する篠山市にもタタヌイ神社が存在します。
 川内多多奴比神社(かわちたたぬい神社)がそれで、これも楯縫からきたものと思われ
ます。
 篠山市と同じ旧丹波国では、氷上郡にも楯縫神社が存在します(こちらは現在の丹波市。
篠山市の川内多多奴比神社は旧多紀郡)が、他にも楯縫と言えば、伯耆国久米郡の
楯縫郷、出雲国楯縫郡楯縫郷、出雲国能義郡楯縫郷などがあり、いずれも楯縫氏と
関係があると見られているのですが、出雲大神の神託があった丹波国氷上郡や、出雲国に
楯縫郷があるということは、『日本書紀』の一書の神話もそうですが、楯縫氏が大国主の
信仰とも関わりがあったのでは、と考えさせられます。
 
 『出雲国風土記』では、楯縫郡の条に次のような神話を載せています。
 
 「楯縫と名付ける由来は、神魂命(カミムスビノミコト)、『五十足る天の日栖宮(ひすみの
みや)の縦横の御量は、千尋の栲縄(たくなわ)持ちて、百結び結び下げて、この天の御量を
持ちて、天の下造らしし大神の宮を造り奉れ』と、命じられ、御子、天御鳥命(アメノミトリノ
ミコト)を楯部として天より送られた。
 天御鳥命は、天より降られて、大神の宮の御装束の楯を造られた。よって今でも楯と桙(ほこ)を
造って皇神らに奉る。ゆえに楯縫という」
 
 この神話は、『日本書紀』の一書と内容がほとんど同じものです。ここに登場する天の下造ら
しし大神とは大国主のことなので、やはり楯縫氏は大国主の祭祀に関係しているとみられます。
 
ところで、篠山市の川内多多奴比神社の周辺には大売神社(おおひるめ神社)や佐々婆神社
(ささば神社)が鎮座します。
 大売神社の主祭神は大宮売命(オオミヤヒメノミコト)ですが、神社の名称となっているオオ
ヒルメとは、天照大御神のこと、あるいは天照大御神の原像とされる神の名です。
 佐々婆神社の祭神はというと、現在、ホアカリとアメノオシホミミですが、元は楽楽庭大明神
(ささば大明神)といわれ、これは天宇受売命(アメノウズメノミコト)のことだといわれています。
 アメノウズメは天孫降臨の段に登場し、サルダビコ神の妻となりますが、アメノウズメには製鉄に
関わるエピソードもあるのです。
 それは、『古事記』の天の石屋戸の神話のところで、
 
天宇受売命、天香山の天の日影を手次(たすき)に懸けて、天の真析をかずらとして、天香山の
小竹葉(ささば)を手草に結って、天の石屋戸の前で踊った。
 
と、いう一節で、ここに登場する天香山は、大和三山のひとつ天の香久山のことではなく、高天の
原にある山であり、鉱山の象徴とも言われているのです。
そして、この天香山の小竹葉(ささば)を用いた話が神社の丹波の佐々婆神社の由来とされて
いるのです。
 
佐々婆は楽楽婆とも表記されますが、鳥取県にいくつかある楽楽福神社(ささば神社)も、「楽楽」と
書いて「ささ」と読みます。
 
 鳥取県にある楽楽福神社のうち、日野郡日南町宮内の楽楽福神社(通称・東楽々福神社)と
西楽楽福神社、西伯郡伯耆町の楽々福神社、西伯郡南部町の楽々福神社、米子市安曇の
楽々福神社、それから島根県野義郡広瀬町石原の佐々布久神社(ささふく神社)が、祭神として
孝霊天皇を祀っているのですが、実は京都府篠山市の佐々婆神社も社伝によると孝霊天皇の
創建となっています。
 つまり、佐々婆神社も楽楽福神社と関連があると見られるわけですが、楽楽福神社では、社名の
由来として、「ささ」は砂鉄で、「ふく」は溶鉱炉への送風をあらわしたものと伝えているのです。
 ならば、佐々婆神社もやはり製鉄に関わると見做せるということになります。
上記のとおり、楽々福神社は日野郡日南町印賀にもありますが、事実、この地は印賀鋼の名で
知られる和鉄の産地であり、印賀鋼は古来のたたら製法で作られたそうです。
 
 それと、この印賀の楽楽福神社には奇妙な伝承があります。
 楽楽福神社の祭神が、竹で目をついてしまい、一眼を失ってしまったのでこの地では岳を植え
ない、というものです。
 一眼を失った神。それは垂仁天皇のところでふれたように、谷川健一が『青銅の神々の足跡』の
中で、製鉄にたずさわる人々の間に片目の神の伝承があり、その背景には、炎を見つけすぎた
ために目を傷めたたたら師たちの姿があるのではないか、と考察しています。
 
 実は、この伝承に似た話が長野県松本市の勢伊多賀神社(せいたか神社)にもあるのです。
 こちらでは、祭神が栗の毬で一眼を突いたので村では栗を植えない、というものです。
 なお、勢伊多賀神社の祭神はイザナキと金山彦命です。
 
 さらに、日南町宮内の楽楽福神社でも、祭神は片目の神である、と伝えているそうです。
 また、西伯郡南部町の楽々福神社の祭神は眼病の神であるとも言います。
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