五月というと、五月晴れを期待するのですが、なぜか雨の多い今年の五月。
でも、こっそり、ずっとお祝いを述べてきた誕生月なので、
四月から月が改まると、おっ五月だ・・・と少し背筋がのびる気分になります。
「海底の君へ」の放送、「精霊の守り人」シーズン1の放送開始から、
「僕だけがいない街」の怒涛の番宣、「僕街」公開とファンとしては大忙しの時期と
仕事の繁忙期が重なって、ブログを更新する余裕がなかったのですが、
少し身辺が落ち着いて、そろそろ更新をと思ったやさきの大地震でした。
被災地とは比べものにならない経験ではありましたが、2005年に地元を襲った地震以来の
激しい揺れでした。あれから三週間あまり過ぎて、こちらではほぼ余震はおさまりました。
被災地では余震に加え、土砂災害の恐れもあって、不安な状況が続いていますが、
それでも少しずつ日常が戻りつつあるようです。こうした災害が起きると、
あたりまえに過ごしてきた日常の大切さ、尊さが身に沁みてわかります。
どうか、これ以上、被害が大きくなりませんように。
「僕街」の番宣は、どれも楽しくて、特に「笑ってこらえて」「モニタリング」「買物の達人は
最近にはなく、何度も録画をリピートして、そのたびに、明るい気持ちにさせてもらいました。
あさいちでは、一回道の映像が早朝の全国放送で流れ、「おじゃマップ」では懐かしい局長呼び、
というおまけもあって、いろいろな楽しみ方ができました。あと、買物の達人のぬいぐるみ。
スコットランドの作家の手作り一点もののようでしたね。あのテイスト、けっこう好きでした。
「僕街」番宣ではローカル番組にも数本の出演があったので、
今更感ありありですが、近いうちに!、そのあたりのレポートをしたいと思っています。
でも、こっそり、ずっとお祝いを述べてきた誕生月なので、
四月から月が改まると、おっ五月だ・・・と少し背筋がのびる気分になります。
「海底の君へ」の放送、「精霊の守り人」シーズン1の放送開始から、
「僕だけがいない街」の怒涛の番宣、「僕街」公開とファンとしては大忙しの時期と
仕事の繁忙期が重なって、ブログを更新する余裕がなかったのですが、
少し身辺が落ち着いて、そろそろ更新をと思ったやさきの大地震でした。
被災地とは比べものにならない経験ではありましたが、2005年に地元を襲った地震以来の
激しい揺れでした。あれから三週間あまり過ぎて、こちらではほぼ余震はおさまりました。
被災地では余震に加え、土砂災害の恐れもあって、不安な状況が続いていますが、
それでも少しずつ日常が戻りつつあるようです。こうした災害が起きると、
あたりまえに過ごしてきた日常の大切さ、尊さが身に沁みてわかります。
どうか、これ以上、被害が大きくなりませんように。
「僕街」の番宣は、どれも楽しくて、特に「笑ってこらえて」「モニタリング」「買物の達人は
最近にはなく、何度も録画をリピートして、そのたびに、明るい気持ちにさせてもらいました。
あさいちでは、一回道の映像が早朝の全国放送で流れ、「おじゃマップ」では懐かしい局長呼び、
というおまけもあって、いろいろな楽しみ方ができました。あと、買物の達人のぬいぐるみ。
スコットランドの作家の手作り一点もののようでしたね。あのテイスト、けっこう好きでした。
「僕街」番宣ではローカル番組にも数本の出演があったので、
今更感ありありですが、近いうちに!、そのあたりのレポートをしたいと思っています。
今、どうしてらっしゃるのでしょう、、、
いつどこで、この報せを聞かれたのか、、、
先日来、「王女メディア」に始まる、私が観ることのできた30年以上にわたるたくさんの舞台を思い、この10数年のお二人のお仕事を思い、何冊かの本や雑誌の記事などを思う、というような時間を過ごしています。
亡くなられた翌日に出されたコメントは、本当に、過去と現在と未来とを簡潔に含めて、竜也さんにしか言えないことを言い切られたものだと、泣きました。
5月は「やっぱり特別な月」です。初めてお二人が会われたのも、別れられたのも。。。
それでも、敢えて、こちらで言わせてくださいませ(ごめんなさい)。
34歳のお誕生日、おめでとうございます。また、新しい旅立ちの一年になることを、心から祈っています。
亡くなる前日の11日に鋼太郎さんとお見舞いにいかれたことが、せめてもの救いだったのでしょうか。
鋼太郎さんが弔辞のなかで言われた、そのときの表情については・・・胸が詰まります。
RUMIさんは、平さんの「王女メディア」なんですね。私は叔母の付き合いで観た「近松心中物語」でした。それからずっと蜷川さんの媚態を観ていたわけではないのですが・・・。平さんが弔辞で、一度も褒められたことがなかった、と言われたのは、驚きでした。「ハムレット」のパンフレットで、平さんが「藤原くん、がんばれ」と書かれていたことの重みに気づかされました。
亡くなられた翌日のコメントも弔辞も、竜也さんだからこその言葉でしたね。十二日以降から昨日まで、私ごときがと思いながらも、なんだか現実感がなく、時を過ごしていました。
こういう五月になったからこそ、私も言いますね。
三十四歳のお誕生日、おめでとうございます。
これからも続く俳優人生が、ますます充実したものになりますように。