トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

「私は新しい政府の樹立を促進する」エルドアン大統領

2015年06月22日 | 国内
6月22日 エルドアン大統領は、国民の期待に応えて、新しい政府の樹立を促進すると言いました。

 Hurriyet

「私は大統領として、国民の意志と期待に従って、できる限り速やかに、新しい政府を樹立すべく努めます」と、6月21日、エルドアン大統領は、トルコ輸出業者会議でのスピーチで言いました。

大統領はまた、大統領はその権限を超えないようにするべきだという最近の諸政党の声明にも応えました。「大統領は権限を縮小すべきだというような発言をする人たちもいます。私は憲法に書かれた大統領の権限をよく知っています。政界での40年間、私はつねに憲法に従って行動してきました。私は憲法によって与えられた大統領の権限と責任をどう使うか、よく承知しています。私にそのような指示は無用です」


涼し過ぎもあってツーリスト減少

ロシアとヨーロッパからのツーリストの減少と、涼し過ぎる気候のために、ツーリズム業界は厳しい状況にあると観光業者は言っています。政府の支援が足りないという苦情も。

 Hurriyet

ロシアとヨーロッパのツーリストが減ったうえに、ラマザンに入って、トルコ人は家で過ごすようになり、季節はずれの涼しい気候がつづいて、ホテルの稼働率は減少していると観光業者は言っています。

「観光業者やホテル業者は国から支援を受けていません。政府はロシアのツーリストをトルコに呼ぶために支援をすると言っていたのに、なにもしてくれません」とトルコ・ホテル業者連合(TUROFED)のスルリ・チョラバトゥル副会長。ツーリストが減ったため、連合の従業員を、昨年の450人から今年は350人に減らしたと、彼は言っています。

「アンタリヤ海岸のツーリストは、昨年にくらべて30万人減ったと、私たちは見ています」TUROFEDのオスマン・アユク会長は言いました。

「1月から5月、イスタンブルを訪れたイタリア人ツーリストは、昨年より17%減りました。ロシア人ツーリストは16%、スペイン人は8%減りました。しかし、イラン人は、昨年にくらべて35%増えました」と、小ホテル協会のオメル・ファルク・ボヤジュ会長は言いました。


岩窟墓で宝探しする密輸業者と憲兵隊が衝突。憲兵1人死亡

6月20日、デニズリ県で、密輸業者と憲兵隊の武力衝突が起こり、特務軍曹が崖から突き落とされて死亡しました。

 Hurriyet

デニズリのホナズ地区で、逃げる密輸業者を捕らえようとしていたジェンギス・ダルバシュ特務軍曹(32)を、容疑者の1人が崖から突き落としたのです。他の2人の憲兵も井戸に落ちて負傷しました。

5人の密輸業者のうち、4人は逮捕されましたが、1人は逃走しました。6月20日夜、憲兵隊は、密輸業者たちが岩窟墓のある山岳地帯で、歴史的遺物を探しているという通報を受けました。パトロール隊が捜査活動のため現場に送られましたが、5人の密輸業者は憲兵隊の呼びかけを無視して、武力衝突が始まりました。

暗闇の中で憲兵隊が密輸業者を捕まえようとしているとき、容疑者の1人がダルバシュ特務軍曹を崖から突き落としました。軍曹は重傷を負って亡くなりました。もう1人の憲兵も崖から落ちて負傷しました。逃走した1人を捕らえるために、大規模な作戦が始まっています。


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国連善意大使アンジェリーナ・ジョリーがトルコの難民キャンプ訪問

2015年06月20日 | 
6月21日 ハリウッド・スターで、国連難民高等弁務官(UNHCR)の善意大使アンジェリーナ・ジョリーさんが、シリアからの難民を訪ねるために、トルコ南東部のマルディンに到着しました。

 Hurriyet

オスカー賞を受賞したアメリカの女優で監督のジョリーさんは、マルディン・ミディヤト地区の臨時保護センターにいるシリアとイラクの難民を訪ねるために、6月19日夜、自家用機でトルコに到着しました。

ジョリーさんは「世界難民デー」のプログラムに参加する予定ですが、これにはエルドアン大統領と国連難民高等弁務官(UNHCR)のアントニオ・グテーレス氏も参加します。グテーレス氏は6月20日、トルコ南東部のマルディン県、シャンルウルファ県、ガジアンテップ県の臨時保護センターを訪れました。

ジョリーさんは2012年にもトルコを訪れ、グテーレス氏とともに、ガジアンテプ県とキリス県のシリア難民たちを見舞っています。また、2011年には、ジョリーさんは、シリア国境から20キロのハタイ県に赴き、シリアから逃げてきた難民たちに会っています。

「キャンプにいる人々は命の危険を感じて逃げてきたのです。シリアに残っている家族の身を案じて心を痛めていると、多くの人々が私に話しました」とジョリーさんは言っていました。


エフェススは世界遺産に登録されるか、カウントダウンが始まった

トルコ旅行をした方は、多分、古代都市エフェススの遺跡を訪ねていらっしゃるでしょう。7月5日、ボンで行われる世界遺産委員会の投票で、エフェススがユネスコの世界遺産になるかどうかが決まります。

 Hurriyet

セルチュク市のゼイネル・バクジュ市長は、よいニュースを期待していると言っています。「委員会の会議は7月3日に始まりますが、議題はたくさんあります。エフェススが審議されるのは7月5日になるでしょう。私たちはよい結果を信じています」と市長は言っています。「よい結果が出たら、セルチュク市は国旗を掲げ、祝典プランを立てます」

エフェススの遺跡は、古代ギリシャ、ヘレニズム時代、ローマ時代、ビザンティン時代、オスマン時代の美術品の宝庫だと、バクジュ市長は言いました。「エフェススはアヤスルク(城)、アルテミスの神殿、聖ヨハネのバシリカ、チュクリチ古墳、パムジャク海岸を含む広大なエリアです。私たちがエフェススと呼んでいる都市には、昔は20万人もの人々が住んでいました。それらすべての要因から考えて、エフェススは世界遺産になると思います」と市長は言っています。


エルドアン大統領がアンジェリーナ・ジョリーと会った

エルドアン大統領は6月20日、世界難民デーの記念イベントの一環として、ハリウッド・スターで国連の難民のための善意大使であるアンジェリーナ・ジェリーさんと、アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官と会談しました。
 Hurriyet

3人はカスル・ネフロス・ホテルで30分ほど会談し、エルドアン大統領はNGOの代表とともに、記者会見に臨みました。エミネ・エルドアン大統領夫人、ヌマン・クルトゥルムシュ副首相、メフディ・エケル食物相が、大統領のマルディン行きに同行しました。


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イスタンブルのメーンストリートで集団イフタル(断食明けの夕食)

2015年06月20日 | 国内
6月20日 ラマザン初日の6月18日、イスタンブルのイスティクラル通りの屋外イフタル“Yeryuzu Ihtari”に1000人もの人々が集まりました。「イフタル」はイスラムの聖月ラマザン中、断食明けに食べる宗教的な夕食です。

Hurriyet
海外からのツーリストはびっくりしたでしょうね。


およそ1000人の人々が、イスティクラル通りの端のテュネル広場に集まりました。ゲジ公園デモの主要なグループだった反資本主義ムスリムたちが、ラマザン初日に集団イフタルをしようと呼びかけたのです。人々はイフタルを始める日没の45分前に夕食の準備を始めました。

人々はテュネル広場とガラタサライ広場の間のイスティクラル通りに、紙をひろげ、そこに食物や飲物を置いてテーブルにし、地べたにすわって食事しました。大通りのディナーは、たまたま通りかかった人やツーリストたち驚かせていました。

Hurriyet

神学者で作家のイフサン・エリアチュク氏は、“地べたイフタル”は2011年以来、定着し、知られてきたと言っています。「人々は自主的に集まります。呼びかけがあれば、私たちは行きます。市内の他の場所で、呼びかけがあっても、行くでしょうね。それがラマザンが終わるまでつづくかもしれない」

Hurriyet

イスティクラル通りの“地べたイフタル”は、2013年6月、ゲジ公園プロテストの参加者と警察の衝突がくり返され、緊張が高まっているとき、初めて行われました。ゲジ公園のデモは、2013年5月下旬、環境活動家の小さなプロテストから始まり、警察の暴力的介入によって、あっというまに全国にひろがりました。

・・・イスティクラル通りのまさに真ん中でイフタル! 宗教的意味合いより、権威への抵抗より、「トルコ人て、オチャメ」という感じがします。


エルドアン大統領とギュル前大統領が国会でサプライズ会談

6月19日、エルドアン大統領とギュル前大統領が国会でサプライズ会談をしました。7月の総選挙以来、初の会談です。エルドアン大統領とギュル前大統領はジェミル・チチェキ国会議長のオフィスで、約1時間、会談しました。

Hurriyet
左からチチェキ国会議長、ギュル前大統領、エルドアン大統領


会談は2人が、今週逝去したシュレイマン・デミレル元大統領の葬儀に出席した後に行われました。2人は2001年の公正発展党(AKP)設立のメンバー同士であり、長年の仲間同士です。

最近、ギュル前大統領の顧問を12年務めたアフメト・セヴェル氏が、「アブドゥラ・ギュルとともに12年間」という本を出版し、波紋を呼んでいます。この本によると、エルドアン大統領とギュル前大統領の間には多くの意見の相違があったということです。シリア政策にしても、2013年のゲジ公園プロテスト問題にしても、2人の意見は割れていたそうです。

本の出版から2日後の16日、ギュル前大統領は声明書で、この本の出版を指示していないし認めてもいないと言いました。「私はこの本が出版されるまえに、いかなる指示も介入もしていません。それどころか、私は、アフメト・セヴェル氏が本を出そうと思っていることさえ知らなかった」

しかし、セヴェル氏は、ギュル前大統領は、本をすべて読み、いくつか訂正さえしていると言っています。

・・・ウソついてるのは、どっち? 


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国連高等弁務官とエルドアン大統領が難民と断食明けの食事

2015年06月18日 | 国内
6月19日 国連難民高等弁務官アントニオ・グテーレス氏と、トルコのエルドアン大統領が、6月20日、トルコ東南部マルディンで、断食明けの食事“イフタル”を難民たちとともにすることになりました。

 Hurriyet

エルドアン大統領とグテーレス高等弁務官は「世界難民の日」を記念してマルディンを訪れます。マルディンには、シリアの体制派とISILの双方から逃げてきたシリア人難民が大勢住んでいます。

グテーレス高等弁務官はアンカラで、ダヴトオール首相を初め、トルコの政府要人たちに会うでしょう。2011年、シリア難民に対してオープンドア政策をとってきたトルコは、世界最大の難民受入れ国になりました。

災害緊急管理局(AFAD)によると、保護を求めているシリア人の数は180万人を越え、ごく最近も国境近くのシリアの町タルアブヤドから2万3000人が殺到してきました。現在、27万5000人の難民が臨時避難センターに住んでいます。また、トルコ政府は難民救済に4年間で57億ドルを費やしています。


「誠実なパートナーと“会社”のような連立政府をつくりたい」ダヴトオール首相

ダヴトオール首相は、少数派政府を維持していくより、強力な連立政府を成立させたいと言い、連立政府をつくるプロセスを“会社”の設立にたとえました。

 Hurriyet

「いろいろ厳しい状況下で、わが国を政府のないままにしておかないために、少数派政府は最後の選択のひとつとしたい。わが党は少数派政府にドアを閉ざすことはない。正直で、誠実なパートナーを得たら、私は連立政府設立の選択をする」と、ダヴトオール首相は、6月17日夜、民放ハベルテュルクのインタビューで言いました。

「私は必要ならパートナーと厳しい交渉をして、まっとうな“会社”をつくりたい。13%の票を得た党と接触しないとは言わない」と、首相はHDPにも言及しました。「テロや暴力との結びつきを切れない党は、早晩、合法性の問題に直面するだろう」
首相の話は結局、「HDPは、実際は非合法組織クルド労働者党(PKK)の管理下にある」というAKPのいつもの主調になりました。


デミレル元大統領のための国葬が行われた

首相を7回務めたシュレイマン・デミレル元大統領の国葬がアンカラで行われました。デミレル氏は6月17日、90歳で逝去されました。(昨日の頁参照)

 Hurriyet

6月19日午前8時、デミレル氏の遺体は、アンカラ・テュナル区のギュニシ通りの自宅から、葬儀のためにトルコ国会に運ばれました。葬儀は午前9時から9時45分まで行われました。デミレル氏の棺は国会の“栄光の門”の前に安置され、家族と政府のスピーチがありました。

デミレル氏の遺体は大統領警備隊に守られ、葬列とともに、砲車でコジャテペ・モスクに運ばれました。モスクでの礼拝の後、デミレル氏の遺体は、軍用機でエーゲ海地方のウスパルタ県に空輸され、彼の故郷の村イスラムキョイのチャルジャテペに運ばれました。「この村でデミレル氏は永遠の眠りにつかれます」と、デミレル氏の侍医アイリン・ジェスルさんは、アンカラのデミル家の前で言いました。


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トルコの元大統領デミレル氏が90歳で逝去

2015年06月18日 | 国際
6月18日 トルコの元大統領デミレル氏が90歳で亡くなりました。彼は軍部によって2度倒されましたが、最終的に復帰しました。トルコ政府はデミレル氏のために、3日間の喪に服すと宣言しました。彼は支持者たちから“ババ”(お父さん)と呼ばれていました。

 Hurriyet

エルドアン大統領とダヴトオール首相は6月17日朝、デミレル氏の死去に“深い悲しみ”を表明しました。左右の野党も哀悼の意を表明しました。

デミレル氏は1960年代から1990年代まで、首相を7回、1993年から2000年、大統領を務めましたが、呼吸器系の疾患で治療を受けていたアンカラのギュヴェン病院で亡くなりました。葬儀は6月19日、アンカラで行われ、故郷のウスパルタに埋葬されます。

デミレル氏は1924年11月20日、ウスパルタの村で生まれました。通常なら彼は、生涯を村で過ごし、羊飼いとして暮らすはずでした。「田舎から出てきた私が、首相になり大統領になったことが、トルコ共和国の最大のすばらしさです」と彼は言いました。

若いデミレル氏は公務員となり、1949年、国の電力計画部門で働きはじめ、1955年まで、アメリカの灌漑や電気技術やダム建設に関して大学院で学びました。その後、1962年、政界入りしました。

「私はトルコの若者たちに告げたい。私が成功できたのだから、君らもできる」とデミレル氏は、2014年10月、故郷の村の「民主主義と発展博物館」の開会式のスピーチで言いました。「これはすべてムスタファ・ケマル・アタテュルクと、彼が樹立した共和国のおかげです。よりよい共和国をつくるための、われわれの民主主義の戦いのおかげです」
 1965年、彼は初めて選挙で選ばれた首相になりました。


「トルコはシリア難民の子供を最も多く受け入れている」ユニセフ

トルコで登録されているシリア難民の半分以上は子供であり、トルコはどこの国より子供たちの重要な避難所になっていると、ユニセフのクリストフ・ブーリエラク代表が言いました。

 Hurriyet

「6月初旬以後、タルアブヤド町のシリア人が、空爆と戦闘を逃れて、トルコのアクチャカレ国境ゲートからトルコ領内に流入していると」、6月16日、ユニセフが発表しました。ジュネーヴの記者会見で、ブーリエラク代表は、今回、流入した難民2万3000人の中に1万人の子供がいると言いました。

「トルコに暮らす180万人の難民の54%は子供です。90万人の子供の難民がいるということです」と代表は言いました。



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国境でトルコ兵がISIL戦闘員を逮捕

2015年06月17日 | 国際
6月17日 トルコとシリアの国境アクチャカレのゲート近くで、トルコ兵がISILの戦闘員と思われる男5人を逮捕しました。

 Hurriyet

激化する衝突を逃れて何千人ものシリア人が国境に群がる中、男たちはそのどさくさにまぎれてトルコ領内にもぐりこもうとしました。ISILの戦闘員対「クルド人民の守備隊」(YPG)と「自由シリア軍」(FSA)の戦闘が激化し、装甲車に守られたトルコ兵たちは、国境のトルコ側で放火を避けていました。

ISILのメンバーと思われる5人の男は、鉄条網をくぐってトルコ領に入ってきて、トルコ兵に逮捕されました。身体検査の後、5人は装甲車で連行されました。

 Hurriyet

アメリカ主導の連合軍の空爆に支援されたクルド軍とISILの戦闘は、先週、さらに激化し、何千人ものシリア人がトルコ国境に殺到しました。1万5000人の難民が、トルコのアクチャカレの国境ゲートを通過したと、当局はアナドルニュースに告げました。


イスラムの聖月ラマザンが明日から始まる

トルコのムスリムたちは、聖なる月ラマザンの始る6月18日から断食を始めます。世界16億のムスリムたちは、ラマザンの1か月、日の出から日没まで食物も水分もとりません。

 Hurriyet

多くのトルコ人にとっては、18日がラマザンの始まりですが、アラブやアフリカの国々では、ラマザンの始る日が違います。ラマザンは月の暦に従っているので、新月の見えかたで、ラマザンの始まりが変わってくるのです。

ラマザン中の日の出から日没まで行われる断食は、イスラムの5つの柱(基本的な主教上の義務)のひとつです。ラマザンは自己考察と宗教的献身のときです。ラマザンはまた宗教的な習慣や社交のときでもあり、人々は日没後、友人や隣人たちを訪ねたり、家族でご馳走を食べたりします。

 Hurriyet

30日間つづくラマザン中、ムスリムは日の出から日没まで、食物、飲物、喫煙、セックスを控えなければなりません。イスタンブルでは、ブルーモスクとエユップ・スルタン・モスクは、ラマザン中の礼拝の最も象徴的な場所になります。ラマザン中のモスクでは、毎夜、礼拝が行われます。

ラマザン中、イスタンブルの町々ではイフタル(日没後、食べる食事)が用意されます。イフタルは無料で、スープ、煮込み、プディング、ジュースなどが提供されます。道化師や影絵人形芝居などのストリート・パフォーマンスも行われ、住民を楽しませてくれます。


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難民殺到にお手上げのトルコ、ヨーロッパに助力を促す

2015年06月16日 | 国際
6月16日 トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相は、欧州評議会議員会議(PACE)の特別会合を開催し、シリアからトルコへの大規模な難民の殺到に対して、ヨーロッパの助力を求めました。

 Hurriyet
戦火を逃れてきたシリア人たちが、壊れたフェンスから不法にトルコ領内に入ろうとしている。6月14日、シャンルウルファ県アクチャカレの国境ゲート近く。


PACEのアンヌ・ブラスール会長を含むメンバーとのディナーの席で、チャヴシュオール外相はスピーチし、トルコが2年以上担ってきた難民と言う重荷を、世界も分担するべきだと訴えました。「トルコはすでに難民のために、60億ドルを費やしています。国際社会からの援助は3億ドルに過ぎません。この重荷はシェアされるべきでしょう」

チャヴシュオール外相はまた、約50万人の難民が教育を受けるべき年齢になっているが、教育を受けているのはその40%に過ぎないと言いました。「彼らは帰るべき家がないのです。ヨルダン、エジプト、サウジアラビア、レバノンにも約200万の難民がいますが、彼らはトルコにいる難民より劣悪な状況下にいます」

この問題の解決への助力に関して、総合的な戦略が決められていないことが問題なのだと、チャヴシュオール外相は言いました。ブラスール会長は、シリアとイラクの難民に対する“トルコの暖かい受け入れ”に大きな感銘を受けていると言いました。「ヨーロッパはもっと助力すべきです」


トルコは難民のために、ふたたび国境を開いた

 Hurriyet
鉄条網を破り、まず幼児をトルコ領内に入れるシリア難民。不法入国を阻止する役目のトルコ兵も幼児には手を出せませんね。

女性や子供を含む何千人のシリア人が、ISILのジハーディストの攻撃を逃れ、トルコ国境へ逃げてくるのに応え、トルコはふたたびシリア難民に国境を開きました。

・・・トルコはエライ!国際社会は見習え。


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トルコ軍が群がるシリア難民を国境から後退させた

2015年06月14日 | 国際
6月15日 13日、トルコ治安部隊は、水砲と警告発砲で、戦火から逃れてトルコ国境に群がるシリア人をゲートから後退させたと、AFPのカメラマンが言いました。シリア人たちは、トルコ南東部アクチャカレのゲート周辺の鉄条網の後ろで入国を待っています。

 Hurriyet
テルアブヤドから逃げてきて、トルコ・シャンルウルファ県アクチャカレの国境ゲートに群がるシリア人たち


トルコ国境に近いシリアの町テルアブヤドでは、クルド軍とISILのジハーディストが激戦中です。住民たちは戦火を逃れて、トルコ国境へ群がり、緊張が高まっています。現在、トルコ軍は難民たちの入国を許可していません。

クルド人とISILの戦いが激化し、シリア人がぞくぞくとトルコ国境へやってくるため、トルコ当局は木曜、シリア難民のトルコ領内への流入を制限する対策をとりました。エルドアン大統領のオープンドア政策で、2011年にシリアの内戦が始まってから、トルコは180万人のシリア難民を受け入れてきました。

しかし、6月11日、ヌマン・クルトゥルムシュ副首相は、これからは人道的に悲劇的と考えられるケースのみ、入国を許可すると言いました。トルコ当局は、トルコはすでに、今回のテルアブヤドからの難民13500人を受け入れていると言っています。

・・・トルコ国内のシリア難民はすでに200万人。これ以上、怒涛のように押し寄せるシリア人を入国させたら、トルコはシリアになってしまいますね。こんな状態で、シリアはまだ国家と言えるのでしょうか。


人民民主党(HDP)の選挙集会の爆発攻撃で4人目の死者が

クルド系政党・人民民主党(HDP)の集会への爆発攻撃による死者が4人になりました。65歳の負傷者がなくなったと、ドーアンニュースが報じました。



 Hurriyet
6月12日、HDPのデミルタシュ共同党首は爆発のあった場所に追悼に訪れました。


6月7日の総選挙の2日前の5日に、ディヤルバクルで起こった爆発攻撃は、ボールベアリングに詰めた爆発物によるものでした。重傷を負っていたアリ・テュルクマンさん(65)はディヤルバクルの病院で亡くなりました。負傷者は100人以上です。

ダヴトオール首相は、攻撃の容疑者1人が逮捕され、戦闘員グループとの関係を調査している言いました。HDPは先週の選挙で13%の票を獲得、80議席を得ました。これはトルコにおけるクルド人の政治的力の歴史的突破口と言えます。

HDPのデミルタシュ共同党首は、今週、トルコ国境近くのイラクとシリア領内で支配地域を拡大しているISILの攻撃を非難しました。トルコ国内につくられたISILの“細胞”が、トルコを混乱に陥れる命令を待っていることを懸念していると、デミルタシュ氏は言いました。

6月9日、爆発攻撃による死者が4人になり、ディヤルバクルでは緊張が高まっています。


2015年のミス・トルコはブルサ出身の18歳

 Hurriyet

20人のライバルの中から、2015年ミス・トルコに選出されたのは、ブルサ出身のエジェム・チュルパンさん、18歳。来るべきミス・ワールド・コンテストに出場します。



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「エルドアン大統領は選挙の敗北者だ」MHPのバフチェリ党首

2015年06月13日 | 国内
6月14日 愛国者行動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首が、6月7日の選挙で敗北者になったエルドアン大統領は職を辞すべきだと言いました。

 Hurriyet

6月11日、エルドアン大統領は早期に選挙をしたいと思っているという推測について尋ねられたバフチェリ党首は、「エルドアン大統領はこの状況下では辞任すべきだ」と言いました。大統領選のやり直しによって、民主的イニシアティブは始まります。選挙の敗北者はエルドアン大統領です」と、バフチェリ党首はHurriyet 紙のインタビューで言いました。

AKPと連立政府の形成にあたることになったら、透明でクリーンな政府をつくるために、MHPは汚職に関わった人物は除外すると決めていると、バフチェリ党首は言いました。6月7日、選挙結果が出た後、バフチェリ党首は、エルドアン大統領は憲法の許す範囲内にとどまるか、でなければ、辞任を考えるべきだと言いました。

彼はまた、AKPが野党との連立に合意できないのなら、新たに選挙を行うべきだと言いました。「とくに、エルドアン大統領は選挙結果について、はっきりとコメントするべきです」

AKPが連立政府をつくるとしたら、そのパートナーとして最も可能性が大きいのはMHPだと見られていたのですが・・・。


プーチン大統領とエルドアン大統領が密室会談

ロシアのプーチン大統領は6月13日、エルドアン大統領と会談し、エネルギー問題とシリア危機について話し合ったと思われると、ロシアのニュース局が報じました。2人の首脳は、アゼルバイジャンで行われた「ヨーロッパ・ゲーム」の開会式の翌日、バクーで会談しました。

 Hurriyet
ロシアのプーチン大統領(左)とエルドアン大統領が13日、バクーで会談。


密室会談の前に、エルドアン大統領は、EUのリーダーたちがこのイベントに来なかったことについてコメントしました。「このイベントは“ヨーロッパ・ゲーム”という名なのに、EUのリーダーがだれも来なかったのは、私には理解できない」

ロシア政府のスポークスマン、ディミトリ・ペスコフ氏は、期待した以上に“非常に実のある会談”だったと言いました。2人はロシアの石油をトルコに運ぶパイプラインについて話し合ったと思われます。パイプラインの建設は今月末に始まります。

2人の大統領はまた、シリアの状況についても討論したようです。彼らが中東 ー シリアの複雑な状況について話し合ったことはまちがいありません。2人の会談は、昨12月、プーチンがトルコを1日訪問したとき以来です。


EUの外務政策代表がトルコの最大野党党首に電話してきた

EUの外務政策代表が、6月7日の総選挙の結果について意見を交換するために、共和人民党(CHP)の党首に電話してきました。

 Hurriyet

EUの外務・安全政策上級代表のフェデリカ・モゲリーニ氏が、6月11日夜、CHPのケマル・クルチュダルオール党首に電話してきたと、CHPのプレス・オフィスが発表しました。クルチュダルオール党首とモゲリーニ代表は、7日の国会選挙後の政府の形成プロセスの予想と、トルコとEUの関係について意見を語り合いました。

6月8日に出されたモゲリーニ代表とヨハーネス・ハーン代表による共同声明で、28の加盟国はトルコの総選挙の高い投票率を歓迎し、EUとトルコ政府の関係を進展させる用意があることを表明しました。

「私たちはトルコの新しい議会と政府が速やかに形成され、緊密に協力できることを期待している。今後、EUとトルコの関係がより強くなり、市民の利益のために、あらゆる分野で関係が深まることを願って、前進するチャンスを提供する」と声明は言っています。


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エルドアン大統領が「政治家はエゴを抑えるべきだ」と発言

2015年06月12日 | 国内
6月13日 7日の総選挙以来4日間の長い沈黙を破ったエルドアン大統領が、政治家はすべからくエゴを抑え、常識をもって、国家を第一に考えるべきだと発言し、賢明な政治家の役を演じました。

 Hurriyet

「政治家はすべてエゴを抑え、憲法上、法律上のプロセスに従って、できるだけ早く新しい政府をつくるべきだ」と、エルドアン大統領は6月11日、外国人留学生の卒業式のスピーチで言いました。「プロセスはストップしていたところから、再開するべきだ」

大統領のいつもの野党に対する激しい言辞やAKPを守るための攻撃的選挙キャンペーンが、まだ記憶に新しいとき、今回の大統領のスピーチの説得するような語調は人々を驚かせました。「トルコを政府のないままにしておくような人は、歴史にも、わが国民のためにも、なにもできないだろう」と彼は明言しました。

この前日、エルドアン大統領は、最大野党・共和人民党の前党首デニス・バイカル氏と会談しています。この予想外の会談は、AKPが過半数を割ったので、大統領は、AKPとCHPの2大政党の連立政府をつくる計画を練っているのではと推測されました。バイカル氏との会談について、エルドアン大統領は、「この選挙で私の肩にはさらに重い責任がかかってきたから、最年長の議員であるバイカル氏と話し合ったのだ」と説明しました。

エルドアン大統領は、トルコ経済は成長をつづけていると言い、また、この実績を維持し、現在の信頼状況を守ることは、トルコにとって“マスト”だと言いました。


HDPのデミルタシュ氏が平和プロセスを促し「オジャランが待っている」と発言

非合法クルド労働者党(PKK)の収監中のリーダー、アブドゥラ・オジャランが、PKKの戦闘員に武器を置くように呼びかけるのに適切な人物であると、人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首は言い、停滞している平和プロセスのための話し合いを促しました。

 Hurriyet
6月9日、アンカラのHDP本部に到着して、支持者に迎えられて微笑むデミルタシュ共同党首


「武器を置くよう呼びかける人物はオジャラン氏であり、彼はイムラル島で待っている」と、デミルタシュ共同党首は、6月11日、記者団に語りました。デミルタシュ氏は、HDPは早急にPKKのリーダー訪問を当局に訴えると発表しました。オジャランは終身刑を受け、マルマラ海のイムラル島の刑務所に収監されています。

「ダヴトオール首相がこれに賛成してくれたら、われわれは行きます。わが党の代表団はイムラル島行きを待っています」とデミルタシュ氏は言い、トルコの治安部隊とPKKの戦闘員の30年におよぶ紛争を終わらせるための平和プロセスの再開に言及しました。

「われわれは責任を果たします。われわれは国民に約束しました。解決プロセスを再開する必要があります。これは最も重要なテーマです。われわれの代表団は申請書を提出し、声明を出します。われわれは新しい憲法の草案のために一歩を踏み出す用意があります」とデミルタシュ共同党首は言いました。

オジャランはPKKに、トルコに対する武力闘争を止めるための臨時会議を招集するよう書簡で促しました。その書簡は3月21日、ディヤルバクルのネヴルスの祝典で読まれました。

ギュル前大統領が総選挙後、現大統領と首相に電話した

エルドアン大統領の前任者、第11代大統領のアブドゥラ・ギュル氏が、7日の選挙後、エルドアン大統領に慰労の電話を入れました。ギュル前大統領はまた、ダヴトオール首相にも電話し、厳しい選挙の結果に対して警告のメッセージを送りました。

 Hurriyet

ギュル前大統領は6月11日夜、エルドアン大統領と電話で話し合ったと、アナドルニュースが報じました。ギュル前大統領は、6月7日の選挙結果が、トルコにとってよい結果になることを望むと言ったそうです。

ギュル前大統領とエルドアン大統領は公正発展党(AKP)をともに築いた間柄です。しかし、AKPは過半数を割り、トルコはいま、連立政府がつくられるのか、あるいは急遽、選挙が行われるのか、不確かな時期にあります。

ギュル前大統領は選挙直後、ダヴトオール首相に電話したと、12日、ポスタ紙が報じました。ポスタ紙によると、ギュル前大統領はエルドアン大統領とダヴトオール首相に同じメッセージを送ったということです。「AKPを含む連立政府をつくるべきでしょう。6月7日の総選挙の結果、出てきた答えは“連立政府”です」と、ギュル前大統領は、長い友人である2人のリーダーに言ったということです。


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