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トルコはアレッポーに国際支援団を送ることを提案した

2016年10月17日 | 国際
10月18日 アメリカ、ロシアと、シリアの近隣諸国が出席し、スイスのローザンヌで開かれた緊急会議で、トルコは、包囲がつづいているシリアのアレッポーに、国際支援護送団を送ることを提案しました。アレッポーではいま、30万人の人々が食料や衣料品、生活用品の不足に苦しんでいます。

Hurriyet
シリア危機を討議するローザンヌ会議。左側の列・手前から2人目がロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相、3人目がアメリカのジョン・ケリー国務長官、右側の列・手前から2人目がトルコのチャヴシュオール外相


「わが国はアレッポーへの支援を提案する。各国の国旗を掲げたトレーラーを連ねた国際的な護送団を送り、人道的支援を届けたいと思う。各国の国旗を掲げた護送団なら、攻撃を受ける可能性も減少するだろう」と、トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相は、15日の会議の後の記者会見で言いました。

10月4日、北部アレッポー近くで、国連とシリア・アラブ赤新月社の護送団が攻撃されたことに触れ、チャヴシュオール外相は、「国際的な護送団を結成すれば、攻撃のリスクを減らせるだろう」と提案し、「この人道支援の実現には、少なくとも3日間の停戦の取決めが必要になる」と付言しました。

トルコ外相の提案には、会場の数か国の代表が賛意を表明し、とくに国連のスタッファン・デ・ミストゥラ・シリア特使の支持を得ました。デ・ミストゥラ特使は以前からアレッポーの市民を救えと訴え、アレッポーは全壊の危機に直面ししていると警告しています。彼は、市民が支援を受けられるよう、ジハーディスト集団ジャブハト・ファテフ・アルシャム(以前のアルヌスラ)を、反体制派が支配する地域から撤退させるよう力説しました。

「アルヌスラはアレッポーを去るべきだ」
チャヴシュオール外相も、アルヌスラと結託しているジハーディスト集団をアレッポーから去らせるよう主張し、会議出席者はアルヌスラをこの地方から去らせることを条件に、停戦の可能性を話し合ったと語りました。

「テロリスト、アルヌスラをアレッポーから一掃するべきだ。穏健な反体制派グループを標的にする政府軍の攻撃は、ただちに止めさせなければならない」とチャヴシュオールは言いました。


トルコが訓練したイラク軍3000人がモスル作戦に参加している

「北イラクのバシカ・キャンプでトルコ軍に訓練を受けたイラク軍3000人が、イスラム国(IS)からモスルを奪還するための、アメリカ主導の作戦の一翼を担っています」と、10月17日、ヌマン・クルトゥルムシュ副首相が言いました。

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「モスルの知事の要請で、トルコはバシカにキャンプを建設しました。モスルの約4000人の中の多くが、このキャンプで訓練を受けました。彼らはニノヴァ・ムジャヒッディーンと呼ばれています。現在、トルコによって訓練された3000人が、対ISの戦いに加わっています」とクルトゥルムシュ副首相は、閣僚会議後の記者会見で言いました。


古代都市ピシディアで、破壊された教会がようやく出土

南部ウスパルタ県ヤルヴァチ地区にある古代都市ピシディアで、3年間の発掘作業の末、ようやく大きな教会が出土しました。教会は6世紀に建てられましたが、11世紀か12世紀の大火で破壊されました。

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ピシディア遺跡発掘隊長で、シュレイマン・デミレル大学考古学部の研究者メフメト・オズハンル教授は、教会の残骸がこの地域の歴史をさらに明らかにするだろうと希望を語りました。「私たちは教会を破壊したのは大火だったと考えます」と教授は言いました。「残っている教会の壁の保存作業はまだつづいています」出土した教会は、この古代都市に4つある教会の中で3番目に大きいそうです。

大 火
「教会内部の石が破裂していることから、大火事が長時間つづいたと考えられます」とオズハンル教授は言いました。教会の北の部分の、火事の層でセルチュク時代のコインが発見され、この教会が11世紀か12世紀に建てられたと推定されました。

教会はローマのアントニウス(BC83~30)の時代に建てられた社の上に、建てられていました。ピシディアで見つかった4つの教会は、ここを宗教的な都市にする試みがあったことを示しています。都市は居住区と4つの教会に分かれていますが、その両方に300人が住めたと思われます。2013年に見つかった第4の教会は、最近の発掘作業で完全に掘り出されたと、教授は言いました。

ピシディアには旧石器時代から人が住んでいたと思われます。AD11世紀、ピシディアはセルチュク・トルコに占領されました。その後、ビザンティン帝国とトルコ人はこの都市の奪い合いをつづけましたが、1176年、トルコ人が最終的にピシディアを支配しました。


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