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トルコがシリアのイドリブに「寄り添いストア」を開設

2017年04月11日 | 国際
4月11日 トルコの赤半月社(イスラム圏の赤十字)が、10日、化学兵器の被害を受けたシリアのイドリブに「寄り添いストア」を開設して、難民たちに衣類や衛生用品を配布しはじめました。

 Sabah

ストアは現在、イドリブの郊外カムンナフに開かれています。ここには2016年12月以来、850家族のシリア人が暮らしています。ストアの開設式で、トルコ赤半月社のケレム・キニク議長は、「トルコの人々が、不必要な衣類を、必要としているイドリブの人々のために送ってきました。食物もトルコの人々からの贈物です」と言いました。

イドリブ市内にも3つの赤半月社のストアができて、衛生用品などを提供しています。登録された難民は赤半月社のカードが渡され、トルコの寄贈者が提供した物資を受け取ることができます。シリアでの「寄り添いストア」はこれが9回目で、これまでにもアルバブ、アザス、ジャラブルスなどでも、同様なストアが開かれています。

キニク議長はイドリブ県のアトメ村の孤児院を訪れ、子供たちに贈物を渡しました。赤半月社はまた、この村周辺の難民に、ガス・ストーブを送りました。

・・・トルコ赤半月社の、このすばやい、きめこまかい、現実的な対応、すばらしいと思いません? トルコ人の歴史的なチャリティの精神を感じます。


ロシアの自爆テロ容疑者はトルコに入国していた

ロシア・セントペテルスブルグの地下鉄の爆発で14人を殺した自爆犯と思われる男は、トルコに旅行した直後にイスラムに関心を持つようになったと、彼を知る2人の人物が、ロイターに語りました。

 Hurriyet

「もしその自爆犯がアクバルズホン・ジャリロフならば、彼はトルコから隣りのシリアへ行った」と2人は言いました。イスラム過激派は、トルコを、シリアのイスラム国(IS)が支配する地域へ行くための通路として使ってきました。

ジャリロフは、1995年、キルギスタンのオシで生まれました。キルギスはもとソ連邦だった中央アジアの共和国で、国民の大半はイスラム教徒です。2011年頃、彼はセントペテルスブルグに移住し、数年間、低賃金の仕事をしていました。ソシアルメディアに載っていた彼の寫眞は、かっこよく装った青年に見えます。

彼のオンライン・ポストには、ISとの関係をうかがわせるものは見られません。しかし、ジャリロフの日記は、2015年末から今年の初めまでが空白になっています。数人の知人は、この期間、彼を見なかったと言っています。

今年2月、彼はふたたびオシに現れました。3月、彼はセントペテルスブルグに帰り、アパートを借り、爆発の日、リュックサックとバッグを持って出かけました。トルコ当局は、2015年11月、ジャリロフがトルコに入国したことを確認しています。彼の名前はブラックリストに載っていなかったので、容易に入国できたと、Hurriyet 紙のコラムニスト、デニス・ゼイレキ氏は、4月10日のコラムに書いています。

彼はトルコを発つとき、ビザが切れていたため、罰金を払わされました。トルコを出たとき、彼が使った書類は、ロシア領事館から得たものだと、ゼイレキ氏は書いています。


「イドリブの攻撃はまちがいなくサリンだ」保健相

レジェプ・アクダー保健相が、11日、先週のシリア・イドリブの攻撃には、まちがいなくサリンガスが使われたと、明言しました。

 Sabah

犠牲者の血液と尿のサンプルを調べた後、「イドリブでのサリンガスの使用は確実になった」と、アクダー保健相は言いました。検査結果はイソプロピル・メチル燐酸、サリンの代謝物、禁止されている神経作用剤の痕跡を示しました。30人ほどの犠牲者が治療のため、トルコに運ばれ、3人がトルコの病院で亡くなりました。土のサンプルもテストのため、国境を越えてトルコへ運ばれました。

世界保健機構(WHO)と化学兵器禁止機構の職員も、検死に立ちあいました。検死の結果は、国連によるテストのために、先週、ハーグに送られました。


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