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常になくエルドアン大統領が48時間以上、TVに出ていない

2015年06月09日 | 国内
6月10日 エルドアン大統領が48時間以上、テレビに出ていません ー 総選挙前の1か月は、彼の歯に衣着せぬテレビ・スピーチが、前例を見ない長時間つづいていました。

 Hurriyet

エルドアン大統領は総選挙のためのキャンペーン中、1日3回の頻度でテレビに出ていました。6月7日、イスタンブルで投票した日さえ、彼は正午に、短いスピーチをしていました。公正発展党(AKP)が選挙で過半数を割った後、エルドアン大統領は、6月7日の選挙の結果を“真摯に、現実的に”評価するよう、すべての党に要請する声明を出しました。

エルドアン大統領は、20時間、選挙の結果に注目していましたが、8日、イスタンブルの大統領邸を出て、午後4時半、アンカラに飛びました。8日、大統領は公の場に姿を見せず、予定していたダヴトオール首相との会談も9日に延ばしました。大統領は、11日のアンカラの卒業式には姿を見せるはずですが、9日夜、首相との会談後、カメラの前で語るでしょう。

6月9日23時27分現在(日本時間)、エルドアン大統領は2日2時間57分48秒、テレビに出ていません。


ディヤルバクルのHDP集会の爆発犠牲者が3人に

南東部ディヤルバクル県のHDPの集会での爆発による犠牲者が3人になりました。重傷で入院していたジヴァン・アルスラン君(17)が、爆発から3日後の6月8日、亡くなったのです。

 Hurriyet

ディヤルバクルのラマザン・ソルマズ検事長は、6月5日のHDPの集会の死者総数は3人になったと、文書で発表しました。ディジュレ大学医学部の集中治療室で治療を受けていたアルスラン君は、6月8日午後、亡くなりました。4800万人の有権者が550人の国会議員を選ぶために投票所へ行った日の翌日でした。

ディヤルバクル検察による調査はつづいています。この爆発で、シェイフムス・カチャンさん(34)とネジャティ・クルルさん(47)もなくなり、100人以上が負傷しました。この集会はHDPの選挙キャンペーンで最大のものになるはずでしたが、事件のために中止されました。

ディヤルバクルのこの爆発は、HDPをターゲットにした2度目の爆発事件です。5月18日にも、アダナとメルシンのHDP支部で爆発がありました。小包と花束に隠されていた爆発物によって、4人が負傷し、建物がダメージを受けました。この2件の爆発事件の容疑者は、非合法組織「革命人民の自由党/フロント」に関係していて、2007年の逮捕歴もありました。


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総選挙の5つの予想外の結果

2015年06月09日 | 国内
6月9日 総選挙の5つの驚かされた結果です。


1)与党AKPをゆすった地震

 Hurriyet

2011年の総選挙とくらべると、与党・公正発展党(AKP)は7日の総選挙で250万票を失いました。一方、共和人民党(CHP)は、いくらかの票が人民民主党(HDP)に流れましたが、ほぼ同じレベルを維持し、愛国者運動党(MHP)は190万票も得票をのばしました。2011年、クルド問題に焦点を絞った無所属候補たちは280万票を得ましたが、今回、HDPは580万票を獲得しました。

ざっくり言うと、与党AKP以外の大政党はより強力になったが、AKPはすべての県で、とくに大都市で、力を失ったということです。CHPはゾングルダク県で勝って、黒海地方でのAKPの支配を打破しました。MHPは中央アナトリアと黒海諸県でAKPに打撃を与え、HDPは南東部と東部の5県をAKPから奪い取りました。


2)新しいトルコ

 Hurriyet

今度の総選挙は、2013年のゲジ公園プロテスト以来の国民の要求の噴出でした。よりよい民主主義、多元的共存、チェック&バランス、地方分権、これらのすべてが、エルドアン大統領の大統領制の野望を否定しました。

550議席中、97議席が女性議員のものとなりました。これは空前の多さです。また、議員の中に4人のキリスト教徒が入りました。初のロマ(ジプシー)議員とヤジディ議員も生まれました。


3)議員選出制度

 Hurriyet

トルコの国政選挙制は、1党として10%以上の得票がないと、政府に議員を送れません。2002年、AKPがたった34%の票で、強力な1党政府をつくることができたのは、そのためです。45%の票が10%の限界に達しない諸党へ行ったからです。

今度の選挙では、HDPの票が10%の限界を超えたことによって、国会は投票者の意志をよりよく反映するものになりました。現在の10%を限界とする制度は、1980年の軍事クーデター後にできたもので、これが多元的共存を抑え、2大政党制を助長してきたのです。


4)左翼の台頭

 Hurriyet

諸野党の経済に焦点を絞った選挙キャンペーンが、観念的な政策を唱えていたAKPを不利なゲームに追い込みました。CHPとHPDの左翼2党が38%の票を抑えました。愛国主義のMHPでさえ、従来は左翼支持だったアレヴィー派の票を取り込みました。AKPの中のブルーカラーと左翼票を考慮に入れなくても、野党票が1980年来,最多数の左翼の議席をもたらしました。


5)無効票

Hurriyet

今回の選挙の無効票は驚くべき数に達しました。130万票以上が無効票と見なされましたが、これは前回の選挙より30%増です。この数は、94万2000票を獲得した第5位の「幸福党」より多数です。

イズミルのある有権者は、「私はどの政党も信じない」と宣言するために、投票用紙に押すスタンプを自分の額に押しましたが、彼のように一種のプロテストとして無効票を投じた人はほかにもいたようです。


しかし、なぜこんな予想外の結果になったのか?

 Hurriyet

AKP支持者数は、事実、2014年9月以来、下降しています。エルドアン大統領の攻撃的な言辞は、経済成長が鈍化しつつあるとき、明らかに多くの有権者を遠ざけました。そのうえ、AKPは、クルドの和平交渉のためにとった行動の矛盾を解決できませんでした。

AKPは愛国主義者の票も、保守派クルドの票も、両方取り込もうとしました。AKPが両極の間を往復しているのを、多くの有権者は誠意がないと感じ、経済の悪化と相まって、投票に変化が起こったと考えられます。

これらすべての要因によって、与党AKPは、より厳しい、困難な時代になりそうです。

・・・今度の選挙で、トルコ人はトルコ社会のバランスをとろうとしたのでしょう。


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