そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

博士の愛した数式

2007年05月29日 | 人間/社会派ドラマ
 
2005年 日本 117分
2006.2.12 バルト11
  2007.5.20 wowow 
■監督 小泉堯史
■50万部を超えるベストセラー小説を原作 著/小川洋子
■出演 
   寺尾聰(博士) 深津絵里(杏子) 
   齋藤隆成(ルート子) 吉岡秀隆(ルート大人) 
   浅丘ルリ子(博士の義姉・未亡人)

 《story》

「ぼくの記憶は80分しかもたない」
「君のくつのサイズはいくつかね?」
「・・24です」
「ほお、実に潔い数字だ。4の階上だ。」


数学教師のルート先生は、初めてのクラスの授業で、自分の名前の由来を話し始めた。それは、10才のときに、家政婦だった母が、仕事で行っていた家の博士につけてもらったニックネームだった。博士は交通事故の後遺症で、記憶が80分しかもたなかった。

原作を読んだので、見たかった映画だ。かなり映画とは筋がちがっていた。原作はそれなりに、映画はまた別の楽しみ方で味わえばいい。それぞれがいい味を出している。どちらを先にするか。私は原作からだと思う。これをどのように映画にするかが、また別のおもしろさとなるからだ。原作とちがったところはいっぱいあった。ルートの大人の役として、彼が話を進めるところ。阪神タイガースの試合観戦ではなく、ルートの少年野球の試合観戦になっていたこと。誕生日のシーン。最後は施設ではなく、浜辺になっていた。それはそれで味がある。春の散策のシーンやルートと滝の傍で語るシーンなど、映像の良さを感じることができる。そして、記憶がもたない。忘れてしまうことの切なさを、演技から、映像から、あらためて思い知らされる。

 2007.5.20 T.V 

 家族の愛が何より
家政婦として仕事をするだけでなく、人のことを考えてしまうからこそ、博士が生き生きと見えた。仕事だけする家政婦なら、きっと淡々と仕事をこなし、博士に関わろうとしないだろう。博士の言葉にもしっかり耳を傾け、息子と一緒に、まるで家族のような生活が始まった。今まで同じように過ぎていった博士の生活が変化した。見た目には、輝いて見える。記憶がなくなる博士もきっと、何かしら心の底からわき起こる躍動感を感じているはずだ。記憶はなくとも。記憶と心。それは同じではないということ。私が、香りを覚えているように、博士も何かしら感じる心があるのだと思いたい。それは定かではないけど、きっと何かが残っていると。

博士の愛した数式 公式サイト

 私の髪は天然
果たしてそうだったのだろうか。多少のくせはあったけど、こんなにくるくる曲がるほどの天然だっただろうか。汗をかいたあとはうしろも横もまるまってしまう。朝、野球の帽子をかぶる。通勤時間の20分くらいかぶっていると、車から降りるころには、かなりまっすぐになっている。でも、時間が立ってくると、後髪から次第にまるまってくる。横は寝起きみたいにはねてくる。若い頃はこんなことなかったのに。一番下の子も天然で、私に近い。私も子どもの頃は天然だったろうか。いや、そんな記憶はない。子どものころの写真を見ても、天然の証拠となるものはない。年ととともにへんかしていく髪。髪だけでなく、ひじの痛み、時折くる動悸。手足の攣り。目の老化。さまざまな身体の変化を感じる。


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