ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

私が望むガイドブックの使われ方

2012年03月18日 17時05分14秒 | 青年海外協力隊たちの活動

JICAタイ事務所とたくさんの人の協力でできあがった、「よく分かる自閉症」500冊。
この本は配属先、コンケン第9特別教育センターから、各特別教育センターへ、
教育省へと送られる。
それとは別に現在1名のシニアボランティアが活動しているバンコクの特別教育センターにも50冊を送付。 
      
タイの特別教育関係機関には配属先を通じてこうして送られるのだが、
私ががそれよりもさらに嬉しくて、自分のやったことの意味やこれからの可能性を感じたのは、
地域の人からの発信。

ナムプリック屋のお母さんがつなげてくれた縁。
屋台のおばちゃんに自閉症の甥っ子がいることがわかり、学校に行けない、支援の手立てがない子どもと保護者の手に渡ったこと。
      


何度か一緒にサイバーツをして以来、私を娘と呼んで送別会をしてくれたり
最後まで見送りに来てくれた女性が、地域にある自閉症の人たちが暮らす家に
本を持って行ってくれるとかって出てくれたこと。

配属先にしかできないことがあるように、
地域に根ざす人たちにしかできないことがある。
地域の人たち同士のつながりがあってこそ、だからこそ渡る家庭がある。
配属債のセンターから、個別教育計画の登録がされていない家庭に本が届くことはないが、
地域の人たちはそれらの情報をよく知っていて、私の思いも知っていて、
両者をつなげてくれた。
まるで奇跡のようだった。

奇跡はまだ続いていて、帰国報告会でこの出来事を伝えたところ
日本語教師や青少年活動、作業療法士の隊員が本をほしいと言ってくれた。
私の学校にも手立てのない子がいる、私のセンターにもいる、
私の配属先の人たちに障害者のこと、自閉症のことを知ってほしいと。

そうなのだ、場所は特別教育センターだけではない。
どこにでもいる、普通学校にも地域のあちこちにも。
関わらないなんてことは絶対になく、みんな何らかの形で関わっていくことなのだ。
私の思いを知ってくれた隊員から、また様々に発信されたらこんなにうれしいことはない。
    


自閉症を理解する周囲が増えることが、自閉症の子どもと保護者を手助けし
障害を取り除いていく一助になる。
だから、本人の手に渡るのみが道ではない。


マハサラカムで日本語を教えるお世話になった先生からも電話がかかる。
このブログを見て、そうだと思った。
ウドンタニーにいる知り合いに自閉症の息子がいる。
センターに通っていないため、支援はない。
母親は日本人でタイ語が読めないが、父親が読めるので、父親に本を渡したい。

もう一つ課題が生まれた。
私のやるべきこと。
タイ語で完成して終わったものとしていたが、隊員仲間や日本人の母親、
日本人が同時に理解できるように、日本語版を作っておきたい。
灯台もと暗しで気づかなかった。けれど重要なこと。
気づけてよかった。


配属先から各教育センターに3冊ずつ送られた本は
JICAのボランティアがこんな本を作りました、という事にスポットライトが当たって、
私の配属先はちょっとした自慢なのかもしれないが、
送られた先の自閉症の子どもたちに手渡ることはなく、
きっと本棚に並び、いつまでもきれいなままであり続けるだろう、と思う。

けれど、私の理解者である人たちが、地域の人々が橋を架けて渡してくれた本は
本当に必要とされ、実際に手に取り見てもらえるだろう。

私の願いは、この本がボロボロになって読まれていくこと。
つけた絵カードを実際に切り取って使ってくれること。
私の子どもはこうなのね、僕はこうなんだな、と子どもを理解したり、
自分を理解したり、ホッと楽になって荷を下ろす、そのきっかけがひとつでもここで生まれること。

そして、教師たちがパニックを起こした子どもを押さえつけるこなく、
「パニックを起こさせない」指導に方向性を変えていってくれること。
      


この本がどこにつながっていくだろう。
学校にまったく関与されない子どもと保護者の家に、
また地域の人の手を通じて渡るかもしれない。
隊員の手を通じてどこかでまた道が開けるかもしれない。
そんな可能性を考えると、胸がぎゅうっと締め付けられるような感慨がある。


療養一時帰国からタイに戻って来て以来の4ヶ月間。
たった4ヶ月間でここまでができたのはたくさんの人の助けがあったから。
さしのべられたたくさんの手に、心から感謝している。
黙って見守ってくれた人たち、日本で支えてくれた人たちに、心から感謝している。


私の仕事はここまで。
燃えつきた私は、もし、まだ第9特別教育センターで仕事を続けるかときかれても、
どんなに食堂のおばちゃんが大好きでも、どんなに信頼する先生がいても、
答えは「いいえ」。
短かったけれど、終わりが見えるからこそできたことだったからだ。
      


名残惜しい思いで日本に帰れるなんて、幸せなことだ。
別れがつらいと思える人たちと出会えたことも。

あとは、私が歩いてきた道が、作ってきたものが、
私がいなくなってもタイで細々とつながってくれるだろうか。
どんな芽が出るのか、どんな関わりを持っていくのか、
遠く日本から見守る。
      


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