ピーパン(木の実による絵写真)

木の実を使って描いた絵およびその写真です。

(作品118) 鎌原、観音堂からの浅間山

2012年02月28日 | 木の実


 浅間山の天明大噴火により火口から12km地点の鎌原集落は、高台にあった観音堂を残して消え去ります。観音堂への50段のうち35段より上に逃れた93人だけが助かります。作品は高台の観音堂から眺めた浅間山です。

 雪残る火山よ永久に冷めておれ


(作品117) すみれ

2012年02月26日 | 木の実


 紫色の木の実を持っていませんので、紫のコモロスミレ(小諸菫)は描けません。しかし、ピンクのすみれがありました。マキノスミレです。
 花や昆虫の絵写真は、今回のブログPPANの主題「浅間山」に添える抓みです。しかし、木の実には大きさがあり、また、色に制約がありますので、ディテールが要求される静物の描画は難しい。

 モーツァルトのリートにはすみれがよく出てきます。ゲーテの詩に曲を付けた「すみれ」、カンペの詩に曲をつけた「夕べの想い」、そしてオーヴァベックの詩に曲を付けた「春への憧れ」です。ゲーテの詩において、すみれは、少女に摘みとられて、胸におしあてられて、萎むことを望みます。しかし、少女はすみれに眼もくれないで、すみれを踏みつけてしまいます。すみれは、つぶれ、それでも、
「ともあれ、自分はあのひとのせいで
あのひとに踏まれて
死ぬんだから!」、と喜んで死んでゆきます。モーツァルトはこのゲーテの詩の最後に
 「かわいそうなすみれよ!
 それは本当にかわいいすみれだった。」
という詩句を加えてリート「すみれ」を作曲しています。モーツァルトはすみれが大好きであったに違いありません。
 春の山野といえば、すみれとギフチョウでしょう。
 すみれは3~5月頃山野の日当たりのよい場所に生える多年草で、小さな可憐な花です。誰も目に留めてくれず、ひっそりと咲いています。ギフチョウは佐保姫の装いで飛ぶ春の王女の蝶です。4月頃蛹から羽化して蝶になります。この春の王女の蝶が山野を素早く飛び回ります。すみれはギフチョウが来て止まってくれることを望みます。来てくれるでしょうか。望みどおり、ギフチョウが片隅に咲く小さなすみれにやってきて止まります。どうですか、すばらしいと思いませんか。モーツァルトの歌曲「すみれ」の中で少女に無視され、踏みにじられたすみれに春の王女のギフチョウが来て止まるのです。

 ひっそりと蝶にときめく野のすみれ


(作品116) 追分からの浅間山

2012年02月24日 | 木の実


 追分(信濃追分)からの浅間山です。追分は中山道の宿場町で、軽井沢宿の次の宿場町です。故郷を通過する北国街道は追分で中山道から分岐し、御代田、小諸、田中、上田を通って善光寺に向かいます。
 詩人で、軽井沢、浅間山麓といえば「風立ちぬ」の堀辰雄や24歳という若さで夭逝した立原道造(1914-39)でしょう。立原道造は堀辰雄に師事し、1934年東京帝大建築科に入学し、その夏初めて軽井沢を訪問します。そして、以後、死ぬまで毎年夏に軽井沢 追分に滞在して詩を書きます。立原道造の「のちのおもひに」は好きな詩です。

夢はいつもかへって行った 山の麓の寂しい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへった午(ひる)さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた
(以下省略)

 この詩を思いながら描きました。緑が鮮明すぎますが仕方ありません


(作品115) 葱坊主

2012年02月22日 | 木の実


 イヌマキの実と八つ手の実とナンキンハゼの白と綿を用いて描きました。土はエゴノキの実です。
 少年時代は今と異なり物が少ない時代でした。野菜はどの家も畑を借りて自作してまかなっていました。我が家も60坪程度の畑を借り、母が毎年たくさんの野菜を作りました。思い出すだけでも、ナス、トマト、キューリ、インゲン豆、南蛮、ジャガイモ、ねぎ等の野菜を作りました。畑は千曲川の堤防道の近くで、川と反対側の低地にあり、家から400mくらいの所でした。野菜を育てるには肥料を与え、水をやらなければなりません。雨はよく降りますが、時には幾日も降らない日もあります。そんなときには水をやる必要があります。水はバケツで千曲川からすくってきて遣るしかありません。畑から堤防道まで2~3m上り、それから石垣を5m位降りてやっと千曲川の水に到達します。この水遣りは大変な作業でした。沢山の野菜を作っていますので、休みの日にはどの家族も総出で水遣りです。そんな苦労の末にトマトやナス、キューリが実ってもぎるときの喜びは格別です。籠に一日に食べる分の野菜を入れて帰ります。夕焼けが千曲川に映えて輝くのを眺めながら、心地良い川風に当たって帰ります。
 そんな我が家の畑にも早春にはねぎの花が開きます。

 それぞれの顔があるなり葱坊主


(作品114) 桃畑と浅間山

2012年02月20日 | 木の実


 前作品と同様に小諸市三岡の桃畑から見た残雪の浅間山です。
 前作品で王維の漢詩の一部と大伴家持の短歌を紹介しました。「桃の花は紅(くれない)」、「紅(くれない)にほふ桃の花」を用いて一句と考えましたが駄目でした。別の句ができてしまいました。

 沈丁の薄紅色が匂う夜