天草のホテルに宿泊することにし、チェックインした。案内された部屋は旧館の古びた感じの部屋だったが、色んな設備は近代化されたものでそれなりに満足したものだった。ホテルの専務は以前千葉に住んでいたそうで懐かしそうに話しかけてきた。千葉在住は27年に及ぶそうで私との会話に違和感は全く無かった。
食事の係りの女性は話好きで私に自分の生い立ちを話しこみ、私の孤独感を癒してくれるものだった。
そういえば、別府の女性も生き様を私に話した。
食事の時、女性の腕に付けられた時計が男物で有る事に気づき話しかけると
「実は彼の物なんです」と答えた。彼とはご主人?と立ち入った話だが・・・
と問いかけると、「主人はいません、亡くなりました」
段々と興味がわきどうして?又、問いかけた。
それから私の食事の間に彼女は静かな口調で話し始めた。
私と主人は25年間の間の夫婦でした。結婚10年目に主人は糖尿病になり、闘病生活を続けていました。・・・その後、失明し、足が壊疽になり、片足を切断し
それから後、もう片方を切断する事態になり、遂に死を迎える事に成ってしまいました。それは厳しく、切なくこんな人生を迎える人がいるのだろうか?と嘆き悲しみました。主人を看取り、一人寂しく生活していましたが、友達の勧めでこの仕事に就くことにしました。主人は公務員でしたので死後の生活にはそれほど困ってはいませんでしたが、新しい仕事をすれば気も和むかもと決心したのです。
この仕事をし始めて暫くすると宿泊客の中で私に優しくして下さるお客が有り
その方との交際が始まり、時々は一緒に過ごす仲に成りました。
その方には奥さんが有り、私は俗に云う2号さんの関係でした。
私との関係が2年ほどに成ったある夜、私の家で泊まって行く事になり、そ夜は二人で酒を酌み交わし楽しい団欒を送り、床についたのです。
朝、私が起き上がり、隣の彼に声を掛けたのですが、返事が無く少し変に感じて
飛び起き、体を揺すって呼び起こそうとしたが、返事も無く既に死亡していました。家族が訪れあれやこれやの煩雑な事が一段落ついた時に、奥さんと娘さんが訪れ遺品分けをしたいが、何か欲しい物が有りますか?との事だった。
この時計はその遺品分けなのです。
私の人生はこんなものです。
そう云って私の食事の片付けをしながら明るく笑った。
私は声も出ず「おやすみなさい」の声が頭の中を駆け巡った。
食事の係りの女性は話好きで私に自分の生い立ちを話しこみ、私の孤独感を癒してくれるものだった。
そういえば、別府の女性も生き様を私に話した。
食事の時、女性の腕に付けられた時計が男物で有る事に気づき話しかけると
「実は彼の物なんです」と答えた。彼とはご主人?と立ち入った話だが・・・
と問いかけると、「主人はいません、亡くなりました」
段々と興味がわきどうして?又、問いかけた。
それから私の食事の間に彼女は静かな口調で話し始めた。
私と主人は25年間の間の夫婦でした。結婚10年目に主人は糖尿病になり、闘病生活を続けていました。・・・その後、失明し、足が壊疽になり、片足を切断し
それから後、もう片方を切断する事態になり、遂に死を迎える事に成ってしまいました。それは厳しく、切なくこんな人生を迎える人がいるのだろうか?と嘆き悲しみました。主人を看取り、一人寂しく生活していましたが、友達の勧めでこの仕事に就くことにしました。主人は公務員でしたので死後の生活にはそれほど困ってはいませんでしたが、新しい仕事をすれば気も和むかもと決心したのです。
この仕事をし始めて暫くすると宿泊客の中で私に優しくして下さるお客が有り
その方との交際が始まり、時々は一緒に過ごす仲に成りました。
その方には奥さんが有り、私は俗に云う2号さんの関係でした。
私との関係が2年ほどに成ったある夜、私の家で泊まって行く事になり、そ夜は二人で酒を酌み交わし楽しい団欒を送り、床についたのです。
朝、私が起き上がり、隣の彼に声を掛けたのですが、返事が無く少し変に感じて
飛び起き、体を揺すって呼び起こそうとしたが、返事も無く既に死亡していました。家族が訪れあれやこれやの煩雑な事が一段落ついた時に、奥さんと娘さんが訪れ遺品分けをしたいが、何か欲しい物が有りますか?との事だった。
この時計はその遺品分けなのです。
私の人生はこんなものです。
そう云って私の食事の片付けをしながら明るく笑った。
私は声も出ず「おやすみなさい」の声が頭の中を駆け巡った。