ある日。午前10時西日暮里駅スタート。同行4人。
駅の西側へ出た。
駅の脇の南下する道はいきなりの激アップで、
あっという間に上野台地上の西日暮里公園に到着。
ここは昔、遠くからも見える目印のでっかい松の木があって、見晴らしも良くて、
夕方には虫聴きなんかもするという所謂ええとこだった様子。
公園のすぐそばの第一日暮里小学校は高村光太郎の母校。
高村光太郎が書いた「正直親切」が記念碑になっている。フクロウの彫刻は飯田雅光作。
自分の影が変。
小学校の向かいの諏方神社へ。右は神楽殿。
源為朝の人形が乗っかった都内でも有数の立派な山車があったが、現在祭りの時は復元した人形だけ出る。
その他、境内の神輿庫もその前の狛犬さんも魅力的。
諏方神社の境内の奥には地蔵坂がある。下って左に折れると…
西日暮里駅に戻ってしまう(地図では行け無さそうだけど)のだ。まだ全然進んでいない。
しかしここ、電車の観察にはもってこいの場所だな。
諏方神社を出てお隣の浄光寺へ。
ここは諏方神社の別当寺で、江戸六地蔵の一つが安置された。
で、先ほどの「地蔵坂」の由来になっている。
ちょっと進んで富士見坂へ。こころの中では見えているのだが富士山。
ここに足をそろえて顔を上げると見えるらしい…あ、上げ過ぎた。
下りきって、富士見坂を見上げる。名残惜しい。本当は見えてたんじゃないだろうか。
富士見坂の下の道は上野台地のヘリ(のちょっと上?)で、谷中方向にいい具合に曲がりくねった道が続く。
法光寺門前には少年飛行兵慰霊碑があった。
その南側の南泉寺には美濃遠山氏の念持仏である木造聖観音立像などなどいろいろあるらしい。
さてもう少しで谷中銀座だけど本日はここまで。
駅の西側へ出た。
駅の脇の南下する道はいきなりの激アップで、
あっという間に上野台地上の西日暮里公園に到着。
ここは昔、遠くからも見える目印のでっかい松の木があって、見晴らしも良くて、
夕方には虫聴きなんかもするという所謂ええとこだった様子。
公園のすぐそばの第一日暮里小学校は高村光太郎の母校。
高村光太郎が書いた「正直親切」が記念碑になっている。フクロウの彫刻は飯田雅光作。
自分の影が変。
小学校の向かいの諏方神社へ。右は神楽殿。
源為朝の人形が乗っかった都内でも有数の立派な山車があったが、現在祭りの時は復元した人形だけ出る。
その他、境内の神輿庫もその前の狛犬さんも魅力的。
諏方神社の境内の奥には地蔵坂がある。下って左に折れると…
西日暮里駅に戻ってしまう(地図では行け無さそうだけど)のだ。まだ全然進んでいない。
しかしここ、電車の観察にはもってこいの場所だな。
諏方神社を出てお隣の浄光寺へ。
ここは諏方神社の別当寺で、江戸六地蔵の一つが安置された。
で、先ほどの「地蔵坂」の由来になっている。
ちょっと進んで富士見坂へ。こころの中では見えているのだが富士山。
ここに足をそろえて顔を上げると見えるらしい…あ、上げ過ぎた。
下りきって、富士見坂を見上げる。名残惜しい。本当は見えてたんじゃないだろうか。
富士見坂の下の道は上野台地のヘリ(のちょっと上?)で、谷中方向にいい具合に曲がりくねった道が続く。
法光寺門前には少年飛行兵慰霊碑があった。
その南側の南泉寺には美濃遠山氏の念持仏である木造聖観音立像などなどいろいろあるらしい。
さてもう少しで谷中銀座だけど本日はここまで。