ランドマーク探しⅢ

出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録しました。これからは自分の足で散策し、記録していきます。

墓参り・浄光寺、諏方神社江戸名所図会めぐり

2017年04月15日 22時57分15秒 | 江戸名所図会めぐり

2002年4月7日に56歳で亡くなったテニスの友人の墓のある浄光寺を毎年訪れています。浄光寺山門

そこは江戸名所図会にも出てくる日暮里にあります。

江戸名所図会 日暮里惣図3(1)より

右上にあるのが浄光寺です。遠くに筑波山が見えます。

★ランドマーク浄光寺:山門をくぐって左手に、高さ一丈(約3メートル)の銅造地蔵菩薩がある。元禄四年(1691)、空無上人の勧化により江戸東部六ヶ所に六地蔵として開眼された。もと門のかたわらの地蔵堂に安置されていたもので門前は「地蔵前」ともよばれる。
浄光寺は、真言宗豊山派の寺院。法輪山法幢院と称し、江戸時代までは諏方神社の別当寺*であった。元文2年(1737)、八代将軍吉宗が鷹狩の際にお成りになり、同5年以降徳川将軍御膳所となった。境内に「将軍腰かけの石」がある。
眺望にすぐれた諏訪台上にあり、特に雪景色がすばらしいというので「雪見寺」ともよばれた。(荒川区教育委員会掲示より)

*別当寺とは、神社の境内に建てられた寺院で、神仏習合思想の現れとなっています。

東都歳時記による江戸六地蔵:東都六地蔵の3番目の寺であることが水鉢にも書かれていました。手水鉢(享保10年11月銘) [荒川区区登録文化財]

元禄4年(1691)に空無上人によって江戸の東部6カ所に開眼された江戸六地蔵の3番目として知られる大きな銅造地蔵菩薩立像

文化6年(1809)作の銅造地蔵菩薩坐像です。

こちらは荒川区登録文化財の庚申塔群7基寛文10年8月15日銘です。

他にも

こちらは釈迦の足跡の

仏足石(ぶっそくせき)です。

目的の友人の墓です。

花とお線香を届けました。

墓地には元都知事だった青島幸男氏の墓があります。

小池都知事以前に、美濃部革新都政以降で都政に新風を入れた知事さんでしたが、もう忘れられてしまっているのでしょうか。献花もなくちょっとさびしい気持ちになりました。

墓の中の花々

像の奥が諏方神社です。江戸名所図会の左側が諏方神社と思われます。

★ランドマーク諏方神社:鎌倉時代に豊島佐衛門尉経泰によって創建されたと伝えられ、信濃国上諏訪大社と同じ建御方命を祀ります。現在も日暮里(旧:新堀)・谷中の総鎮守として広く信仰を集めています。諏方神社は、JR山手線の線路沿いの諏訪台にあり、江戸時代には、筑波や日光の連山などが見えたことから、景勝の地として知られていました。3年に一度の御神幸祭と呼ばれる大祭では、本社神輿が町内を渡御します。新東京八名勝になっています。八名所とは、池上本門寺(大森区)、西新井大師(足立区)、北品川 天王社(品川神社)(品川区)、日暮里 諏訪神社(荒川区)、赤塚の松月院(板橋区)、目黒の祐天寺(目黒区)、洗足池(大森区)、亀戸天神(城東句)区名は当時のまま、だそうです

   神楽殿

手水場

手水鉢(天保2年3月吉日銘)で区登録文化財になっています。

燈籠

社殿

末廣稲荷神社と錢降稲荷神社

地蔵坂

 広重の名所江戸百景 日暮里諏訪の台より

3人が登っているのが地蔵坂です。広重の絵では2本松になっていますが、

江戸名所図会では真ん中奥に1本松がありますが、そこのようです。

縁台があったあたりには花吹雪が積もっていました。

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