ランドマーク探しⅢ

出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録しました。これからは自分の足で散策し、記録していきます。

一時帰宅・亀戸天神

2016年02月07日 13時36分38秒 | 身辺出来事

リハビリ病院から一時帰宅しました。車で送り迎えしてもらっていますが、帰宅の途中に亀戸天神に寄り道しました。梅まつりは2月13日からのようです。団地の掲示版に張ってありました。

ということで、

まだ梅は少ししか咲いていいませんでした。太鼓橋の手前に見える梅はまったく咲いていません。亀戸天神は家から最も近い神社なので、娘や孫の七五三の度にお参りしてきました。最近では昨年11月に孫娘の7歳のお祝いをしました。

亀戸天神のHPより「菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。

正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。

当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。」と書かれています。

それでもいくつかの木で咲いていました。青軸梅も少し咲いています。

拝殿に続く道の脇にひときわ目立って咲いている木があります。

ちょうどこの梅の花とスカイツリーをコラボ撮ってみました。

拝殿正面の太鼓橋のところの梅はまだです。

西側にある紅梅澱のところの赤い梅は咲いています。

西側の梅林からのツリーです。

こちらは少し咲いています。

東側の出入り口のところでも少し枝垂れ梅が咲き始めました。

団地に帰って、号棟の周りを一回りしてから部屋に戻りましたが、号棟の前の花壇で水仙が咲いてました。

近くのレストランが3月で終了ということで、娘家族と長男と一緒に昼食を摂ってきました。

二本杖で、だいぶ歩けるようになり、ビールも少し飲みましたが美味しく飲むことができました。

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