ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

小名木川五本松と芭蕉の句(江戸名所図会めぐり)

2017年07月03日 10時08分48秒 | 江戸名所図会めぐり

深川芭蕉庵史跡展望公園の入り口に句碑と小名木川五本松と芭蕉の句という解説がありました。

キャプション:深川の末、五本松といふところに船をさして 

川上とこのかわしもや月の友 芭蕉

★ランドマーク小名木川五本松と芭蕉の句:松尾芭蕉は延宝年(1680年)冬より小名木川と隅田川が合流する辺りにあった深川芭蕉庵に住んでいました。「奥の細道」の旅を終えた芭蕉は元禄6年(1680)、50歳の秋に小名木川五本松のほとりに舟を浮かべ、「深川の末、五本松といふところに船をさして」の前書きで「川上とこの川下や月の友」の一句を吟じました。この句は、「今宵名月の夜に私は五本松のあたりに舟を浮かべて月を眺めているが、この川上にも風雅の心を同じゅうする私の友がいて、今頃は私と同様にこの月を眺めていることであろう」の意で、老境に入った芭蕉が名月を賞しながら友の事を想う心が淡々と詠まれています。

「五本松旧跡」(猿江二丁目16番 小名木川沿い)とは、江戸時代、丹波綾部藩九鬼家の下屋敷の庭にあった五本の松の大木のことで、徳川三代将軍家光公がその小名木川の川面に張り出した立派な老松を激賞したことから、「小名木川五本松」として、また、月見の名所として一躍江戸市民の人気を博しました。この芭蕉句碑は、その地にあった住友セメントシステム開発株式会社が創立20周年を祝して平成20年12月4日に社屋の敷地に建立したものです。今回同社屋の移転に伴いご寄付をいただきここに再建立しました。 平成24年3月吉日

なお風雅の心を同じゅうする友とは、芭蕉の友人として親しく交流していた山口素堂であろうと言われているそうです。山口素堂は芭蕉とは2才違いの葛飾派の俳人で有名な句に”目には青葉山ほととぎす初鰹”があります。

五本松跡の碑や

さらに五百羅漢寺への道標がありました。

 

小名木川橋に

小名木川です。

五本松は錦絵にも描かれています広重ちょっとした広場になています。

 

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