ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

善慶寺(新宿区富久町)

2017年07月13日 23時12分33秒 | 社寺仏閣

曙橋の鍼灸治療院に行きました。いつも4時予約でその前に新宿御苑などに寄るのですが、3時予約だったので直接行きました。少し早く着いたので、近く(300M)にある善慶寺を散策しました。靖国通りに面した高台にあります。坂を上ると山門

本堂でしょうか。

★ランドマーク善慶寺:今から360年余前江戸時代(寛永3年、1626年)善慶坊宗貞により、赤坂一ッ木村(現在のTBS辺り)に建立され、善慶寺を開基したものです。

明暦3年(1657年)当寺は徳川氏祖先内縁として江戸幕府より、当市ヶ谷の地を享保10年(1726年)拝領しましたが、類焼、再建を繰り返し、現在に至っているようです。

当寺開基、善慶坊宗貞は三河の国碧海郡中之郷淨妙寺十四代天白順超の嫡子超義であり、同寺より江戸に布教のため出立し、善慶寺を創立したということです。

鐘楼は新宿区の登録文化財のようです。

新宿区登録有形文化財  工芸品

 善慶寺の梵鐘

      平成18年3月7日登録

 善慶寺第五世沙門貞祐・貞岳の発願により、元文4年(1739)に鋳造された銅造の梵鐘。総高125.3センチで、江戸鋳物師大田近江大掾藤原正次の作である。

 江戸鋳物師の梵鐘鋳造減少期における作品で、江戸鋳物師の作風・鋳造技術を知ることができる。また、銘文から当寺の住持等を知ることができ、史料的価値も高い。

 太平洋戦争中の供出により区内の江戸時代の梵鐘は残存数が少なく貴重である。  平成18年(2006)3月 新宿区教育委員会 

  年末大晦日、深夜11時45分より元旦01時過ぎまで除夜の鐘、ご近所の人々等で行列ができ賑やかになるそうです。

お墓のところにも案内書きがありました 。  

   

新宿区指定 史跡 平秩東作(へづつとうさく)の墓     平成2年(1990)6月1日指定

 新宿で生れ育った江戸時代中期の狂歌師平秩東作は、本名を立松懐之、号を東蒙(のちに嘉穂)といい、享保11年(1726)内藤新宿に生れました。

  生家は馬宿でしたが、享保20年(1735)10歳の時に父を失い、幼くして家業に携わりました。元文4年(1739)には煙草屋を開業するなど苦労を重ねるますが、既にこの頃から狂歌に親しんでいたようです。宝暦12年(1762)頃より歌人・儒学者の内山椿軒の門下となり、ここで大田南畝(蜀山人)と知り合い、狂歌や戯文学を通じて交流を重ねました。

  寛政元年(1789)享年64歳で没しました。この墓は、東作が両親のために建立したもので、裏面の墓碑銘は東作の撰によるものです。

  平成26年12月 新宿区教育委員会

墓石は高さ98センチだそうです。

山門と鐘楼の間にこんな墓石が建っていました。

征露軍常陸丸受難者と書かれているようです。

往復600mほどでしたが汗が噴出しました。シャツを着替えて治療してもらいました。

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