ランドマーク探し

出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録しました。これからは自分の足で散策し、記録していきます。

病院生活

2016年01月31日 13時44分47秒 | 身辺出来事

1月20日からリハビリ専門病院に転院しました。墨田区にある東京都リハビリテーション病院です。病院は6階建てですが、病棟は4階の北側になっています。

いつもいる病室から見える風景です。

病院は白髭防災拠点の中にあります。

墨田区によれば、白髭東地区は江東地区防災拠点の指定を受けている地域です。隅田川沿いにある東白髭公園は、大地震や火災が起きた際、避難広場となります。公園の東側には13階建ての高層住宅が並んでおり、公園と住宅、その他病院等をあわせた区域一体は江東デルタ地帯の防災拠点となっています。

となっており病院とはリハビリテーション病院のことです。

さらに、都営白髭団地は住宅でありながら、高度な消化設備を持った施設です。この施設は延焼遮断帯としての働きをすると同時に、非難場所を提供しています。

大災害時には、白髭団地東側に広がる住宅密集地で起きた火災を白髭団地西側にある避難活動場所へ延焼させないため、白髭団地は10棟すべてが横につなぎ合わされており、
これによって防災壁が形成されています。



このようにつなぎ合わさっています。

病院と団地の間は

緑の空間があります。

いつも見ている団地は、白髭まし方面から見て連続した最後の棟になっています。

病院では午前と午後の理学療法士さんとのリハビリと空いている時間は自主トレをしています。朝、夕と4階病棟1周125mを周回しています。自主トレでは、4階食堂の窓越しに見える風景を楽しみしています。天気の良い時は富士山が少し見えます。ちょうど午後の自主トレが夕日が沈む時間帯と重なっています。こちらは、ちょうど沈む瞬間です。

朝は朝焼け

十六夜の月が残っていました。

病棟の本棚に池波正太郎の本がおいてありました。全く読んだことがありませんでしたが、初めて鬼平犯科帳を読んでみました。結構面白かったのでまた借りて見ました。

 池波 正太郎は、「大正12年(1923)、東京・浅草生まれ。下谷・西町小学校を卒業後、株式仲買店に勤める。戦後、下谷区役所に勤務して長谷川伸の門下に入り新国劇の脚 本を書いて演出の腕も磨く。昭和35年(1960)、「錯乱」で直木賞を受賞。52年(1977)、吉川英治文学賞受賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕 掛人・藤枝梅安」の三大シリーズが人気絶頂のさなか、急性白血病で逝去する」と紹介されています。

私が昭和45年に都庁に入った最初の職場が下谷保健所でした。そこの事務方おば様から池波正太郎と同じ職場だったと、よく聞かされていたことを思い出します。

鬼平犯科帳にも登場する木母寺は病院のすぐ近くです。リハビリのスロープを上がったところから撮ってみました。中央の塔が見える建物が木母寺です。

ウイキペデイアによれば「この寺は寺伝によれば、976年忠円という僧が、京都から人買いによって連れてこられてこの地で没した梅若丸を弔って塚(梅若塚:現在の墨田区堤通2-6)をつくり、その傍らに建てられた墨田院梅若寺に始まると伝えられる。1590年(天正18年)に、徳川家康より梅若丸と塚の脇に植えられた柳にちなんだ「梅柳山」の山号が与えられ、江戸時代に入った1607年(慶長12年)、近衛信尹によって、梅の字の偏と旁を分けた現在の寺号に改められたと伝えられており、江戸幕府からは朱印状が与えられた。明治に入ると、神仏分離に伴う廃仏毀釈によりいったん廃寺となったが、1888年(明治21年)に再興された。その後白鬚防災団地が建設されるにあたり、現在の場所に移転した。」となっています。

名所江戸百景より「木母寺内川御前栽畑」。内川と呼ばれる水路で隅田川とつながっていた。

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