ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

6月の花々(ノウゼンカズラ他)・公園由緒

2017年06月19日 23時35分15秒 | 季節の花

5月下旬から6月にかけて撮った花々をまとめてみました。最初は、いつものリハビリウオーキングしている猿江恩賜公園のノウゼンカズラ・アメリカノウゼンカズラが見事に咲いているのでこれをアップしようとおもいましたが、せっかくなので撮り貯めたものを載せようと決めました。アメリカノウゼンカズラは色が濃く自己主張しています。ノウゼンカズラは花も小さく奥ゆかしく咲いてます。なんの花かわかりませんでしたが調べたところアガパンサスのようです。まだ咲き始めたところです。

二日後に撮りました。だいぶ咲いてきました。

アガパンサスの咲いている近くの花壇にはこんな花が植えられていました。

花壇になかなか情熱的な花が咲いていたので撮りました。ワスレグサ属のヘメロカリスという花です。この花の隣に長く咲いている花があります。名札が付いているのですがなかなか覚えられません。名札の写真を撮ってきました。アルストロメリアと書いてあります。

★ランドマーク都立猿江恩賜公園:新大橋通りをはさんで野球場、庭園のある落ち着いた雰囲気の南園とテニスコート、広場、遊具のある開放的な北園に分かれています。
大正13年に昭和天皇の成婚を記念して、現在の南側地区が明治政府より東京市に下賜され昭和7年に旧猿江恩賜公園として開園し、北側地区は昭和21年の計画決定から38年、昭和58年に全園開園となりました。

猿江公園にもアジサイが咲いています。ミニ木倉の脇に咲いています

ミニ木蔵

貯木場を再現し、下町の掘割がある風情を残す作りとなっています。
使用されている約千個の切石は実際の水中貯木の際の丸太の「重し」を再利用したものです。
水面の広さは約1,600m2、水深は70cm~1mです。
初夏から秋にはスイレンが咲き、涼しげな装いになります。
風の無い日には水面の木々に建物が写しだされ、さながら大きな鏡のようです。(公園のHPより)

ミニ木倉の中には水蓮が咲いていますし、花は次から次と咲いていますが、この時オタマジャクシだったのは見事にカエルになっています。

 

猿江公園の北の入り口に近くにクチナシの花が咲いていました。

ポプラの木の所に

キョウチクトウも咲いています。

半年ぶりに黒猫さんと出会いました。キンシバイもたくさん咲いています。キンシバイに似ているビヨウヤナギです。

タチアオイも少しありましたが猿江公園では撮っていません。タチアオイは東白髭公園やら大島小松川公園で摂り、別に特集してあります。東白髭公園では何といっても強烈だったのはカシワバアジサイでした。黄色い百合でしょうか。

★ランドマーク都立東白髭公園:墨田区の北端、隅田川に沿うような南北に細長い公園で、緑とレクリエーションの場です。
公園の東側には、13階建の高層住宅が並びます。公園と住宅、そしてリハビリ専門病院等をあわせ、この区域一帯は、江東デルタ地区の防災拠点。もし大地震や火災が起きた時には、公園は避難広場となります。(公園のHPより)

こちらは光明寺のニッコウキスゲです。

大島小松川公園には朝鮮朝顔・エンゼントラペットが咲いていました。

★ランドマーク大島小松川公園:東京都立大島小松川公園は、防災市街地再開発事業により、設置された公園です。
江東デルタ地域の東端に位置し、旧中川を挟んで江東区と江戸川区にまたがり、平常時はレクリエーションの場として利用され、災害時には20万人の 避難場所となる防災公園です。
スポーツ施設を中心としたスポーツ広場、わんさか広場、自由の広場、季節の広場(北側と南側)、風の広場の五つのブロックがあります。
自由の広場に隣接してお子様に人気のアスレチック広場とバーベキュー広場あり、駐車場(有料)も完備しています。

このタチアオイも大島小松川公園で摂りました。

★ランドマーク向島百花園:江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。(公園HPより)

向島百花園ではホタルの袋やシモツケソウなどがありました。

★ランドマーク都立水元公園:水元公園は小合溜に沿って造られた、都内で唯一水郷の景観をもった公園です。昭和50年まで、このあたりは都立江戸川水郷自然公園に指定されていました。 小合溜から引いた大小の水路が園内を走り、水郷景観を作りだしています。園内にはポプラ並木やメタセコイアの森、ハンノキなど水辺に強い樹木が生育し、ハ ナショウブ、スイレン、コウホネといった水生植物を多く見ることができます。(公園のHPより)

水元公園には花菖蒲の他にもヤマモモなどがあり、散りかけている皐月にキアゲハが止まっていました。

錦糸公園には赤い木の花が咲いています。アメリカデイゴというようです。

★ランドマーク錦糸公園:当公園は1923年に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として隅田公園(台東区、墨田区)、浜町公園(中央区)と並んで計画されたものである。当地は元々は帝国陸軍の糧秣厰倉庫であったが公園として整備され、1928年7月に開園された。戦時中は空襲からの避難所としての役割や戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用された。こと1945年の東京大空襲においては、1万余の遺体が当公園に仮埋葬された。戦後は人々の憩いの場として使われるようになり、次第に体育館や噴水池などが整備されてきた。また公園の北側には隣接して長く精工舎(SEIKO)の工場があったが、再開発によりオフィスや飲食店などが入った商業施設「オリナス」が2006年にオープンした。当施設を始め付近を行き交う人々にも多く利用されている。また、錦糸公園もそれにあわせて現在再整備が進行されている。(ウイキペディアより)

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