ランドマーク探しⅢ

出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録しました。これからは自分の足で散策し、記録していきます。

吉良邸跡・両国橋・両国国技館

2016年10月15日 10時25分03秒 | 歴史の小道

1年前に訪れた吉良邸跡と両国橋を古地図や錦絵を挿入して再編集しました。両国国技館についても少し付け加えました。

知りませんでしたが、下の由来にも書かれていますが、この白い壁は「なまこ壁」というらしいです。盛り上がった丸さがナマコに似ているからということでした。私にはあまりピンときませんが。今はその一角に小さな公園が作られています。

これは国立国会図書館のデジタルコレクションの分間江戸大絵図 完より撮ったものです。享和3(1803)刊、金丸彦五郎影直//図となっています。ペイントソフトで書きこんでみました。

★ランドマーク吉良邸跡地旧本所松坂町(両国3丁目)吉良家上屋敷は広大で、東西73間(134m)、南北は34間(63m)であって、坪数2,550坪と記録されています。
吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが、元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが元禄16年2月4日ですから、吉良家の上屋敷となっていたのは、前後1年半に満たない短期間でした。
屋敷の表門は東側、今の両国小学校に面した方にあり、裏門は西側に位置し、東・西・南の三方は周囲に長屋があり、北の方だけ本多孫太郎、土屋主税の屋敷と地続きになっていました。建坪は母屋が381坪、長屋は426坪です。
現在、吉良邸跡として残る本所松坂町公園は、当時の76分の1にすぎませんが、地元両国3丁目町会有志会が発起人となって、邸内のいわゆる「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入し、昭和9年3月東京市に寄附し、これによって貴重な旧跡が維持されました。なお、区移管は昭和25年9月です。公園の周囲にある高家を表すなまこ壁の、長屋門を模した高さ2mのコンクリート壁と門とが、わずかに当時の模様を偲ばせます。」

現役当時は首洗いの井戸となっていましたが、今はみしるし洗いの井戸となっていました。

中には吉良上野介義央公座像などがあります。

吉良の屋敷は回向院と接するくらいあったようです。

江戸名所図会より回向院

参道の脇に説明書きがありました。

回向院の境内の中に建てられた旧の両国国技館、日大講堂があったところです。跡地はマンションになっています。日大講堂は、私の学生時代の43年日大当局の経理不正問題をきっかけにおきた大学闘争で日大全学共闘会議議長だった秋田明大の指導で3万人参加の大衆団交が行われたところです。保健所現役の時は、すでに日大講堂は使われなくなり建物だけが残っていました。

回向院を後にして、両国橋に向かいました。

★ランドマーク両国橋明暦の大火(振袖火事)明暦3(1657)年)をきっかけに、万治2(1659)年に架けられた。正式の名はただの”大橋”と呼んだが、武蔵、下総両国に架かること新大橋などができてから、両国橋が正式名になった。橋の両側に火除地として広小路が設けられ、江戸随一の盛り場として賑わった。そうです。

江戸名所絵図に見る両国橋です。江戸名所図会より

広重の浮世絵両国花火です。国立国会図書館「錦絵で楽しむ江戸の名所より同じく広重の大川端の絵です。国立国会図書館「錦絵で楽しむ江戸の名所より

こちらは今の両国橋です。

橋の真ん中から上下流を見渡しました。

上流には東京スカイツリーが見えます。

下流は新大橋を望みますが、その手前は高速道路の橋が架かっています。

江戸切絵図

真ん中から墨田区側に戻りました。橋の袂には「ももんじゃ」があります。

20年ほど前に、一度食べに行ったことがあります。

この周辺にある相撲部屋は春日野部屋です。

若乃花と栃錦の相撲をTVで見ていたものにとっては春日野部屋は懐かしいです。

★ランドマーク春日野部屋春日野部屋は横綱・栃錦が現役力士のまま二枚鑑札で9代春日野を襲名して継承したところです。栃錦は、師匠として横綱・栃ノ海や大関・栃光、関脇・栃東、関脇・栃赤城、関脇・栃乃和歌などといった多くの関取を育てています。春日野理事長時代に今の両国国技館を建設しました。

写真は日本相撲協会のHPより

国技館の思い出回向院内にあった両国国技館は終戦でGHQに接収され、メモリアルホールとして改称・改装されプロレスリングなどに使われ、その後日大講堂として使用されていました相撲は昭和29年9月からは蔵前国技館で行われていました。

現在の両国国技館は旧両国貨物駅跡地に建設され、1985年(昭和60年)1月場所より使用されています。。新国技館は、総工費150億円の地上2階・地下1階で、全てを借金なしでまかなったと言われています。国技館は雨水利用しています。建設当時担当していた保健所の環境衛生監視員の村瀬誠さんが区長と相撲協会を説得して作らせたものです。

国技館に降った雨が周辺に流れ出すのを一時的に防ぐとともに、管内のトイレなどの水は雨水で補うようにしたものです。雨水利用が広まるきっかけになりました。この後建設された都庁舎も同じように雨水利用しています。

個人的には国技館地区担当の食品衛生監視員をしていたので、建設当時から国技館につくる飲食店や売店、地下にある調理場の相談にあたっていました。国技館名物の焼き鳥は自動焼き鳥機で焼かれています。前身の蔵前国技館では炭火で焼いていましたが、興行場では防火のため火が使えないため電気で焼けるように工夫されています。オープン後は毎年1月5月9月の場所開催時には、従業員に対する事前衛生講習と出来上がった食品の細菌検査を実施して安全を図っていました。

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