ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

平井聖天(燈明寺)・平井の渡し跡 江戸名所図会めぐり

2017年05月25日 23時48分23秒 | 江戸名所図会めぐり

アジサイやタチアオイなど求めて周辺をリハビリサイクリングしました。

アジサイ園のある旧中川を上流にさかのぼって平井の渡し跡や平井聖天・燈明寺を散策してみました。

 

アジサイ園は江東区側にありますが、江戸川区側でも植えてありました。

本題の平井聖天には2014年6月15日にも来ており、その様子はこちらに、隣の諏訪神社とともに訪れて

http://blog.goo.ne.jp/sa194520131207/e/559fd202150ace0d7a6765a247de9f03

アップしています。

山門です。

★ランドマーク平井聖天(燈明寺):妻沼聖天、浅草待乳山聖天とならぶ関東三聖天のひとつとして知られています。草創は平安時代と伝えられるますが、江戸時代中期には荒廃し 享保年間(1716~35)に京都から赴任した恵祐法印によって再興されました。歴代将軍が鷹狩りの時に御膳所に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。

安政地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊の災禍にみまわれましたが、当時の関澄道貫主によって、平等院風の優雅な本堂が建立されました。澄道貫主は文人としても知られ、歌人の正岡子規、伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室も左千夫の設計によるものです。

  その後、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあったが、当時の関澄道貫主(二十六世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅な本堂が建立されました。 澄道貫主は文人としても知られ、正岡子規や伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室は左千夫の設計によるものです。(江戸川区指定史跡)江戸名所図会より仁王石像阿像 仁王石像吽像聖天堂こちらは14年6月のものです。

階段の下に手水舎

 本堂は17年5月では修理中でした。写真は14年6月のものです。鐘楼です。左の茶室が伊藤左千夫が設計したもののようです。

山門を入ったところに瑜祇供養塔百度石 境内にはランの花が咲いていました。

塀の植え込みには皐月が咲いていました。

旧中川に向かいます。古地図右下に平井聖天とあります。川に「舟渡」と書いてあります。

アジサイの咲いているところから左手の北十間川をさかのぼると、現在の東京スカイツリーの立っているところに行きます。

江戸名所図会では左下のところに舟が描かれています。

墨田区側から見ています。舟は花の先にある感じです。

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