八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

野鳥の餌台の強さ番付

2016-11-25 07:05:32 | 日記
 わが家では初冬から新緑の頃まで、餌台にヒマワリの種を入れるようにしている。ヒガラ、コガラ、ヤマガラ、エナガ、ゴジュウカラ、シジュウカラ等のカラ類は、群れの中に入り混じり一緒に来ることが多い。ヒナを育てていない時期は、20~30羽の群れに混ざり合って餌場や水場を巡回しているようだ。その中にカラ類ではないが、数羽のカワラヒワが混じっていることがある。ヒマワリの種を食べないエナガは別として、餌取りの様子で群れの中の強弱を知ることができる。弱い鳥は、先に餌台にいても後から来た鳥に追い払われてしまう。強さの順は、ゴジュウカラ>ヤマガラ≒カワラヒワ>シジュウカラ>コガラ>ヒガラという観察結果である。

 カラ類がヒマワリの種を一粒づつ持ち去り、枝と足指の間に種を挟み込み口ばしで殻を割って食べるのに対し、カワラヒワは餌台の中に陣取り、口の中で種をクルクル転がして殻を割って食べる。最初は粟をそうして食べていてヒマワリの種は食べなかったのだが、いつの間にか学習して餌台を独占し殻だけを残すので、気がついた時には追い払うようにしている。唯一例外は、一直線にゴジュウカラが飛んで来た時で、その勢いに怖れをなすものかあわてて逃げ去って行く。

 雪の続いた日などは、弱いカラ類もヒマワリの種を食べるのに必死になる。後から来たカワラヒワに対しても、餌台の中で羽根を広げて威嚇するシジュウカラもいる。大きさが同じか多少差がある程度の強弱は、気の強さ的な要素もあるようだ。そして山に雪が積もるようになると、アトリやシメやイカルもやって来る。そうなるとカワラヒワも、体の少し大きいアトリには殆どが餌台を譲っている。そのアトリよりもシメ、シメよりも更に大きいイカルという、餌台での強さ番付になる。しかしリスは別格、餌台入り込み食べ散らかし放題だ。近くで野鳥たちがじっと待っているのを見た時には、追い払ってお引取りを願うことにしている。

 餌台近くに水場を作ったら、目ざとく見つけて水飲みや水浴びもしている。メジロやキビタキは水飲みや水浴びに来るだけだが、窓から近い距離にあるこの餌台と水場は、居ながらにして野鳥たちの生態を知ることが出来る絶好の観察場所になっている。
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十年目のリンゴ狩り

2016-11-18 06:44:42 | 日記
 2016年11月13日(日)、契約している安曇野の栽培農家に行きリンゴ狩りをした。これは、2006年にリンゴの木のオーナー募集に応募して以来の恒例行事になっている。毎年10月中旬、収穫時期の案内葉書をもらった後、近くに住む次男一家と都合を合わせて出かけている。今年の次男一家からは、次男と背が伸びて高所もぎ取りの戦力になった中二の孫が参加してくれた。

 最初の数年は、自分の名札を付けた「サンフジ」の木から収穫していたが、虫に食われた樹冠部分を切除した後は、栽培農家Kさんの厚意で同じ種類の中から選ばせてもらっている。どれも5メートル近くに成長した木だが、細い果柄からよく落ちないものだと感心するほどたわわに実っている。

 教えてもらった採り方は、リンゴを上向きにひっくり返すようにすると簡単にもげる。手の届く所は私と発送の送り状書きを終えて加わった妻、そして高い所は次男と孫が専用の梯子に登って採取してくれた。手籠がいっぱいになったら降りて箱に移し換える。この動作を繰り返すうちに、1時間弱で全部採り終えることができた。次は収穫したリンゴ箱を搬送車で運んでもらい撰果作業となる。

 都会に住む子、妹、知人、友人に送る分は、大きさと傷みのないものだけを撰果する。5、10Kg入りのダンボール箱には、一段で12玉(Lサイズ)か14玉(Mサイズ)が入るモールドと呼ばれる専用緩衝材を敷き、そこに見合ったサイズのリンゴを入れていく。二段が入る10Kg入り箱には、14玉と12玉の組み合わせで26玉入りとした。入れ終わったら上に緩衝材を入れて蓋を閉め、大きなホチキスで3ヶ所を留めて封をする。

 りんご箱に送り状を貼り、農園と専用契約している宅配業者から送ってもらう。残ったリンゴとキズや凹みによりジャムにするリンゴは、わが家と次男宅用として夏場に購入している山梨・新府の桃用段ボール箱に入れて持ち帰る。最後にリンゴのダンボール箱、緩衝材、送料などの代金を支払って帰路につく。慣れてきたせいか来園して1時間半ほどで終了だ。今年は、全部で270個ほどの収穫があった。この安曇野産の「サンフジ」リンゴ、果肉がしまって蜜による甘みがあり長もちする。この正真正銘の安曇野産信州リンゴ、食べて良し人にあげたり歳暮として贈って喜ばれているのが嬉しい。
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人類の振動数

2016-11-11 06:47:03 | 日記
 映画「奇跡のりんご」は見なかったが、そのモデルになった木村秋則さんが書いた本を読んだ。その本には、農薬を一切使わず自然から学び自然に委ねたりんご栽培技術を確立するまでの苦労が書かれていた。興味を引いたのは不思議な体験の記述部分だった。彼は幼い時から、UFOを見たり、想像上の生き物とされる龍と出会ったり、臨死体験をしたり、更には宇宙人とテレパシーで会話しその宇宙船に乗せてもらった経験などが記されていた。りんご栽培農家に入婿した彼が、無農薬のりんご栽培に取り組むようになった啓示と直感、生活が困窮しても支持し支えてくれた義理の両親の存在などによってついに夢の実現が果たせた。そんな彼が自分の人生を振り返って下した結論が、本の題名になった「すべては宇宙の采配」である。

 UFOは彼以外の多くの人にも目撃されていることなので除外するとして、龍に出合ったり、宇宙人が自宅に現れたり、その宇宙船に乗せてもらうことが出来たのはいったいどうしてだろう?宇宙船に乗せてもらった経験が妄想でなかった証明として、同じ宇宙船で同じ経験をした人(確か日本人とアメリカ人)と講演の機会に再会し会話したという記述もあった。以前このブログで、「ベールを脱いだ日本古代史」という題名で、坂本政道さんの本を紹介したことがある。その後に彼の別の著書「バシャール×坂本政道」を読んだが、その時は内容がよく理解できないままになっていた。しかし木村秋則さんの不思議な体験が気になって改めて読み直すと、符合したり理解を増す部分があることに気がついた。その坂本政道さんの本から、私なりに理解して以下に要約を試みた。

 人類が誕生する前の今からおよそ50万年前、日本、中国やロシアの一部、東南アジア、ハワイの一部にまたがるムー大陸があった。そこには後に人類がレムリア人と名付けた異星人による文明があった。彼等は自然を大切にし、遠くの人ともテレパシーを使って意思の疎通ができた。そして倫理よりは直感、思考よりは感覚に従って暮らしていた。移動手段には、空気の振動を使った空中浮遊ボートを用いていた。当時の彼等は青い皮膚と青い血を持つ人間型の体形をしていた。平均的な振動数として約17万から18万回/秒の数値を持っていた。そのムー大陸は何度かの地質大変動で大部分は海底に沈んだが、インドやアジアに古代文明を残している。そしてその幾つかの都市には、今より限定的な核兵器が使用された痕跡が残っている。

 そして今のキューバ、プエルトリコ、フロリダの一部、バハマにまたがる地域にはアトランティス大陸があった。そこに到達していたレムリア人の子孫の平均的振動数は約14万から15万回/秒だったが、多くの変化が生じて下がってしまった。そのアトランティス大陸は1万2千年前まで存在していたが、直径数百メートルの巨大隕石が2つ大西洋に落下し高さ300mに達する巨大津波が発生して壊滅した。その大津波は世界各地に影響を及ぼし、聖書にも大洪水として記述されている。その隕石の痕跡はアフリカとスペイン沖で発見されていて、直径800mくらいの大きさだという。その出来事は伝承されていて、10月31日をヨーロッパでは「ハロウィン=死者の祭りの前夜」、古代アステカのあった現在のメキシコでは11月1日を「死者の日」と呼んでいる。

 ムーやアトランティス時代に生きていたレムリア人は、輪廻を続けている存在と地球外に移動した存在がある。地球にとどまったレムリア人は、その後に誕生した人類の神(王)として存在し文明の発祥と形成に力を貸した。キザの大ピラミッド、マチュピチュ、インカの巨石構造物は、光と音とで作る空気の振動によって巨石を浮揚させる技術が使われた。エジプトのピラミッドは幾つかの目的で作られたが、その一つは王が特別な儀式(呼吸法、断食、瞑想、黙想、薬物)を通じて自身の振動数を約20万回/秒ほどまで増幅させることが目的であった。そうすることによって、異星人である自分たちの祖先と交信したり、その世界に自分をテレポートすることができた。ただし機能したのは最初のピラミッドだけだったので、初期の王だけにそれができた。正確なピラミッド設計技術と巨石を浮揚させる技術は忘れ去られ、人力で次々に建造されたが後継の王はその振動数まで到達することはなかった。

 またUHOの飛行原理については、次のように説明している。適切な比率で作られた部屋が船の中央部にあり、その部屋をある電磁エネルギーの周波数で共鳴・共振させた振動を宇宙船全体に伝えて推進力としているのだそうだ。船に与えるその振動数は、物質が持つ位置特性でもあるので、瞬時にその場所までテレポートすることができる。人間もテレポートできるが、その人が何を信じているかとテレポートできる振動数を持っていることが必要なのだという。

 私たちの住む地球には、異星人によって作られた別の次元に存在する文明がある。それは私たちの存在する別の次元から、ぽっと現われて目撃されたり語り継がれて来た。例えば、小びと、妖精、河童、天狗、龍などと呼ばれる存在である。彼らは物質的な現実の世界と非物質の中間にいる存在で、両方を行き来することがある。海外ではヒマラヤの雪男、ロッキー山脈のサスクワッチも同じ存在である。振動数で区分すると、約25万から33万3,000回/秒の移行領域に存在する。現在の人類の平均的な振動数は、約7万6,000から8万回/秒であるが、僧侶など霊的な成長や意識の進化を探求している人は約10万回/秒以上の振動数を持っている。中には17万から18万回/秒に到達している人もいるという。

 坂本政道さんと交信した異星人バシャールのいる惑星の平均的振動数は、約25万から29万回/秒。坂本さんは彼から自分が9万2,000回/秒という振動数を教えられた。イエス、インドのクリシュナ、ネイティブアメリカンの聖者ウォヴォーカは、20万回/秒以上の振動数を持っていたというが、生前なのか死後のそれなのかは語られていない。仏陀は現在、約50万から66万6,000回/秒の領域にいて、地球人類の変革を支援するために幾つかの転生を持っているという。人類は今、覚醒した人が多くなったことによって、現在の約6万から15万回/秒の領域から途中の移行領域を経て、ひとつ上の18万から25万回/秒の領域に移行中なのだという。これは5次元に僅かに入りかけた状態なのだそうだ。

 疑問だった坂本政道さんや木村秋則さんに龍が見えたことや、宇宙船に乗れた理由について考えてみた。私たちは座標X,Y,Zの空間に時間軸を加えた4次元の世界に存在している。5次元にいる龍が私たちのいる次元の世界で見えたのは、2人が普通の人より高い振動数を持っているということなのだろう。そして2人が宇宙船に乗れたのは、倫理よりは直感、思考よりは感覚で理解できる人だからではないだろうか?異星人が人を選ぶのには意図がある筈で、恐怖で発狂したり死んでしまうような人間をわざわざ乗せるとは考えられない。

 異星人バシャールは仏陀の教えをひと言でいえば“無条件の愛、無条件の許容”だという。以前このブログで俳優の滝田栄さんのことを書いたが、彼のいう“みんなそろそろ仏陀になろう”は、修行によって仏陀の教えを理解できる人の言葉ではないか。そしてまた、般若心経で仏陀の説く「知恵の完成」とは、人類が日々目指すべき来し方のことを云っているのではないか、と思えるようになった。
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ベールを脱いだ日本古代史

2016-11-04 07:14:36 | 日記
 それは縄文時代末期、一部族の長で且つ神官(シャーマン)の過去世を持つ、坂本政道さんという人が書いた本の題名。高次意識との交信によって明らかになった、大和王権誕生の経緯について書かれている。中国王朝の国書には倭国や邪馬台国の記述があるのに、日本の歴史書「古事記」や「日本書紀」には成立経緯が曖昧に記されている。この本による日本古代史解明に興味を覚えて読んでみた。以下に要約して紹介する。

 縄文時代末期になると、中国揚子江流域から稲作・鉄器・青銅器・新型土器を携え、直接又は朝鮮半島南部を経由して九州各地や九州経由で瀬戸内海沿岸部、出雲、丹波、但馬、丹後に渡来して来た人たちがいた。その中で出雲族は、紀元前6世紀ころ島根県の出雲地方に渡来し、その後本拠地を大和の磯城(しき)に置き古代の畿内(大和・山城・摂津・河内・和泉)の小国家を統合して邪馬台国を作った。歴代の首長を大国主神と神格化して祀り代々男王が治めた。土着の縄文人と融和しながら、山陰、中国、近畿、北陸、中部地方に出雲文化圏を形成して行った。

 かなり遅れて朝鮮半島南部斯盧国にいたスサノオ族も出雲に渡来し、出雲国を浸食したが少数部族だったのでやがて出雲族に吸収された。その後海部(あまべ)族が当時の丹後国に渡来、同族の尾張族は美濃・丹波地方に勢力圏を広げた。そして紀元前1世紀、弁韓にいた天皇家の祖先・アマテラス族が福岡県糸島半島に渡来。志賀島一帯を勢力圏にしていた安曇族と婚姻関係を結び地盤を強化、そして先住の伊都国を制圧した。アマテラス族は自らを天孫族と呼び、他民族を征服する選民思想を持っていた。

 紀元前2~4世紀の朝鮮半島南部は高天原とも呼ばれ、馬韓(後に百済)・弁韓(後に任那或いは伽那又は加羅)・辰韓(後に斯盧から新羅)の三地域に、多くの小国が存在していた。その後この地域には倭人も多く住み、北部九州には対馬国・一支国(壱岐島)・末蘆国・伊都国・奴国などが存在していて同じ文化圏を形成して行き来していた。2世紀中頃から世界的寒冷化による旱魃・飢饉や朝鮮半島南部国家間の争いによって、九州北部や一部瀬戸内海沿岸に渡来人が増加した。また中国王朝の後漢衰退に乗じて遼東半島に公孫氏が独立政権を樹立した。

 その倭国支配への脅威に対応するため、邪馬台国を中心に大和の纏向(まきむく)を都とする邪馬台国連合が形成された。王には海部氏の始祖アメノホアカリ(アマテル神)から6世孫で巫女をしていた卑弥呼が就いた。247年卑弥呼が死ぬと男王が立ったが国家間がまとまらず混乱した。そこで同様に強い霊力を持ち卑弥呼の親族にあたる台与(とよ)が初代の後継女王に選ばれた。アマテラス族は先兵としてニギハヤヒを河内に送り込んでいたが、その子孫は出雲系の族長で海部、尾張両氏に仕えていたナガスネヒコの妹と結婚して取り込まれてしまっていた。

 3世紀後半になると朝鮮半島南部で三韓の争いが激化、多数が九州北部に渡来してアマテラス族の人口も増加。台与の晩年、邪馬台国連合も分裂気味になったのを捉えアマテラス族が伊都から瀬戸内海経由で大和へ進軍を開始した。河内でナガスネヒコの軍に阻まれ紀伊半島回り熊野経由で大和へ侵入した。邪馬台国首長兄弟の兄磯城(えしき)・弟磯城(おとしき)軍と対峙。弟磯城を寝返らせて戦いに勝利する。ナガスネヒコは、妹とニギハヤヒの子孫との間に出来たウマシマジによって殺されたので、邪馬台国連合は完全に崩壊した。邪馬台国軍である出雲族の兵は各地に逃走し、海部・尾張両族と吉備国軍は夫々の支配地に帰ってしまった。アマテラス軍を率いた祟神(神武)は、王権を簒奪し磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)で初代天皇となり大和王朝を成立させた。

 祟神天皇治世初期に、疫病と飢饉で多くの民が死に台与に神々を祀らせたが収まらなかった。縄文の神・三輪山の大物主神を祀るようにとの神託があったので、代々三輪山の祭祀を行ってきた子孫を探し出して祭らせると疫病と飢饉は収まり平和になった。祟神は太陽神アマテル神(天火明命:アメノホアカリ)を祀ってきた台与と多くの巫女を殺して埋葬した。それが最近卑弥呼の墓ではないかと話題になっている箸墓古墳である。祟神は、王権を簒奪するまでに殺戮してきた人々や台与と巫女たちの恨みやたたりを封印するために、鎮魂の祀りや儀式を行ない天皇家の子孫に引き継がせた。

 大海人皇子は、672年の壬申の乱で尾張氏の支援を得て勝利し天皇に即位した。尾張氏はアマテル神を祀ってきたので、祟神以来遠ざけられていたアマテル神を大々的に復活させた。しかしアマテル神はたたり神のレッテルが貼られていたので、古代邪馬台国女王だった卑弥呼を太陽の女神として祀る対象とした。この時、合わせて邪馬台国の存在を隠すなど古事記や日本書紀を天皇家に都合の良いように編纂した。そして伊勢神宮の内宮で架空の神アマテラスを祀り、外宮で台与を祀り、秘中の「心の御柱(しんのみはしら)」の儀式を通じて大物主神を封印して今日に至っている。そして宮中の鎮魂祭や東大寺のお水取りなどの儀式も、たたりや恨みを鎮めたり封印したり詫びる儀式として引き継がれている。

 更に興味のある人には本書を読み願うとして、見ているように詳しく書かれていることに驚いた。それは歴史学者の到底及ばない範疇であり、現代の科学では証明できない能力を持った人のみ知る得ることではないかと思う。
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