八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

カンタンド(歌いながら):藤沢蘭子さんのこと

2016-08-26 05:45:58 | 日記
 眠る前にヘッドホンで聴いているCDの中に、藤沢蘭子さんのものがある。それは若き日の1951~1954年収録盤と、円熟期の1968年収録盤の二枚である。彼女と夫率いる楽団の演奏公演は遠い昔に聞いた記憶もあり、心地よいタンゴCD蒐集の一貫としてアマゾンで買い求めた。その際、彼女が書いた本のあることを知り、知らなかった彼女の人物像について、以下に本からの紹介を試みた。

 その本は、タンゴの女王と呼ばれた藤沢嵐子が、オルケスタ・ティピカ東京を率いていた早川真平との音楽生活の思い出を、彼の亡くなった2年後に発表した。それによると、昭和23年(1948)、23歳の時、早川真平とタンゴに出会い、奥さんと別居中の彼と同棲し後に結婚。28歳から39歳の時まで5回に及ぶアルゼンチンへの演奏旅行、その間32歳から36歳までNHK紅白歌合戦に連続出場など、二人がいちばん輝いていた時代であった。

 タンゴブームが去り、46歳の時の1月に楽団は解散。46歳から55歳の十年間、二人だけの生活を始めた。カトリックに入信していた彼女は、洗礼を受けて教会に通う習慣ができた。真平は絵を描き、嵐子は傍らで編み物、人を雇ってスナックを開いたり、東京音楽学校(今の東京芸術大学)の受験生相手に真平が理論、嵐子が声楽を教えていたこともあった。本の中で彼女は、この十年間は神様が私にプレゼントしてくれたいちばん幸せな時代だったと述べている。

 昭和55年(1980)、55歳の時はタンゴ誕生100年ということで、海外から多くの名の知れた楽団が来日し彼女はステージに復帰した。二年後、真平に肺がんが見つかり入退院を繰り返すうちに、昭和59年(1984)12月28日70歳で死去した。一年後に追悼コンサート、その後は気の向くままステージに立っていたが、平成3年(1991)9月6日のコンサートを最後に66歳で完全に引退した。

 ♪歌いながら あのひとに出会った 歌いながら あのひとをなくした わたしは泣くすべを知らないから 歌いながら死んでいこう♪
 
「カンタンド」とはタンゴの歌の名前ということだが、彼女の希望でこの本題になったという。二人の間に子供はなく、引退後の余生を新潟県でひっそり過ごしていた。平成25年(20013)8月22日、入院先の長岡市の病院において、88歳で死去したのを新聞で知った。
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住民健康診断から

2016-08-19 06:39:44 | 日記
 6月に受診した町の住民健康診断結果について、町の保健センターから呼び出し状が送られて来た。異常がなければ検査結果だけが郵送されて来るのだが、去年の場合は、二つの診療科受診のため医療機関提出用の診断結果が同封されていた。気になった診療科を受診して調べてもらったが、正常ではないものの様子見の診察結果だった。

 今年の呼び出し状は、去年無視したもう一つの診療科への注意勧告だと思いながら、指定された日時に町の保健センターに出かけた。待ち構えていた特定保健指導の栄養士さんから、ここ数年、正常値を外れている検査結果について、その意味する病気とその予防のための食習慣の指導があった。良かれと続けていた食習慣や生活習慣に誤りもあり、なるほど、なるほどと頷くばかりで帰宅した。

 帰宅後、会社勤務時代の古い健康診断データを取り出し、今回、問題視している検査結果と比較してみた。その結果、1997~2002年までのTC(総コレステロール)、クレアチニン、血糖の検査値は正常範囲だったのに、2015~2016年の検査では正常範囲から外れて数値は大きくなっていた。そして当時は検査項目になかったLDLコレステロールやヘモグロビンA1C(ヘモグロビンエイワンシー)もやはり、正常範囲を外れて高くなっていた。

 中性脂肪は正常範囲だが、悪玉コレステロールを示すLDLコレステロールに加えて、血糖値とヘモグロビンA1Cも注意すべき状態にあることを知った。また腎機機能の状態は、クレアチニン数値と他にeGFR数値が正常範囲外にあったので、更に正確な判断を仰ぐ意味で専門の診療内科の受診を予約した。

 働いていた当時と現在では、体重はほぼ変わりないのに、何故コレステロールや血糖値が正常範囲から外れてしまったのだろう?インターネットの「摂取カロリー・消費カロリー大辞典」の“運動で消費するカロリー一覧”から計算してみた。例えば机上事務約7時間の消費カロリーは、平泳ぎ1時間分の消費カロリー・768Kcaiに相当すると知った。仕事をしていれば、通勤や社内移動だけではなく、机上事務でもそれなりのカロリーを消費していたことになる。

 早速、栄養士さんが見せてくれた“目で見る食品等質量ハンドブック”を買い求め、妻と相談して糖質を減らす食生活を目指すことにした。そして日課としている運動は継続するとして、何事も面倒がらず、意識して身体を動かすことに決めた。年1回の住民健康診断だが、検査技術の進歩により成人病の早期予防に繋がる取り組みや意識改革ができるのはありがたい。栄養士さんとの半年後のフォロー面談に向け、これら検査項目の正常範囲内への回復という目標が出来た。
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自家製ジャムと薬用酒

2016-08-12 07:00:00 | 日記
 どの家庭でも健康維持のためにしていることがあると思うが、我が家の場合はジャムと薬用酒。どちらも妻の手作りによるもので、ジャムは毎朝の自家製ヨーグルトに混ぜて食べ、薬用酒は毎晩就寝前に私が盃一杯ほどを飲んでいる。

 一年を通じて途切れることのないように地下室に保存してあるジャムの種類は、イチゴ、ブルーベリー、リンゴ、いちじく、桃、ルバーブ、ナツハゼ、ソルダムなど。旬の季節に地元の店や栽培農家から安く買ったり、自分たちで収穫したものをジャムにしている。妻の好きなジャムはいちじく、毎朝、たっぷりヨーグルトに入れては楽しんでいる。私専用のようになっているのはブルーベリー、毎年の夏、馴染みになった町内の農園で摘ませてもらっているものだ。

 最も気に入っているのはナツハゼのジャム。9月下旬、庭のナツハゼの木から、黒紫色に塾した4~5ミリほどの実を根気よく収穫する。少ない年は、前年収穫して冷凍庫に保管していた分を足してジャムにしてもらう。ヨーグルトに混ぜて食べると、果肉と種が干したプルーンのようで美味しい。このジャムは以前、知人にあげて絶賛されたこともあるが、自他共に納得の美味といえる。

 飲んでいる薬用酒は、朝鮮人参や行者ニンニクの根、朝鮮ゴミシの実、ウメ、サルナシの実をリキュールに漬けした夫々のブレンド酒。夫々の原酒を置いた地下室で、少しずつ混ぜて一本のビン詰めにし、飲みやすいように冷蔵庫に入れてある。原酒には、新しくナツメ、ザクロ、クサボケ、ヤマブドウなどを加えたこともある。妻に聞くと、これまでにイカリソウの根、木の実では、カンボク、ヤマボウシ、イチイ、マタタビ、ツルリンドウ、ウグイスカズラなどから原酒を作ったことがあるという。妻は本で調べたり、地元の人に聞いて試しているようだ。

 朝鮮人参のように薬用酒に詳しい友人から分けてもらったものもあるが、自然豊かな地ゆえに朝鮮ゴミシ、サルナシ、行者ニンニク、ナツメなどは、地元の店で手に入る時がある。ザクロは別荘に来る知人からいただいたが、その他の材料は、庭や近くの林で採取したものである。こんな風にジャムにしろ薬用酒にしろ、妻の作る楽しみも含め、自家で作って健康を維持できるのは幸せなことだと思う。
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スガレ追い

2016-08-05 06:35:17 | 日記
 私の住むこの別荘地域では、夏から秋にかけて知らない人達を見かけることがある。どこか遠慮がちで道路脇にたたずんでいたりしているが、その風体や雰囲気から“スガレ追い”の人達だと知ることができる。このスガレとは、スガレ、スガリ、ヘボ、ジバチなどと呼ばれている、体長15ミリほどのクロスズメバチのことである。彼らは、このハチの幼虫や蛹がつまっている土中の巣を取りに来ているのだ。おおよそのことは知っていたが、ある年の秋、見かけた彼らにハチ取りの現場を見学させてもらった。

 先ずは見通しの良い道路脇の枝先に、20~30メートル間隔で数箇所の餌場を作る。短冊状にした生イカや裂いたカエルの足などを、針金で縛って木の枝に吊るしていた。その餌場を見回り、ハチが噛み切った餌をどの方向に持ち去るかを観察する。つまり追いかけやすい方向に作った餌場を、“スガレ追い”の拠点にしていた。その餌場で肉団子作りに熱中しているハチの背中に、何と蛍光マーカーで印をつけ、巣の方向と餌場に来るハチを区別して特定しやすくしていた。別の1人は和ハサミで、直径3ミリくらいの団子状にした餌に、目印となる吹流しを細い釣り糸でくくり付けていた。

 以前はこの吹流しに、綿を伸ばして使っていたそうだが、木や枝に引っ掛かりやすいので、薄いプラスチックテープを細工して使用していると教えてくれた。その吹流しとは、長さ10センチほどに切った後、幅6~7ミリに裂いた薄いポリプロピレンフィルムを、長さ10センチほどの細い釣り糸に結んでこしらえたものである。その吹流し付きの餌を持って、拠点とした餌場へと向かう。そこで指先に乗せた吹流し付きの餌を、巣の幼虫に与えるために夢中で肉団子にしているハチの顔先に近づけると、それに食いついていた。ハチはその餌の安全を確認して納得すると、近くを2~3回旋回した後に、巣の方向に飛び立って行く。

 こうして“あっちだ”“こっちへ来た”などと、叫び合いながらの“スガレ追い”が始まる。ハチは、道路の上などを飛んでくれないので、見失わないようにするのは大変だ。見ているとハチは、木や枝の間を通る巣への最短で安全な飛翔航路があるようだ。見失うと元の餌場まで戻り、巣が近くにあれば、数分で同じハチが戻って来るのを待つ。そして餌場に戻って来たハチに、また吹き流し付きの肉団子でだまして指先におびき寄せる。指に乗ったらハチが飛び立たない前に、先ほど見失った場所まで全速力で走って行き、そこで飛び立たせる。次はその先で待ち構え、先へ先へと巣への飛翔行路を掌握し、見失ったらまた同じことを繰り返して巣の場所を見つける。人数が多ければ、途中途中で待ち受けられるのだろうがこの時は3人だったので、巣を見つけられないうちに夕暮れになってしまった。

 もう50年以上も昔、私は子供時代の夏休みをよく山梨の母の実家で過ごしていた。中学生を頭とする3人の従兄弟からヘボの巣を取りに誘われ、薄暗くなってから目印をつけていた山道の脇の土手に行った。今はハチ取り用の煙硝が売られているが、その時は仮死状態にするために燃やした新聞紙を巣穴に差し込み煙でいぶした。数分後、急いで鍬で巣穴を掘り起こし、ハチを払い落としながら取り出した巣を新聞紙に包んで持ち帰った。巣から幼虫や蛹を一匹ずつ取り出し、フライパンに入れて囲炉裏であぶると、あたりは甘い香りで充満した。私はあぶった幼虫を恐る恐る数匹、口に入れたものだ。

 “スガレ追い”、それはかって慣れ親しんだ懐古の文化なのか、まるで子供のように嬉々として無心にハチを追う姿は何とも微笑ましく、そして私に懐かしい思い出を呼び起こしてくれた。
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