八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

キビタキという鳥

2016-06-24 06:35:18 | 日記
 この鳥を知ったのは、ここ別荘地帯の梢の繁みでよく鳴いていて、どんな鳥なのか興味を覚えてからだった。個体によりバリエーションがあり、明るくよく透る声でホピピピ、ホピピピとやや金属的な鳴き声に加え、当地ではコッチコイ、コッチコイのコジュケイやウツクシイヨー、ウツクシイヨーなどセミの鳴き声を取り入れていたりする。その鳴き声を頼りに、図鑑で調べると【キビタキ】であることを知った。

 外見的特徴は、頭から尾羽までの上面は黒く、黄橙色の眉斑、喉元から胸にかけて橙色、背中近くの羽の一部は白色の美しい鳥である。庭を注意深く見ていると、時々やって来ていることもわかった。数年前、夕暮れ時に軒下の物干し竿に来ていたことがある。身近にクリリ、クリリとしきりに鳴くので、見てみるとそこにいた。

 ときおり窓ガラスにぶつかる行為の意味がわからなかったが、今年4月頃から空き地を挟んだ別荘宅に置かれた車のサイドミラーに、ホオジロがしきりに飛びかかる光景を目にしている。それで、窓や鏡に映る自分の姿を恋の相手と思い込んだ動作と知った。ホオジロはその行為を5月末まで続けていて哀れを誘ったが、そのキビタキはわが家で見た一度だけ、当地には仲間が多く本物の相手を見つけられたのだと思う。

 ヒマワリの餌台に来ることはないが、植木鉢の受け皿を使った水飲み場兼水浴場に来ているのをよく見かける。シジュウカラやメジロの水浴びの仕方とは違い、水を派手に飛ばして思いっきり楽しんでいる様子である。身近な野鳥を鳴き声だけでなく、生態やエピソードを知ることができるのは、より親しみが増して嬉しくなる。
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わが町の縄文時代

2016-06-17 06:43:29 | 日記
 今から14,000~2,300年くらい前まで、日本には1万年以上も続いた縄文時代という文明があった。世界の文明の中で、これほど長く続いた文明はない。日本列島のおいたちと関連づけると、2億3,000万年前からの世界的な大造山運動によって、海底にあった日本列島は隆起して大陸の一部になった。1,800万年前から200万年前までの日本列島は、大陸と繋がったり離れたりしていた時代である。例えば1,800万年前には日本最古の象がいたし、1,500万年前は大小の島として存在し長野県でもクジラや象の化石が見つかっている。700万年前には隆起し、島々は一つになり大陸とも繋がった。300万年前まで引き続き隆起するが、200万年前から最終氷期の2万年前くらいまでは、寒い氷期と温かい間氷期の繰り返しのたびに海面の下降と上昇があり、大陸と繋がったり離れたりしていた。

 この間、15万年前の明石原人(明石市)、10万年前の牛川原人(愛知県)、そして2万年前には長野、静岡、広島県で“野尻湖人”“三ヶ日人”“浜北人”“帝釈人”と名付けられた人骨が発見されている。縄文時代の人口として、北海道を除く早期(9,500~6,000年前)では21,900人、最も多かった中期(6,000~4,000年前)が262,500人(うち西日本は9,500人)と計算した学者もいる。そして多くの骨から推定した縄文人は、男158cm、女147cm、寿命は25~30才、上下歯が噛み合う形だったという研究報告もある。

 以下に、鳥浜貝塚(福井県)、三内丸山遺跡(青森県)とわが富士見町の井戸尻遺跡の例で、縄文人の生活や文化を考えてみた。鳥浜貝塚は、三方湖に注ぐ川の海抜下4mの地層から見つかった。12,000~5,000年前の遺物が、当時のままの姿で発掘された。これだけ長い期間の縄文時代の遺物が発見されたのは、日本ではここだけである。出土品には、丸木舟、斜格子文土器、漆塗り土器や皿・鉢などの木容器、鳥浜タイプと呼ばれる石斧、石製の工具や生活道具、首輪、耳飾、腕輪などのアクセサリー、目の粗い編布、魚網などがある。伐採から板や棒、角材を作るまでの木工、とった貝や魚の加工、漆の精製などに、優れた技術を持っていたと考えられている。

 三内丸山遺跡は、5,500~4,000年前まで1,500年間も続いた縄文人の生活跡である。北海道南部から秋田・岩手県北部とも、同じ円筒式土器を使用する文化圏として繋がっていた。当時は温暖で海水面が高く、海にずっと近かったと考えられていて、最盛期で100軒、500人が住んでいたと推定されている。1,500年間の合計では、3,000軒以上の竪穴住居が作られていたと見られている。

 また住居とは別に、直径85cmのクリ材を使った長軸15m(最大32m)もある巨大な建物が20棟以上も見つかっている。交易を示す遺物として、コハク(岩手県久慈市)、接着剤や木杭防腐剤としての天然アスファルト(秋田県から新潟県にかけての石油鉱床)、黒曜石(北海道、長野県霧ケ峰)、ヒスイ(新潟県)などがある。この時期の北海道や青森県の遺跡には、やはり大型建物や住居が発掘されていて、石や骨で作った刀が多数見つかっている。

 さて、縄文時代中期のものとされる長野県の遺跡数は日本一だが、その中でも諏訪と伊那地方に、遺跡が集中している。そしてその当時、長野県の南半分から山梨、神奈川、東京、埼玉県荒川以西、静岡県富士川以東にかけて、共通の文化を持つ縄文人が住んでいたことがわかっている。特に山梨県中部の笛吹川の丘陵地帯と長野県富士見町から韮崎市にかけての八ヶ岳南山麓は、格段に造形の優れた土器が見つかっていて、甲府盆地を挟んでこの二つの地域が中部高地の文化の中心であったと考えられている。

 この八ヶ岳南山麓が栄えた理由は、近くに和田峠や麦草峠冷山のような黒曜石の原産地があったこと、旧石器時代から黒曜石を通じた交易ルートがあったこと、現在より温暖で、衣食住を十分まかなえる豊かな自然環境があったことがあげられる。町内で発掘された遺跡からは、直径100メートルもある円環状の集落跡が見つかっている。中心に直径10mほどの広場があり、その外側に幅10mほどの墓群や墓柱、そして方形建物、一番外側に竪穴式住居があった。住居柱は直径45cmほどのクリ材で、柱同士はホゾ穴で組み立てられていた。また焼けた住居跡からパン状の炭化物が見つかっている。

 縄文人とは、大陸と陸続きになっていた頃、東南アジアや東北アジアから渡ってきた、言葉も文化も違う人々といえる。独自に、狩猟、採集、漁労、農耕や生活に必要な道具を作って生活していた。道具の発想は同じで、土や石や骨などの材料が鉄や他のものに置き換わって現在でも使用されている。また、足りないものを物々交換で手に入れるために、特産品を量産する技術も持っていた。世界観や死と再生については、円環状の集落構造や土器の図像から、今の未開地域の人たちと同じような信仰を持っていたと考えられている。

 以前、町内で宮崎駿さんの講演を聞いたことがある。彼はスケッチ画を示しながら、縄文時代の八ヶ岳山麓からイメージしたアニメ映画“もののけ姫”製作の想いを語ってくれた。映画の中で群れを率いるイノシシのリーダーに、町内の地名・乙事(おっこと)主などと名付けていたことからも、その思い入れの一端を知ることができた。縄文時代の人々の考え方も、今の私たちと本質的には違わないと思われるが、私たちの体内に残されてきたことの中で、何を忘れたり何を失ってしまったのだろうか?
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スズメバチの種類と習性

2016-06-10 06:48:15 | 日記
 まだ木も草も芽吹かない当地の遅い春、巣作り場所を探してしているスズメバチを見かけることがある。体が大きく飛ぶのも緩慢なので、越冬していた女王蜂であることがわかる。わが家の外壁板内側と車庫入口天井にキイロスズメバチの女王が巣を作ろうとしたこともあった。この時は作り始めだったので、殺虫スプレーで追い払ったり留守の間に取り除いたが、たった一匹だけで始める王国建設の始まりである。

 数年前にお隣の別荘の軒下に、卵形で50センチほどのキイロスズメバチの巣がぶら下がっているのに気がついた。電話で持ち主に知らせしたところ承知していて、冬までそっとしておきたいという。いつも屋根裏や壁の内側に作られた巣は取りにくい上に形も悪かったが、やっと希望が叶うと楽しみにしている様子だった。スズメバチの巣は塗料で塗り固めて、飾り物や縁起物として珍重する風習があるのだと知った。放置された巣を取らないで残しておけば、毎年連続してその周辺に作る習性もあるようだ。家の庇の下に、連続十数年も巣を懸けていた例もあるので、家人とキイロスズメバチの間に信頼関係が成り立っている場合もあるようだ。

 デッキに来たキイロスズメバチは、最初はただただ危険な存在と思っていたが、そのうち立ち去ることに気がついて、以後はそっとしておくことにしている。また犬との散歩ではよくスズメバチと遭遇する。遠くまで出かけていた働き蜂が、秋口の冷え込みでその日のうちに帰れず、朝方に飛べずに道路を這っていたり、夕方、羽音高くこちらに一直線に飛んで来るのを見て本能的に身構えると、ぶつかったり刺されることもなく、一瞬のうちにすれ違ったりする。長い棒で巣をつついたら、棒先から一直線に飛んで来て刺されたという例もあるので、驚かせたり、危害を加えようとしなければ、本来は人を襲ったりしないと知った。

 スズメバチは、世界に4属61種、日本には3属16種がいるとのこと。日本にいる3属は、スズメバチ属、クロスズメバチ属とホオナガスズメバチ属である。下草刈り、樹木の伐採、巣の駆除経験が多い別荘管理会社の人の話では、スズメバチ属では南方系のツマグロスズメバチ以外は、大きさ順にオオスズメバチ、ヒメスズメバチ、コガタスズメバチ、モンスズメバチ、チャイロスズメバチ、キイロスズメバチ、クロスズメバチの全てを見たことがあると云っていた。

 いちばん強くて毒も多いオオスズメバチは、90%ほどが地中に巣を作るということでキノコ採りや木の伐採などで山に入り、知らずに巣に近づき過ぎた人が被害にあっている。この場合、いきなり刺したりすることはなくて、先ずは警戒役のオオスズメバチが上顎と下顎を噛み合わせて、カチカチカチという威嚇音を発するというので、気がつかないで刺されてしまったとも云えそうだ。

 体長12ミリほど一番小さいクロスズメバチは、家のデッキでもよく見かける。長野県伊那地方のハチ追いの愛好会では、毎年秋に羽化したクロスズメバチの女王蜂を保護増殖の目的で越冬させ、4月下旬に野山に放しているという新聞報道があった。それによると、冷蔵庫で温度管理して越冬させていたのを土の中での自然越冬に戻したところ、今までの10倍、会員1人あたり100匹ずつ冬眠状態の女王蜂を配布できたという。

 スズメバチがカブトムシなどと、クヌギなどの樹液を吸っているのは子供の頃から見て知っていたが、狩をした獲物を食べることが出来ないとは知らなかった。それは胸部に付いた腹部の第一節と腹部の二節の間が針のように細く、固形食物はそこを通って消化器にいけないことが理由なのだそうだ。それで女王蜂や働き蜂のエネルギー源は、樹液や花の蜜、果実の汁、ある種のきのこなどもあるが、大部分は幼虫が口から吐き出す唾液性の分泌液に依存しているとのこと。働き蜂は、昆虫を狩しては噛み砕いて小さな肉だんごにして幼虫に与え、その見返りに糖分とタンパク成分からなる栄養たっぷりのシロップをもらっているのだという。

 セミを狩の主対象とするモンスズメバチもいるが、昆虫を餌としない例外はヒメスズメバチである。アシナガバチの巣だけを襲い、幼虫とさなぎの体液を吸い取って自分の巣に帰り、口移しで女王蜂と幼虫やさなぎに与える。なおスズメバチは、悪天候が続いて餌がとれない場合などは、巣内の幼虫やさなぎを生きた備蓄食料としていて体液を吸い取ってしまうのだそうだ。

 幼虫が働き蜂になれば、女王蜂は卵を産むのに専念するので家族が増え、大きな巣が必要になる。キイロスズメバチなどでは、こうして引越しする大きくて新しい巣が、従来の目立たない閉鎖空間から開放空間に作られるので人目に触れることになる。キイロスズメバチの場合、地上15m位のカラマツの枝や幹、家の軒や庇部分などの開放空間に架けられているのをよく目にする。また適応性もあって、道路脇のシートで覆われた工事資材に巣が作られていたのを知らずに、全校マラソンで通りかかった児童たちが次々と刺されたという報道もあった。

 昆虫が少なくなる時期、特に最強のオオスズメバチは、攻撃フェロモンを放出して仲間を呼び集め、他のスズメバチやミツバチの巣を襲う習性がある。幼虫やさなぎを一匹残らず持ち帰り、自分の巣の幼虫やさなぎの餌にしてしまう、まるで凶悪な集団強盗のような存在である。毎年お隣のデッキ屋根下にキイロスズメバチが巣を架け、巣穴を出入りしたり巣の上を歩き回っているが、一匹も見当たらなくなった年があった。巣に大きな穴が開いていたので、犯人はオオスズメバチではないかと想像している。

 秋、スズメバチの巣の中では、たくさんの未婚の女王蜂と雄蜂が育っている。一足先に成虫になった雄蜂は巣立って、違う巣から飛び立つ女王蜂を待ちかまえて結婚する。受精した新しい女王蜂は、土中や朽木の中などで越冬し、春、一匹だけで巣作りをして卵を産み、狩をして肉だんごを作って幼虫を育てる。なお越冬後のチャイロスズメバチの女王蜂は、春先にすでに営巣しているキイロスズメバチやモンスズメバチの巣に乗り込んで、その女王蜂を殺して巣を乗っ取り、そこの働き蜂に自分の産んだ卵と幼虫の世話や巣作りをさせる何とも驚く習性のハチなのだそうだ。

 秋も深まり、未婚の女王蜂と雄蜂が巣立ったあと、幼虫からシロップをもらえなくなった働き蜂が哀れで、デッキテーブルの上にハチミツを脱脂綿に浸した容器を置いてみた。圧倒的に多くやって来たのはキイロスズメバチで、毒針のある腹先を震わせながら、短くて1分、長い場合は3分くらい夢中で飲んでいた。容器が一つの場合仲良く飲んでいることもあるが、取っ組み合いの喧嘩をすることもあったので容器を2つにした。多い時は5匹くらい集まることもあった。この場合、先に来て飲んでいた方が飛び去って争いを避けているようにも思われた。飛び去る方向はおおよそ10から11時、13から14時まれに9時や3時の方向もあったが、それぞれ巣の違う蜂だと思われた。

 窓ガラスごしに観察している間、数回ほどオオスズメバチがやって来た。体長5㎝ほどあるオオスズメバチが来ると、3cmくらいのキイロスズメバチは慌てふためくように飛び立つ。そのまま飛び去るハチもいたが、まだ飲み足りないハチはオオスズメバチが落ち着いて飲んでいると舞い戻って、同じ容器内のハチミツ水を吸っていた。

 女王が一代で築いた王国で、次の世代を引き継ぐ新女王と雄蜂が巣立った後は働き蜂たちも死んで廃墟となり、二度と使われることはない。越冬した新女王が、[たった一匹だけの巣作りから始めて一代限りの王国を作る。知ってみれば愛すべき身近な隣人たちに、ロマンにも似た親近感を覚えている。

【参考文献】
松浦誠「スズメバチはなぜ刺すか」北海道大学図書刊行会
小野正人「スズメバチの科学」海游社
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星めぐりの歌

2016-06-03 06:12:53 | 日記
 この歌を初めて聞いたのは、田中裕子さんと今は亡き高倉健さんが夫婦役を演じた映画「あなたへ」を見た時で、大分県竹田の岡城址で歌っていたシーンは印象深く残っている。その歌が宮沢賢治・作詞作曲だと知ったのは、その後、隣・原村の八ヶ岳自然文化園のプラネタリウム館で見た、加賀谷穣(ユタカ)・玲兄弟の映像と音楽による「銀河鉄道の夜」という映画だった。

 そのプラネタリウム映画には、歌手として井上ヒロコさんとMIGAさんの2人と、岩手出身の声優・桑島法子さんが朗読で参加していた。井上ヒロコさんの歌う「One night」も気に入ったが、MIGAさんの「星めぐりの歌」と「賛美歌320番・主よみもとに近づかん」には、心が震えるほど感動した。

 同じ映像と音楽を家で楽しみたくて、アスク社の「銀河鉄道の夜PREMIUM DVD BOX」を購入した。その中には本編DVDに加えて、銀河鉄道の夜サウンドトラックCD、加賀谷穣さんと宮沢賢治の弟・宮沢清六さんの孫宮沢和樹さん及び桑島法子さんとの対談DVD、そして桑島法子さんによる銀河鉄道の夜・全編朗読DVDと本が含まれていた。

 ジョバンニが、川で行方不明になったカムパネルラと乗った銀河鉄道。それは亡くなった人が、天国に行くために乗る銀河空間を走る汽車だった。この物語と星めぐりの歌は、宮沢賢治か子供の頃に経験した原体験から創作されたのだろうか?遠い昔に読んでよくわからなかったこの物語も、今は理解できるような気がしている。美しい映像と音楽、そして歌や朗読で構成されたこのプラネタリウム映画「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治の世界の忠実な表現を試みた、今日の最高傑作ではないかと思う。

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あおいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて
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