八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

バスタ新宿

2016-04-29 06:48:51 | 日記
 それは2016年4月4日、JR新宿駅南口にオープンしたミライナタワー内にできたバスターミナルの愛称である。正式名称は新宿南口交通ターミナルで従来のバスターミナルは西口にあったが、同駅周辺19ヶ所に分散していたバス乗り場がここに集約され、青森県から福岡県まで39都府県と新宿を結ぶ。乗り入れるバス事業者数は118社、1日の発着便数は最大1,625便もある日本最大の高速バスターミナルとなった。私は東京方面に行く際、JRよりも安くて便利な高速バスをよく利用しているが、先日、バスタ新宿を利用する機会があったので書いてみた。

 今回は帰路に地下鉄大江戸線新宿駅からの利用だったので、地下連絡通路からJR新宿駅南口の地上に出て、横断歩道を渡りミライナタワービルの直通エスカレーターで4階のバスタ新宿に行った。しかしJR新宿駅・新南改札口からは、直接エレベーターやエスカレーター数分でバスタ新宿の4階に行ける。バスタ新宿の2階はJR新南口となり、3階は高速バス降車場3ヶ所、タクシー乗降車場、新宿区のコミュニティバス乗降車場、東京都観光案内所がある。

 4階の高速バスの発車場は、一辺が百メートルほどの吹き抜け回廊状で、内側オープンスペースにはバス待機場と国道20号線と4階を行き来できる出入り口がある。回廊に沿って一辺毎に夫々A(水色)、B(赤)、C(黄緑)、D(紫)と色分けされた12ヶ所の乗車場と通路、そして通路の建物窓側には長いベンチが置かれている。そしてB乗車場に面した室内には、待合ベンチ、飲料自販機、インフォメーションとハイウェイバスドットコム・高速バスネット・発車オーライネット各予約システムとリムジンに対応した有人発券カウンターと自動発券機が置かれている。

 各発車場エリアの発車便はおおよそ次のように集約されているが、発車エリアの混雑具合や夜行便では発車場所が異なる場合がある。
Aエリア(A1~A3):空港リムジンバス、北関東、千葉、福島方面
Bエリア(B4~B6):箱根、静岡、山梨、中国、四国方面
Cエリア(C7~C9):北陸、長野、岐阜方面
Dエリア(D10~D12):仙台、名古屋、京都、大阪、小倉、博多方面

 そのA1からD12に建てられた12の案内ディスプレイには、発車するバスの利用高速道路、発車時刻、行き先、運行バス会社名等が表示されている。近いベンチに腰掛けてバスを待てばよいが、時間に余裕があればミライナタワー内の店での食事もよいだろう。首都東京の新名所になったバスタ新宿、利用する機会があるのは嬉しい。
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古文書に記された怪異な出来事

2016-04-22 06:56:18 | 日記
 私の住む別荘地帯の一角に、江戸時代に廃村になった稗之底(ひえのそこ)村跡がある。
その村跡に妻が短歌の友人と湧水場所の取材に行った時のことだ。苔むした石段があるのを見つけて登ってみると、ちょっとした平地に、刀の形が刻まれた高さ1メートルほどの三角形の自然石と2つの石祠があり、その前に立った瞬間、妻は毛穴の一つ一つに何かがサーツと入ってくるような、友人は鳥肌が立つような不思議な感触を覚えたのだという。

 それを聞いた私は、不思議に思って「町史」の中の廃村の記述を調べてみた。廃村の理由は、後に述べた理由の他に、水神社のあたりで、「白い鶏か白鷺のような鳥が屋根に登って人を脅したり、薄気味悪いことが重なった」というようなことが、古文書に記されているとあった。もう少し詳しいことが知りたくて、町の図書館で尋ねると、町史編纂などで歴史に詳しい古老の連絡先を教えてもらった。その人、有賀春博さん宅を尋ねると、稗之底村のことが書かれた「諏訪史跡要綱本郷村編」と「立沢村村誌」を見せてくれた。コピーさせてもらった中に記されていた怪異なることの記述部分は、以下のようなものだった。

一 稗之底村御高三十六石斗程御座候由右家村百六七十年斗以前(註:古文書の書かれた時期から逆算して1577~1587年)信長信玄公ト御戦之時分立退乙事村立沢村新田引越大破仕候
一 右之場所ヘ百拾年斗以前 寛永年中(註:1624~1643年)之頃百姓二三人立帰リ二三年罷在候所ニ長左衛門ト申者山王崎ト申神之木壱木伐リ申候得者小口依糊大分出其咎メ故カ鶏白鷺之様成化物ト成二三日之内ニ右之者兄弟被取殺其外病人多ク難儀仕候又同村百六七年以前正保年中(註:1644~1647年)之頃十月十日晩引越申候而 稗之底之儀者山化場ト被成申候御事

 ますます興味の湧いた私は次男を誘って、妻と友人が不思議な体験をした場所に行ってみた。稗之底村跡の湧水場所には、それまで何度か行ったことはあるが、その場所は全く気がつかなかった。埋もれかけた石段を見つけて三十段ほど登ると、赤松の巨木を背景に、石祠に挟まれた三角形の自然石があった。その後の調べで、そこは大先神社と呼ばれている場所で、稲倉魂命(うがのみたまのみこと)を祭神としていた稗之底村の産土神であった。その御神体は、高さ1メートルほどの三角形の自然石そのもので、不動明王が手にしているような剣が刻まれていた。石や巨木に神が宿るとして、当時の村人は社殿のない磐座(いわくら)を信仰していたのだと思う。なお稲倉魂命は、稲荷神社の祭神と同じで、五穀(米・麦・粟・きび・豆)をつかさどる神様でもある。

 稗之底村は、明暦年中(1655~1657年)に一時帰村した村人もいたが、寛文年中(1661~1672年)には完全な廃村になっている。廃村になったのは、収穫が満足に得られなかったことが第一の理由なのだろうが、薄気味悪い土地柄であったこともその理由ではなかったかと推測される。妻と友人が体験した不思議な感覚、残念ながら私と次男には同様の体験をすることはできなかったが、それは370年以上経た今でさえ、女性のように直感や感覚の優れた人や或いは逢魔が時であれば人に感じられることではないかと、当時の人々の怖れが信じられるような気持ちになっている。
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暮らしの中の温泉

2016-04-15 06:46:57 | 日記
 町内には温泉施設が5ヶ所あるが、もっぱら利用しているのは車で1分少々、同じ別荘地域内にある“鹿の湯”である。2015年が出来てから20周年というから、それは私が移り住んだ2年前にあたる。ベスト体重確認、気晴らしや気分転換での利用であるが、何よりも近いというのが良い。10時の開館に合わせて行けばほぼ一番乗りで、利用する1時間ほどの間の利用者は数人、私だけが独占のような日もある。

 地下1,400~1,700メートルの岩盤の裂け目から湧き出す、泉温39℃、PH7.1のミネラル分に富んだ療養泉である。利用する時は先ず、泡風呂とジェット風呂に分かれている麦飯石、トルマリン、六晶石の薬石風呂に浸かる。熱や摩擦でマイナスイオンが発生して身体の深層から暖まるという効能書きである。手摺に掴まり泡の蒸気を吸ったり、ジェット水流で腰や足裏をマッサージしたりしている。

 次は隣りにある源泉の静止風呂。緑色の源泉に浸かっているうちに、額に汗が浮かんでくる。この浴槽からは、雪の降った後に餌を探しに来た鹿を見かけることもある。汗が出てきたら、次のサウナに最低でも5分、身体全体から汗が噴出してくるまでいる。夏ならば水風呂に入るが、そうでなければ水風呂はパスして洗い場へ。髪と身体を洗ったら、露天風呂へ行く。ここも静止風呂と同じ源泉で、頭を石風呂の石に預けてゆったりと浸かる。展望はないが、真っ青な青空を見たり、冬でなければ石に腰掛けて陽光を浴びたりしている。

 その後、再び室内に戻り、シャワーを浴びる前にもう一度、静止風呂か薬石風呂に浸かる。風呂やサウナでしっかり汗が出ていれば、体重は入浴前より300グラムほど減っている。帰宅すると昼食、気分次第でノンアルコールビールを飲む。月に4~5回の利用であるが、暮らしの中に身近に温泉があるのは嬉しい。
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三本足の鹿

2016-04-08 06:38:45 | 日記
 私がその鹿を知ったのは、妻から聞いてのことだった。2014年の晩秋、わが家から車でおよそ5分、違う別荘区の次男宅近くで夕方、小鹿を連れ右前足が半分から下がない鹿に遭遇し、妻と当時小学生の孫は立ち去るまで動けなかったという。生息地と隣り合わせのここ富士見高原別荘地では、雪の降った後などに鹿を見かけるのは日常化している。足の悪い鹿は私も何度か見かけてはいるが、罠から逃れるためだったのであろう三本足の鹿の存在を知ったのは初めてのことだった。

 冬を越すのは到底無理だと思っていたが、先日次男から、あの鹿が、自分の子とおそらくそうではない三本足の小鹿を連れているのを自宅付近で見たと聞いた。生き延びていたことに加えて、同じ境遇の小鹿を連れていたことには更に驚いた。健常な鹿なら、十数頭の群れで移動しているが、体力のない小鹿を連れた母鹿や怪我をしている母鹿は、数頭の身内だけで行動していることが多い。冬期には利用されない両隣の別荘床下で、夜を過ごしているのを見たこともある。また別荘地区に隣接した林で、大きく伸ばしたモミの枝の下に、十頭ほどのねぐら跡を見たこともある。

 さて三本足の鹿はどのように歩くのだろう?自分の左手と両足をその鹿に見立て這って歩いてみた。まず右足を前に進めた後に、左手を前に移動して左足を前に進める。一、二、三と三拍子を取るようにすると、歩行することができた。早足や走るのは無理だが、慣れればそれなりに歩行ができる。また両足を曲げて座ることと立ち上がることも、何とかできることがわかった。それでも片足の無い鹿が生きていくのは大変だ。長野県では増え過ぎで狩猟期の対象になっているが、無事で天寿を全うして欲しいと願わずにはいられない。
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ザ・トウキョウ・タワーズ

2016-04-01 06:47:50 | 日記
 それは首都圏で初めての大規模再開発事業で、2008年1月に完成した2棟の超高層マンションの名称である。東京都中央区勝どきに建てられたこのマンションは、地下2階、地上58階、最高階の高さは193.5m、エレベーター42基、賃貸を含む総戸数は2,794戸、ひとつの団地としては、日本一の戸数を有している。

 先日、そこに住む知人の家を訪ねる機会があった。37階の部屋は北東に面していて、ベランダからは、隅田川、浜離宮庭園、お台場海浜公園、レインボーブリッジを見渡すことができ、ここからの展望は、春夏秋冬、飽きることはないと思われた。眼下には月島、晴海、豊洲、有明などの運河が入り組んでいるが、ウォーターフロント再開発事業地として開発と整備が進んだ様相を呈していた。

 建物は四角形の回状で、内面に空間がある。一つの階は24戸ほど、各戸には名札も掛けられてないので案内なくしては、エレベーターの乗り口からして迷ってしまうほどだった。東日本大震災の際の地震の揺れは、最先端の耐震設計によってさほど揺れなかったと聞いた。被災地では、津波を避けるための高台移転が進んでいるが、ここでは上層階ほどその心配はなくて安全と思われた。

 世界には高層マンションがどのくらい建てられているのだろう?興味に駆られて、ウィキペデアで調べてみた。すると高さ250メートル以上の国別建築棟数は、インド(ムンバイ)31、アラブ首長国連邦(ドバイ)22、韓国9、香港4、アメリカ3、オーストラリア2、ロシア2棟であった。世界一は2016年完成予定のインドタワー(ムンバイ)の707メートル・126階、二位はアラブ首長国連邦のペントミニアム(ドバイ)516メートル・122階であった。

 インドのムンバイは、インド西海岸マハ-ラーシュトラ州の州都で人口2,100万人。一方ドバイは、アラビア半島ペルシャ湾に位置するアラブ首長国の一つドバイ国の首都で、人口244万人。ドバイの砂漠環境を除いては、インド、香港、韓国などは人口密度の高さから超高層マンションの必要性が理解できる。

 日本の場合、2009年3月に完成した大阪のザ・キタハマの54階・高さ309.4メートルが最高であった。しかし日本では都会に老朽化した木造建築が多く存在することなどから、再開発事業や災害予防への対応の必要性もある。それに人は、高所からの展望に憧れる傾向もあるので、超高層マンションの需要は高まることが予想される。
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