八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

桜への思い(佐藤良二さんのこと)

2016-03-25 06:36:32 | 日記
 各地で桜の便りが聞かれる季節になると、私はきまって桜にまつわる映画を懐かしく思い出す。それは千葉市に住んでいる頃の1994年4月、東京・有楽町で「さくら」という映画を観た。その映画は、当時、名古屋から金沢までの国鉄バス・名金急行線の車掌をしながら、路線沿いに生涯で約2,000本の桜を植えた“佐藤良二”さんの偉業を紹介したものであった。原作は佐藤良二さんの残した手記と取材から、中村儀朋さんという人が書き上げた「さくら道」という小説である。

 給料と自分の時間のほとんどを『太平洋と日本海を桜で結ぼう』という自らがたてた夢の実現に費やし、47歳でガンのために一生を終えた佐藤良二さんの感動的な生涯。篠田三郎さんと今は亡き田中好子さんが息の合った夫婦役を演じていた。貧しいながらも人の喜ぶことを心掛けて一生を終えた父親の存在、御母衣ダム建設に伴い移植された故郷荘川桜老木への畏敬の念、若き日の武者小路実篤への薫陶と出会い、移植の指導をした大学教授との出会い、実生から育てた荘川桜の苗木の植樹、周囲の反感から理解と協力者が次第に増えていく夢の実現段階。傍観者の立場で観ていると、あらかじめ使命が意図されていたような生涯のように思えた。

 この世に人として生まれた使命とはいったい何?また人はどのようにしてその使命を知るのだろう?彼の生涯からは、その使命を知るまでの伏線と出会いがあったように思う。平凡な一生を終える人とそうでない人との違いは、どこにあるのだろうか?移り住んだ当地でも、白銀の山と青空を背景にした美しい桜の季節がもうすぐやって来る。桜に対しては、人それぞれに特別な思い入れがあるように私は思う。
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ヒトはイヌとハエに聞け

2016-03-18 07:09:57 | 日記
 ここ八ヶ岳山麓で鳥や動物たちと身近に暮らすようになって感じていることがある。それは危険や繁殖時期に鳴き声を出すこと以外は、彼らはテレパシーのようなものでコミュニケーションをとっているということ。私との関係では、危害を加える気持ちはないのでその程度は彼らにも伝わっているのではないかと感じている。そんな折り、J.アレン.ブーン著、上野圭一訳による表題の本の存在を知った。さっそくアマゾンから購入して読んでみた。

 J.アレン.ブーンは、アメリカに生まれ、新聞記者として大成功を収めた後、映画界に移り、プロデューサーとして活躍した。ハリウッドの百万ドル俳優犬・ストロングハートとの共同生活をキッカケに、1940年代から、ヒトは全生物と心を通わせることができるとして、「異種間コンタクトの研究と実践」をライフワークとした。以下箇条書き的に、書かれていた趣旨を紹介する。

〇あらゆる生き物、全ての命には、同じ一つの無限の知性が流れている。どんな姿をした生き物でも、人と会った生き物は全て、宇宙の大いなる「全一性」の中で意思の疎通が可能になる。

〇先住民は動物たちと心を通わせるコツを知っている。そのコツを掴んでしまえば、ヒトと動物の垣根がなくなり心を通わせることができる。動物は人間がその動物に対して、どう思っているか感じ取ることができる。アメリカ先住民の精神的リズム、霊的リズムに合わせると「大霊」に通じていることを理解できる。深い瞑想状態に入ることによって、「大霊」から色々なことを学んでいる。

〇五感が感じる全ての対象の背後には、人間であれ、動物であれ、山川草木であれ、その対象物が存在しているように見えるまさにその場所で、精神的かつ霊的な「事実」が息づいている。その精神的、霊的事実は、普通の人間の視覚では認識できないが、澄みきった「内部の目」には、いつでもはっきりと映っている。アメリカ先住民は、その高貴な力による認識を、「心で見る」「心で聞く」「心で知る」と称していた。動物を自分と同じ精神的、霊的なレベルの存在と見なすアメリカ先住民やベドウィン(アラブ系遊牧民)の思想は、決して独創的なものでも新しいものでもない。

〇古代の賢人たちがはるか昔に指摘していた能力、頭と心を正しく調律さえすれば、いつでもあらゆる生命体との交信が可能になる。それは生き物全てに生まれつき備わっている、即ち声も仕草も交換することなく、夫々が完全に相手の心を理解できるという能
力である。

〇全ての生き物は外観に関わりなく「善」を秘めていて、敬意、共感、優しさ、そして愛を込めた対応によってそれを表現したがっている。従って、想念、品性、目的、行動をできるだけ不純なものから遠ざけ、何をする時も自己の最善のものを相手の最善のものと調和させようと心掛けていくにつれて、お互いの種につきまとっていた窮屈な境界を越えることが楽になっていく。

〇相手に向かって発信した「想念」という物質は、どんな小さなものでも、それに見合った物質的な作用となってブーメランのように正確に返ってくる。自己の正体を、自己の理念、感情、感覚を発信機から出る電波のように周囲に撒き散らしている。相手との関係を健全にものに保つためには、自分を厳しく律して品性を高める以外に選択の余地がない。

〇知性の高い生き物が人に何かを伝えようとする時には、特異的な行動をする。互いに信頼や尊敬や敬愛で培われた存在であれば、その云わんとしていることが突然、啓示を受けたように理解できるようになる。ハエのフレディーはJ.アレンに、精神的・霊的世界の探求者の一人であるヨブのことを記した聖書ヨブ記22章28節を読むように伝えた。そこに書かれていたのは、「あなたが神意によってあることを思えば、それは思ったように成就し、あなたが歩む道には光が輝くだろう」
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写経と安来節

2016-03-11 06:10:31 | 日記
 これらは、私が数日間隔で続けている楽しみのようなものである。先生について学んでいる訳ではないので上達は僅かずつだが、することに喜びや目的を感じている。写経は2013年1月19日から初めて、2016年2月28日で700日になった。いっぽう安来節は43日目、2015年10月15日、シニア大学の旅行で宴会デビューして以来、体得した演芸を大切に思う気持ちがあり、写経に合わせて練習を続けている。

 写経は毛筆で字を書きたいという思いから始めたが、鉛筆やボールペン字とは違って、漢字の一画一画に美しく書くための基本があり、縦横の並び、間隔と大きさ、それに書体の流れとリズムが大切だと知った。今日書いた作品と一週間後のそれとを比較しても、出来栄えの差はわからないが、50日、100日後というように比較すると違いは明らかだ。また一見してよく書けているようでも、276文字の一字一字を詳しく見ると、まだ書ききれていない字が多く存在する。一文字を書き終えるまで、気を抜かないことが大切だ。

 安来節は、シニア大学旅行の宴会披露を目的にDVDを購入し、人前で披露するからには盆踊りのように他人の手振り身振りを真似る訳にはいかないと、ある程度の覚悟を持って練習した。それが宴会デビューできた理由だと思う。2回続けて踊ると約7分、汗が出てくるほどだが、普段と違う動作で足腰の鍛錬にもなり、健康にもよいと思っている。一つ一つの動作の意味を自分なりに考え、動作を工夫したり、踊り全体の流れや見せ場を意識して練習するのも楽しい。

 写経と安来節、何の脈絡のないことだが、上達を目指して一人でも続けられるのが嬉しい。心身の許す限り長く続けたいと思っている。
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縄文人の見た星空

2016-03-04 07:07:55 | 日記
 星や星座に興味を持ったのは、朝5時、犬と出かける散歩で、街灯もなく澄みきった八ヶ岳山麓の空に浮かぶ星の名前を、知りたいと思ったのがキッカケだった。星座の本と星座観察盤を購入し、そこに記されていた一等星同士を結んだ形から覚えた。それは「春の大曲線」、「春の大三角」、「夏の大三角」、「ペガサスの大四辺形」、「冬の大三角」、「冬の大六角」、「ししの大鎌」などである。

 こうして星座の中の一等星21個のうち、当地で見られる15個を覚えた。その数は季節によっても違うが、シリウス、プロキオン、ボルックス、カペラ、アルデバラン、リゲル、ベテルギウス、アルクトウルス、スピカ、レグルス、アルタイル、ベガ、デネブ、フォーマルハウト、アンタレスである。それからその延長で、三ツ星、スバル、北斗七星、カシオペア座、さそり座など特徴的な星座を覚えた。

 現代の日本で南十字星を見るには、沖縄以南まで行かないと見られないが、ここ八ヶ岳山麓でも縄文人たちは見ていたことを知った。星座ソフトを使い当地の緯度(東経138°、北緯35.5°)を入力し、20時に南天に見える星座の年代をパソコン画面上で探ってみた。すると当地では、西暦200年を過去に遡れば、現在見ることのできない6個の一等星、即ちアケルナル(エリダヌス座)、カノープス(りゅうこつ座)、リギル、ハダル(ケンタウルス座)、クルックス、ベクルックス(南十字星)を見ることができたと判明した。これは自転している地球の地軸が、太陽と月の引力により23.4度傾いているのと、25,776年周期で振れる歳差運動(さいさうんどう)によるものだそうだ。

 5,000年も前のメソポタミア地方で、目ぼしい星々を目線で結び、動物や人の絵を想像していたことに始まる星座。それは時刻を測り、季節の移り変わりを知り、星占いに欠かせないものであったが、現代に生きる私たちにとっても夢とロマンを感じさせてくれる。太古の人々は、南天に輝く南十字星をどんな思いで見ていたのだろうか?
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