八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

諏訪大社式年造営御柱大祭

2016-01-29 06:39:58 | 日記
 今年の四月と五月、千二百年以上前から諏訪地方に伝わる諏訪大社の御柱祭が行われる。この祭りの起源は、桓武天皇の時代、蝦夷征伐に諏訪大明神を信奉する武士団の武勲が高かったことから、永代にわたり信濃国中の税と労役を使い奉祀神の造営をしてもよいという、天皇の命に由来していると伝えられている。満六年ごとに行われるのは、坂上田村麻呂に従い二度従軍して凱旋した翌年が、寅年と申年だったことに起因する。

 桓武天皇の時代に始まったとされるこの御柱祭だが、実際はもっと古くから諏訪地方で行われていたと考えられている。それは巨石や巨木に、神が宿るとする未開の民が今に伝える信仰に近いことから、柳田国男は、古代日本人の信仰の原点は、諏訪神社に伝わるミシャグジ(石神)にヒントがあるのではないかと考えた。地元の歴史家たちによれば、巨木を山から伐り出して来て神社の四隅に建てるのは、そこが神様の宿る神聖な場所であることを、遠くからでも人に知らしめるためのものだと述べている。

 江戸時代までは、御柱に人が乗ったり子供や女性が綱を曳いたりすることは、罰あたりのこととして、厳重な警護のもとに堅く戒められていた。明治五年、起源や歴史の異なる上社と下社が統合されて諏訪神社となり、更に昭和二十三年に全国諏訪神社の総本山ともいうべき諏訪大社となってからは、この祭りは次第に見世物的な色彩が強くなり今日に至っている。

 この大祭が終っても、諏訪地方六市町村では、夏から秋にかけてそれぞれの集落の中の神社に、子供たちが御柱を曳き、大人たちが協力して境内に御柱を建てる小宮祭が行われる。この一年は、老いも若きも、御柱祭一色に染まる年になっている。木遣りを合図に、てこ衆の“よいさ、よいさ”の掛け声に心を併せて綱を曳く。それは諏訪地方の住民が誇りと連帯で繋がる伝統でもあるのだ。参加するる地元集落は夫々に独自の法被をあつらえているが、それを持たない別荘地区の私は、町共通の法被を着て曳き子の一人として参加させてもらうことにしよう。

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脱原発とエコライフ

2016-01-22 06:44:25 | 日記
 わが家がIHクッキングヒーターとエコキュート導入を機に、時間帯別電気料金システムを契約したのは東日本大震災があった前の年の2010年12月だった。契約前の月の電気料金単価は、料金を使用電気量で割って22.79円/kwhと計算された。契約後始めての月の電気料金単価は、デイタイム(9~17時)30.94円/kwh、ホームタイム(7~9時と17~23時)20.74円kwh、ナイトタイム(23~7時)8.84円であった。

 このナイトタイム時間内に、ヒートポンプで湯を沸かして370リットルのタンクに貯蔵し、炊事や風呂の給湯に使用する。そして7時までに朝食、掃除、洗濯を済ませれば、電気料金を安くできるという思惑が契約した理由だった。早朝5時に犬との散歩で始まるライフスタイルだったので、ナイトタイムの利用に際して苦になることはなかった。数年前からは、体重抑制と健康維持に、朝昼2食で十分と判明して続けている。

 2016年1月分の検針票で、時間帯別使用比率を求めると、デイタイム11.8%、ホームタイム38.2%、ナイトタイム50.0%となり、安い時間帯を多用するライフスタイルが定着していた。しかし原発に代わる太陽光発電など代替エネルギー購入費用を国民が負担する制度(代替エネルギー促進賦課金)の上乗せにより、電気料金は年々増加していることも判明した。例えばわが家の場合、2011年と2015年の1年間の電気使用量と金額は、夫々次のようであった。6,023kwh、123,028円に対し、6,201kwh、151,484円。つまり4年経過後には、年間28,461円、支払いが増えていた。

 先日、中部電力から2016年4月からの新しい料金メニューの案内があった。それによると、ナイトタイム時間帯が8時間から10時間に増え、その3通りのメニューから選択できるようになっていた。妻に聞くと、ナイトタイム時間帯で出来ない部分をホームタイム時間帯で補っていた経緯から、9時までナイトタイムが増えるメニューを選択した。昼食の下ごしらえをしたり、パイやクッキーを焼いたり、洗濯を複数回することなどに、増える2時間を充てたいということだった。

 国は原発廃炉の決断をしなかったが、上昇している電気料金を抑制するには、家庭での節電取り組みが大切だと思う。わが家では、長時間使用の照明には、既に蛍光灯からLEDに変更済みだが、昨年11月に取り付けた水道管凍結防止ヒーターの節電器は、節電と料金削減に大きな効果があった。今後も楽しみながら、節電とエコな生活に取り組んでいくことにしよう。月々の検針票の数字で、その結果が見えるのは面白い。
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思い出の北岳と間ノ岳(あいのだけ)

2016-01-15 07:13:56 | 日記
1・1974年8月14~17日
2・日 程
 8/14 広河原(14:10)→大樺沢(16:50)
 8/15 大樺沢(7:25)→小太郎尾根(10:20→11:10)→肩ノ小屋 (1:45)
 8/16 肩ノ小屋→北岳(6:50)→間ノ岳(9:35)→肩ノ小屋
8/17 肩ノ小屋(5:55)→白根御池(7:25→8:50)→広河原(10:50)
3・記 録
 会社山岳部の仲間達と早朝に大船駅を出発し、新宿7時30分発の急行で甲府に向かう。甲府駅で約2時間バス待ちをした後、2時間ほど揺られて広河原に到着する。いよいよここから最初の幕営地大樺沢に向け出発だ。山への期待を込めて黙々と渓流沿いの道を歩む。休憩のたび手拭に浸す水の冷たさが心地良い。そんな休憩のとき、夏休みで帰省中の山仲間が甲府駅で差し入れてくれた白桃のなんと旨かったことか。およそ3時間の後、霧の大樺沢に到着。直ちに分担して幕営と夕食の準備にかかる。私は手の凍り付くような雪渓の滴を気長に集めて、炊事用とする。

 翌朝早々にテントを撤収し、北岳肩ノ小屋を目指して出発。雲一つない青空の下、色とりどりの草花の咲く中を歩む。ダケカンバの林を過ぎると、正面にそびえ立つ北岳が見える。喘ぎ喘ぎようやく小太郎尾根に出て小休止。見晴らしの良いこの尾根からは、どっしりした仙丈ヶ岳、尾根続きの甲斐駒ヶ岳がすぐ目の前に見える。朝の出発から4時間、汗だらけになって肩ノ小屋の幕営地に着く。テントを張っていると他のパーティも続々と到着、色とりどりのテントが青空に映えて美しい。

 ここでは急坂を6~7分下った所の、地中から湧き出るチョロチョロ水が唯一の水源だ。2リットルのポリタンを満たすのにたっぷり5分はかかったろうか。2時間近く順番を待つ間に夕暮れとなり、5分おきに位に下から冷たい霧と谷風が上がってくる。震えながら冷たい水を確保し、15分ほど息を切らして急坂を登る。待ちかねた炊事当番が、テントの中で大急ぎで夕食を作る。腹の膨れた夕食後の楽しいひととき、ローソクと懐中電灯のあかりの中で話がはずみ、歌声はいつまでも尽きない。

 朝、太陽が雲の中からまるでスローモーション映画のように昇ってくる。富士山の5合目あたりにキラキラと灯りが見える以外、雲のショールをまとった青黒い山々は、まだひっそりと眠っている。7時少し前、朝日の眩しい北岳頂上に立つ。3,192メートル、日本第二の高峰-そんな威圧感を少しも感じさせないにぎやかな山頂である。周囲の山々を見渡して小休止のあと急な岩場の道を下ると、北岳稜線小屋から中白峰のかかりまでは見晴らしの良い尾根道だ。シナノキンバイやミヤマシオガマがいたるところに咲いている。ハイマツの間の道をたどり、3,052メートルの中白峰の山頂に至る。ここからは岩峰の間の道を歩み、9時半過ぎ3,189メートルの間ノ岳に到着。

 3日続きの快晴、日差しは強いが少しも暑さは感じない。頂上の人混みを離れて大休止する。はるか彼方に北岳が見える。あんなに遠くから歩いてきたのか、そんな疑念を感じさせるほど山は小さく見える。見下ろせば吸い込まれそうな緑のスロープ、涌き上がる霧もここまでは届かず、はるか下を流れて行く。気流に乗って、私たちの作った紙飛行機がいつまでも舞っている。見つめる他のパーティから思わず歓声が上がる。青緑色に霞む山々、きらめく太陽の下の昼食、思いのままに過ごした2時間に私たちは大満足して帰路につく。

 稜線小屋から八本歯に至る帰りの道は、ハイマツと美しいお花畑の道だ。3時少し前に、幕営地に到着、今日も小屋とテント場は満員の盛況だ。広い台地のそこここのケルンが金色に染まり、やがて長い影を作り始める。夕食の前、小屋で買い求めた1ヶ350円の缶ビールで先ずは乾杯。グィーと飲み干すと、はや疲れは消え去っている。夜、風が出たが今宵も満天下の星が美しい。いよいよ明日は下山か。なごり惜しさと人恋しさの入り交じった気持ちでシェラフに潜り込む。他のテントからはまだ歌声が聞こえて来る。

 朝6時前出発、曇り、風が冷たく寒い。長い長い下り、太陽の見えぬ空がいっそう道のりを遠く感じさせる。急坂を2時間あまり転がるように下って白根御池で朝食をとる。ロマンチックな期待を見事に裏切った泥たまりの御池をあとに、更に2時間下りに下ってようやく広河原に到着。苦しかったこと、楽しかったこと、今はみな忘れ難い思い出になって、次から次へとよみがえってくる。あの空の青さ、青く遠く霞む山々、そしてどこまでも続く尾根の向こうに、あの紙飛行機がゆるやかに高く低く舞っている。
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水道管凍結防止ヒーターの節電

2016-01-08 06:36:49 | 日記
 冬期の気温が0度を下回る標高や緯度の高い地域では、屋外水道管の凍結を防ぐ目的で水道管にヒーターを巻いて加温している家庭が多い。標高1200mほどあるわが家でも、11月から翌年の4月くらいまでは、ヒータープラグを電源コンセントに差し込み凍結を防いでいる。こうしなければ、凍結して蛇口から水が出なくなるし、最悪は凍結した氷の膨張で水道管を破裂させるという大事に至る。

 わが家の水道管凍結防止には、7系統の配管12ヶ所にヒーターが入っている構造だが、月別電力使用量や料金を比較してみて驚いた。水道管凍結防止ヒーターと床暖房用ボイラーの消費電力を含めた冬期の電気使用量は、5月から10月に比べ月平均400kwhほど多くなっていた。そういうものなのかと思っていたら、偶然見ていたテレビで凍結防止ヒーターの節電器(Newセーブ90)を紹介していたので、アマゾンから購入して11月下旬に取り付けてみた。

 取り付けてからこのほどようやく去年の同時期と比較できる期間が経過したので、同月分の電気使用量を比較すると、夫々951kwhと638kwhであった。差し引き313kwhの節電で、金額にすると9,394円の電気料金を減らすことができた。これまでの暖冬を勘案しても、購入に充てた費用およそ3万円は、この冬だけで十分に回収できそうだ。
 
 従来の水道管凍結防止ヒーターは、水道管温度が6±3℃になるとON、16±3℃になるとOFFになる温度制御になっていることを知った。その結果、冬期は1日中ほとんどヒーターが通電状態になっていたといえる。これに対しこちらは、外気温、風速、日照の変化と、断熱材を巻いた水道管温度の相関関係を前もって実験で把握し、水道管温度を7℃前後で制御するFTC比例制御と呼ばれる回路が組み込まれている。外気温が0℃以下になっても水道管温度が7℃以下にならないと通電しないのと、7℃を維持するためのこまめに通電ON(赤く点灯)、OFFできることが、高い節電効果の得られる理由と考えられる。

 この節電器は、外気温、風速、日照センサーを内含していて、従来の水道管凍結防止ヒーターの差し込みプラグに繋ぐだけ。季節ごとに外す必要もなく、十年ほどは使用できるという。メーカー資料を読むと、1994年、省エネ大賞と資源エネルギー庁長官賞を受賞した製品であった。発想の転換で商品化されたこの製品が、茅野市にある地元企業が開発・販売していると知り嬉しくなった。知るのが遅かったとはいえ、取り付けているだけで得をする優れモノを見つけた。
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中庸(ちゅうよう)の波動

2016-01-01 07:36:41 | 日記
 全ての物質は、プラスとマイナスの振動と電磁波とは異なる固有の波動を持っているそうだ。人に於いては人という物質の中に、“オーラ”とか“気”とか“後光”と呼ばれる波動のエネルギーが存在しているという。宇宙とも繋がるその波動を自在にコントロールすることで、空中から物を出したり消し去ったり、移動、透視、念写、テレパシーや病人を治したりも出来る超能力者の存在は、昔から知られていた。

 また人に於ける病気とは、その波動がプラスマイナスのどちらかに偏った時に発病するという。今日ではその波動を電気的に増幅して、がん細胞などの早期発見に役立てているのがMRIという医療機器である。人が病気に罹らないようにするには、安全な食物や水などを摂取することの他に、怒り、心配、悲しみ、ストレスなど偏りのない心の持ちようが、自然治癒力や免疫力を高める上でも大切な要件となる。

 そう考えて見た時、現代に住む私たちは、中庸を忘れた生き方をしている。自分だけ良ければ、自分の会社、自分の国・・・共生よりも自己利益の最優先、歯止めとモラルのないアメリカ型の競争社会は、結局、貧困や不平不満からくる殺人やテロや戦争をもたらしている。

 地震はプレートの歪みがゼロに戻ろうとする反動で生じるものだし、異常気象も二酸化炭素増加による温度上昇によって偏西風や海流が変化したことで起きている。それは46億年かけて地球が培ってきた平衡状態からのズレを、元の状態に戻そうという地球自身の自然治癒力ということもできる。

 明らかになったこともあれば、科学ではまだ解明されていない未知の分野もある。この宇宙には、まだ人知の及ばない原理原則があるように思う。中庸の波動、もしかしたらそれは、ブッダのいう宇宙の理法(ダルマ)と呼ぶものなのだろうか?
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