八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

長野善光寺と東山魁夷館

2017-05-12 05:07:57 | 日記
 初めて東山魁夷画伯の絵を見たのは、当時、東京の地下鉄東西線・茅場町駅近くにあった【山種美術館】だった。そこでは山種証券の創業者・山崎種二と二代目富治が自らの私財を投じて蒐集した日本画巨匠の名品の数々を、心ゆくまで見ることができた。魁夷の絵の中では、暮れゆく京都洛北の家々の瓦屋根上に雪が降るさまを描いた「年暮る」が、特に印象深く残っている。平成6年(1994)魁夷86歳の時、千葉県市川市の自宅兼アトリエの隣に市川市東山魁夷館が開館した。当時千葉市に住んでいた私は、快速電車で3駅目という近さもあり、何度か訪れた記憶がある。

 魁夷は、亡くなる2年前の平成9年(1997)、家蔵の自作400点余りを、平成2年(1990)長野善光寺近くに開館した【東山魁夷館】に寄贈している。平成11年(1999)、91年の生涯を終えるまで54年間を過ごした千葉県市川市ではなく、なぜ長野市だったのだろう?ずっとその理由を知りたいと思っていた。移り住んだ当地から行ったことがなかったこと、この6月から改修のため2年ほど休館になることも知って、2017年4月25日、電車で片道2時間強、思い立って見に出かけた。

 長野駅からバスに乗り善光寺北で下車、5分ほど歩くと城山公園内にある【東山魁夷館】に着いた。ゆったりとした時間の流れる館内で、展示作品だけではなく過去に描いた解説ビデオを見て懐かしむこともできた。今回の改築による休館前の企画展『東山魁夷 永遠の風景・館蔵本制作一挙公開』には、館が所蔵する34点が展示されていた。その最初の絵の説明文に、長野県との関わりの始まりが以下のように書かれていた。

【昭和58年(1983)に開館された長野県民文化会館の中ホールの緞帳の原画を県から依頼された私は、どんな題材が良いかいろいろ考えた。そこで何か信州にゆかりのある風景を描きたいと思ったが、緞帳には高さに対してずいぶん横に長いプロポーションなので、まず構図の上での制限がある。人々に親しみ深い風景の中でも、清澄な山の湖がふさわしいのではないかと考えた。初夏の湖の朝早い静かな情景を描きたい、との構想のもとにスケッチを取り出して眺めているうちに、私はここぞと思う1枚の風景が目に浮かんできた。】

 館内の年譜に、魁夷は平成11年(1999)、【東山魁夷館】を望む長野市の善光寺大本願寺花岡平霊園に埋葬されたと書かれていた。自然と対話し、感じ入った心の風景を描き続けて“祈りの画家”とも言われた魁夷にとって、信州のこの地は自分の書いた絵と見に来てくれる人たちを見守ることができる最高の場所といえるのではないか。そう思えた時、永年の疑問は跡形もなく消え去っていた。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ブログ(私の場合) | トップ | 【あるヨギの自叙伝】を読んで »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。