八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

俳優から仏像彫刻家へ(滝田 栄さんのこと)

2016-02-12 06:35:10 | 日記
 滝田栄さんが隣りの原村に住んでいることは、地方紙の記事に何度か出ていたので知っていた。どんな生活をしているかまでは知らなかったが、新聞に頭記講演会の案内が掲載されていた。どんな経緯から仏像彫刻家になったのだろう?大いに興味を覚えたので、妻とその講演会の申し込みをして聞きに行った。彼の著書[滝田栄、仏像を彫る]などからも補足して、以下にその講演(2013/4/21)の要旨と彼の人物像紹介を試みた。

1.信仰のあった家庭環境
 彼は、1950年、現在の千葉県印西市で、国鉄に勤める父と和裁仕立てを生業としていた母との三男として生まれた。母は心臓病を患っていて医者から出産を止めるように勧められていたが、成田山新勝寺の不動明王に願かけして彼が生まれた。滝田家では、毎朝両親が仏壇と観音菩薩像に花や水を供え、先祖供養とあの世での極楽往生を願って経を唱える習慣があった。不動明王に対しては、二十歳になったとき、母と二人でお礼参りの参拝をしている。また成田山新勝寺が設立した成田高校に進学したことも、その後の人生に何らかの影響を与えていたものと考えられる。

2.俳優の選択とスター時代
 高校卒業後は家を出て自分で生活するように、母親から自立を促されていたこともあるが、人が喜んでくれるのが嬉しかったことや同級生に俳優を勧められたこともあって、19歳の時に劇団文学座の俳優養成所に入所した。10年間はテレビや映画に出演しないで人間観察をするようにという教えを守り、アルバイトをしながら夜間大学にも通った。その間、23歳の時に劇団四季に入団。劇団四季の公演「王様の耳はロバの耳」の王様役や「シーザス・クライスト・スーパースター」のユダ役を経験して、29歳の時にNHK大河ドラマ「草燃える」に出演した。そして33歳の時に、NHK大河ドラマ「徳川家康」の家康役で出演した。その後、37歳から51歳までミュージカル「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン役を主演した。

3.座禅との出会い
 徳川家康の役創りに大変な苦労をした。徳川家康の本質を知るために、8歳からの12年間を人質として過ごした今川家の菩提寺である臨済寺(静岡市)で、しばらくの間修行僧たちと一緒の生活をさせてもらった。そこでは後に京都妙心寺官長となった倉内松堂老師からの教えや、三方ヶ原で武田信玄に大敗した後に家康が戦場で用いるようになった旗指物“厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)”という浄土宗の教えの意味を理解できたことから、家康役を演じ切ることができた。

 「レ・ミゼラブル」の主役や「料理バンザイ」の司会役で順風満帆の時代ではあったが、演劇界で魂に染み付いた汚れや精神的な疲れを洗い流したいという思いから、長野の善光寺近くにある禅寺・活禅寺を自分の座禅道場に決めて通うようになった。それは居合据物切り(いあいすえものぎり)四段という腕前を持つ彼が、そこで使う刀を打ってもらっていた故小林康弘刀匠から、活禅寺にいる和尚の法力の前では、自分が打った切れ味鋭い刀でも傷ひとつ付けることが出来なかったと聞いたことによる。その和尚・徹禅無行大師の法力は、死を宣告された病人の命をよみがえらせたり、末期がん患者の苦痛を身代わりするなど、人間の能力を超えた力を医師を交えた人々の前で何度か示現させた。

 その奇跡の示現の方法を彼が尋ねると、大師はこう答えたという。「禅のある修行の段階で、六神通という人間の力を超えた力が示現する。しかし、それは禅の通過点に過ぎず、最終の目的とは関係のないことであるから、そんなものは欲しがるな」そういう大師の姿に、全ての可能性に満ちた宇宙大の存在の魅力を感じ、それからは《万事如意》を目標に座禅を続けていると述べている。

4.インドへの修行の旅
 20年間続いていた「料理バンザイ」の突然の中止、それはメディアの悪行ともいえる過剰なまでのスポンサーメーカーへの非難報道だった。そして稽古期間も含めると15年に及ぶ「レ・ミゼラブル」での日々真剣勝負のような舞台で疲れ果てた心身。そんな折り、長年にわたり指導を受けてきた活禅寺の徹禅無行大師から、92歳で遷化する少し前に「インドには修行が早く進む聖地がある」と聞いていたので、心身のオーバーホール、自己探求、本来の自分を取り戻すことを目的に、「レ・ミゼラブル」の彼としての最後の公演を終えた翌日、インドへ旅立った。

 インドのヒンドゥ-聖者の中で、一番の法力を持つと教えられていた密教の指導者スワミ師の隠遁所に行って仏陀の教えを請うた。ヒンドゥ-の行とは、指示された真言を戒律の中で決められた回数、決められた日数内で唱え終えるものなのだそうだ。病気や大怪我、毒蛇やサソリに噛まれた人などに対するスワミ師による奇跡の示現も目のあたりにした。しかし、聖者といえども欲望を捨て切れていなかったり、法律で禁止されているにも関わらずカーストによる身分差もいまだ存在していた。

 仏陀の教えも数あるヒンドゥ-の教えの一つだが、法力示現が目的ではなく、カーストのない平等で平和な社会と解脱による不滅の安らぎを目的としている。スワミ師に相談すると、仏陀の教えを学び霊性を成長させるには、生まれ育った日本が一番だと教えられた。彼は2年間での修行終了を決意して直ちに帰国した。

5.仏像彫刻家としての出発
 話が前後するが彼が初めて仏像を製作したのは、「レ・ミゼラブル」公演中の42歳の時に遭遇した母の死がきっかけであった。母のために何かしたいという気持ちを、目に見える形に表わすには?そう考えた時、両親が毎朝、仏壇で手を合わせていた観音菩薩の木像のことが思い浮かんだ。大阪のホテルで仏像彫刻を教えていた仏師・久保田唯心先生を訪ねて聞くと、ナイフで鉛筆が削れれば仏像も彫れると聞かされて発奮した。彫刻刀と手本の観音菩薩像を借り、公演終了後のホテルで4日間で彫り上げたという。講演会の場でポケットから取り出して皆に見せてくれたが、ずぶの素人が彫った初めての作品とは思えないほどの出来栄えであった。

 46歳の時に父親が他界し、その父のためにも観音菩薩像を彫った。そして48歳の時、7歳年上の兄が死んだ。長兄・詔生さんは、母校成田高校の教師となり、陸上競技部の監督をしていた。熱血漢で、栄さんの公演切符をまとめて引き受けてくれたり、優しく頼もしい兄だった。選手を育てる才能があり、マラソンの増田明美さんやハンマー投げの室伏広治さんも教え子である。その兄のために、火炎を負った不動明王像を彫った。

 またアメリカに留学していた娘さんのクラスメート3人が、国からもらっていた奨学金の契約でその後に州兵になり、イラクに派遣されて戦死した。これを聞かされた時には、アメリカという国の利己による愚かさをいたみ、その青年たちの供養のために不動明王とコンガラ、ウバケイの二体の童子を彫りあげた。講演会場では3年ほどかけて兄のために彫った不動明王と、コンガラ、ウバケイの童子像を見ることができた。彼はこれまでに、等身大から小さなものまで二十体ほどの仏像を彫刻したと話していた。

6.八ヶ岳山麓での暮らし
 彼と八ヶ岳との関わりは、高校の山岳部で八ヶ岳登山に来たのが最初だった。その後31歳の時に、NHKドラマ「マリコ」で奥蓼科の山小屋でロケが行なわれた。その時の長期滞在で、八ヶ岳山麓の静かな時間が心に焼き付いたと語っている。原村に住んで30年、両親も晩年の10年ほどは原村で過ごしていたというから、33歳の頃には既に別荘を持っていたように思われる。2012年の秋、飼育していたミツバチの巣箱が熊に襲われたという記事が、作務衣姿の写真と共に地元の新聞に掲載されていた。それは農業生活の一端だと想像していたが、今回の講演を聞いて、木魚をたたき経を唱え座禅を組み、そしてアトリエで仏像を彫刻していることも知った。

7.講演を聞いて思ったこと
 今回の講演で初めて目にした滝田栄さんは、184cm、80kgという堂々たる体格で、明るくて声量もありとても見栄えがする人だった。俳優養成所に50倍の競争率で入れたことも、世界的なプロデューサー キャメロン・マッキントッシュの眼鏡にかない、日本公演でのジャン・バルジャン役に選ばれたことにも納得がいった。そして俳優という職業柄、演じる人物に近づこうとすればするほど、その人物の性格や習慣、内面のドロドロしたものまでも身に付けねばならず、綺麗サッパリ清算して本来の自分に戻りたいと思ったことにも合点した。またそれに加えて、私は、自然豊かなかの地で、自然から学びそしてその恵みに感謝しながら暮らしていたことも、仏教の禅に惹かれ座禅をするようになった理由だと思っている。

 著書[滝田栄、仏像を彫る]の中で彼は次のように述べている。「私は仕事を通じて、精神や心のあり方において向上を目指す人々、日本の仏教の僧という聖職者と巡り合うことができたのは幸運中の幸運であった。彼等はこの世で神聖なもの、本当に大切なもの、決して侵してはならない尊いものの所在を示してくれた」

 分かち合いの精神を忘れ、利己の物質的豊かさを殊更に求める社会では、貧富の格差と争いが生まれる。人類がこのかけがえのない美しい地球で、永遠に繁栄し子孫を繋げていける考えではない。私たちは、見えるものや聞こえるものしか信じようとしないが、彼は禅の修行の現場で、私たちが奇跡としている目に見えない力や見えない世界の存在を知った。そしてその法力を示現させた経験をも持つ。彼は本の最後でこう述べている。「みんなそろそろ仏陀になろう」と。私もまさにその通りだと思う。
ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 諏訪大社御柱祭の誌上再現 | トップ | 八ヶ岳山麓にオオカミがいた頃 »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
(^人^) (はる)
2016-02-12 07:56:00
導かれてなった・・・
成るべくしてなった・・・
そんな印象を持ちました。
「滝田 栄 仏像を彫る」を読もうと思います。
よいお話をありがとうございました。

我が家には、信州原村生まれの〝桜娘〟があるんですよ。
これも合わせて嬉しかったです(^^) 
人から学ぶ (カラマツ)
2016-02-12 08:57:50
 先人だけではなくて、身近に学ぶ人がいるのは嬉しいことですね。

 正面から向き合い、本質を知る努力や見極めようとする生き方が大切だと教えられました。
ご近所で素晴らしい人に出会えたと思っています。

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事