どうぶつ番外物語

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どうぶつ・ティータイム(203) 『ガルシア・マルケス作「落葉」の喚起力』

2017-06-02 00:12:24 | 書評

 

 ガルシア・マルケスの処女作「落葉」(高見英一訳)は、これまでに味わったことのない深層からノックされるような感覚に満ちています。

 ぼくの読後感から言えば、まるで船酔いのまま明け方を迎えた大島航路の三等船室風景のように、疲労と倦怠と安堵のなかで船底から突き上げるエンジン音を聞きながら横たわっているような気分です。

 

 まず、序章から一部を引用して、船酔いを喚び起こすこの小説の始まりに立ち会っていただきたいと思います。

 

 <突然、バナナ会社が落葉の屑に付き纏われてやって来たのだ。まるで、旋風(つむじかぜ)が町の真中に根を下ろしたようだった。それはよその町の屑同然の人や物、次第に遠い過去へと押し流されて嘘であったことのように思われてくる内乱の爪痕を巻き込んで、渦巻いている落葉の疾風だった。旋風は冷酷無情だった。大衆の猥雑な臭い、皮膚の表面に滲み出た分泌物の臭い、ひそかな死の臭いで、あらゆるものを汚しつくしていた。・・・・>

 

 作者がまず用意したのは、この作品のタイトルにもなった「落葉」という人間の屑や無用の物が渦巻く猥雑な土地、架空のマコンドでした。

 

 <この落葉の疾風に巻き込まれ、その激しい力に引きずられて、百貨店、病院、娯楽場、工場などのがらくたがやってきた。独り者の女や男がやって来て、宿屋の叉木に騾馬をつないだ。運んで来た荷物はといえば木の櫃か、一括りに束ねた衣類だけだったが、幾月も経たないうちに男たちは自分の持家と二人の情婦、それから戦争に遅れたために、当時、貰うことのできなかった軍人の位まで手に入れてしまったのである。>

 

 そして、このマコンドで何が起き、どのように収束していったのかは、本の帯に記載されたコピーに要約されています。

 

 <架空の土地マコンドに起きた、変り者のフランス人医師の首吊り事件をきっかけに露わになった住民の恨み、頑迷、挫折感、孤独・・・・

 町をあげての残忍性を前にした、十一歳の少年、その母親、退役大佐の祖父という夢遊病的な人物の独白を通して人間の孤独を描いた「落葉」・・・・>

 

 ここに登場する変り者のフランス人医師というのは、信じがたいどさくさの中でマコンドの住人となった人物です。

 

 町では新たな司祭を迎えるために総出で待っていたのですが、 同じ時刻に、街道を驢馬に跨り尻の方にとてつもなく大きなトランクをくくりつけた男が通りかかり、司祭を待ち受ける群衆には目もくれずに町へと入っていきました。

 町の人々も、この男が軍人用のゲートルを巻き真っ黒な顔をしていたので、さすがに司祭と見誤ることはなくただ呆気にとられて見送ったのでした。

 事実この男こそ、やがて首を括ることになった変り者のフランス人医師だったのです。

 

 一方、群衆が待ち受けていた司祭は、肩透かしを食らわせるように町への近道を通って教会の前に到着していました。

 痩せこけて無愛想な司祭は町の人に司祭館の場所を尋ね、「教会の裏にあるちっぽけな小屋ですよ」と教えられ、半開きになっていた扉からさっさと中に入って行きました。

 

 実はこの小屋は、かなり前から子供を抱えた女が占拠していて、扉の陰で子供も遊んでいたのですが、女が外出していたこともあって司祭は気にすることもなく、支柱から支柱へハンモックを吊るして眠ろうとしていました。

 やがて戻ってきた女は、司祭が眠るのを見てそそくさと荷物をまとめ、それまで占拠し生活の場にしていた司祭館を出て行きました。 

 同時刻にマコンドにやってきた二人の男たち、即ち軍医だったフランス人医師と偏屈な司祭の現われ方にこそ、マコンドに付きまとう旋風の象徴を見て取れます。

 

 語り手は十一歳の少年、その母親、退役大佐の祖父らで、彼らの独白という形式をとって進行していきます。

 その家の家政婦だったインディオの女性メメなど、重要な人物を巻き込んで物語が展開します。

 

 帯にある「住民の恨み」とは、医師でありながら瀕死の住民の診療を断り、やがては自分が妊娠させたメメの診察をも拒絶したフランス人医師への怒りが根底にあるのです。 

 長年に亘って増幅し続けた住民の恨みは、フランス人医師を襲って殺そうというところまで沸騰しますが、「いしあたま」とあだ名される司祭によって阻止されました。

 

 退役大佐とフランス人医師と司祭の関係は、ひと口で説明できそうもありませんので、実際に読んでいただくしかありません。

 やがて、フランス人医師はみずから首を吊って死ぬのですが、それまで住まいを与えてきた退役大佐とその家族もマコンドの住民の中で孤立せざるを得ません。

 

 物語は最初から最後まで、フランス人医師の遺体処理と葬式の準備に立ち会う退役大佐と、引きずられるように参列した孫と母親の独白によって語られます。

 その独白の中に現れる、少年、母親、老人それぞれが見せる斬新な表現は、読む者を何度もハッとさせます。

 

 脈絡がなくてわかりづらいかもしれませんが、ぼくの好きな独白の中から一例を挙げてみます。

 

 <昼寝(シェスタ)の時間が尽きようとする一瞬があります。人目につかない密かで微かな虫の動きさえも、まさにあの瞬間には止まるものです。自然の流れは止まり、万物は混沌の淵によろめき、女たちは熱暑と怨恨に息苦しさを覚え、頬に枕カバーの刺繍の花模様のあとをつけ、涎を垂らしながら体を起こします。そして、「マコンドではまだ水曜日だ」と思うのです。それからまた片隅にうずくまって、夢と現実とを結びあわせ、町じゅうの女たちが麻布の非常に大きなシーツを丹精こめて共同で作りあげるように、ひそひそ話を織りあげることに合意するのです。>

 

 坩堝に放り込まれたような精神の消耗の一方、ふっと息を吹き返すときの蘇生のよろこびを感じると言ったら見当違いでしょうか。

 「落葉」が内包する混沌への直視が、人間への信頼を回復させてくれるのです。

 

 圧倒的な神話「百年の孤独」でノーベル賞を受賞したガルシア・マルケスの原点は、まさにこの処女作「落葉」にあるのだと思います。

 船酔いもすっかり治って、伊豆大島の島影が見えてきた・・・・などと表現したら、「なんだ、ちっとも進歩してないじゃないか」と笑われそうですが。

 

 

     (おわり)

 

 

 

 

 

 

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