金環日食に世間が沸いた日。
沸きそこなったナマケモノのわたしは、日没せまる外出からのかえりみち、
はじめてゆっくりと空をみあげた。





パターンも濃さも見事にさまざまな雲が、大空いっぱいに、はしりわたる。
おもわず足をとめ、しばし眺めた。
金環日食に世間が沸いた日。
沸きそこなったナマケモノのわたしは、日没せまる外出からのかえりみち、
はじめてゆっくりと空をみあげた。





パターンも濃さも見事にさまざまな雲が、大空いっぱいに、はしりわたる。
おもわず足をとめ、しばし眺めた。
鎌倉は宝戒寺さんのちかくにある
いまでは老舗の和菓子処・美鈴さんの5月の菓子「昇鯉」が
さいわいにして今年もめでたく到来。

ご近所のおひとりさまからのおすそ分け。

四角にきりわけ、切り口に粉をつけて。

豆がみえる様もすきなので、一面は粉なしで。
柔らかく、さだまりづらい餅をきる。いびつに歪む姿がいい。
5月といえば、柏餅。
どんなタイプでも、どちらのお店の品でも好むけれど、
特に好きなタイプは、餡は粒あん、餅はよもぎいり。
お店は、鎌倉は腰越にある和菓子&甘味処みどりやさんがいい。
江ノ電が路面電車になる通りに面するこの店は、
さざえをかたどった「さざえ最中」もかなり美味。
最近はこじんまりと食べよいサイズになったけれど、
一昔前までは、1まわりか2まわり大きく、なかの粒あんは美しくかつ美味しく、
質量ともに食べである、しあわせな最中だった。
それを食べようという意欲と食欲ある人が減ったのか、
気がつくといつの間にか、よくある最中のサイズになっていた。
ちょっと残念ではあるけれど、それはそれで確かに食べよい。
そういえばわたしの胃袋もかつてほど頑強じゃないみたいだし。
ところが先日いったら、さざえ最中がなかった。
最中の皮をつくっていたところが事情により廃業され、つくれないのだとか。
目下のところ、最中の皮をつくるところを探しているという。
よいところが見つかりますように。
みどりやさんには藤沢の片瀬店もあり、こちらでは江ノ電どら焼も人気。
もっとも、わたし自身は食べたことがない。
いつか食べたいと思っているのに、
みどりやさんへいくと、つい柏餅を買ってしまうから不思議だ。
片瀬店は旧江の島みち沿いにある。
江の島と遊行寺をむすぶこの道はかつて、江島神社への参拝客などでにぎわったという。
いまでは静かな生活の路を柏餅を手にぶらりとあるくと、新緑がいっそう味わい深い。

連休のある日、地元の釜めし屋さんで
90歳をこした女性とゆっくりお話をさせていただく機会があった。
彼女がご自宅にもっておられる貴重な資料を拝借できることになり、
「いつお伺いしていいですか?」とたずねると「今日でもいいわよ」。
遅めの昼食の席だったので、いったん帰宅して出なおすと、先方宅へ着くのは夕刻。
人によっては夕飯時にかかってしまうかもしれず、ややためらったが、
「今からでもいいわよ、大丈夫」といってくださるので、善は急げとお言葉に甘えた。
海岸からそう遠くないお宅の居間には
南むきの大きな窓から夕方のほどよい陽が射しこみ、
網戸をとおして清々しい外気がただよう。
そこで資料を借りうけながら、彼女からさまざまな話をうかがった。
なかでも印象深かったのは
原発震災後の現状を「戦争のときとそっくり」といったこと。
先の戦争のあと、けっきょく誰も責任をとらず、
「一億総ざんげ」と不特定多数の責任に帰して、うやむやにされた。
いまも、東電の福島第一原発で大事故がおき1年たつというのに
原発をすすめてきた人たちは誰も責任をとらず、
原発の電力をつかってきた消費者の、不特定多数の、みんなの責任に帰されつつある。
あのときとそっくり――。
そういってから、彼女はこうつづけた。
「冗談じゃない、責任者にはきちんと責任をとってもらわなきゃ」。
そう。
原発事故を契機に
原発の電力をつかってきた消費者が責任の一端を感じ反省することが、
原発をすすめてきた者の責任を不問に帰すことにおわってはいけない。
だまされた責任と、だます責任とは、ぜんぜん違う。
だから、
だまされた者の責任を認めることが、だました者の免罪につながることは、本来ありえない。
・・・夕暮れの海岸線をかえりながら、そんなことをおもった。
緻密にみていかないと。
たとえば「みんな」っていっても、いろんな立場があったはずだし。
それにしても、
見るべきものをみて、聴くべきことをきいて年齢をかさねた人が、
言うべきことをいうさまを目の当たりにしたようで、ちょっと感動的な午後だった。
きょう2012年5月5日、北海道電力は
午後5時から泊原発3号機の出力を少しずつおとして
夜11時ころに発電をとめるという。
(参考:原発ゼロ時代に挑む 運転46年 全50基が停止 東京新聞2012年5月5日)
日本全国で原発がひとつも動いていない、という瞬間まで、あと数時間。
それは、わたしにとっても、生まれて初めて経験する事態だ。
原発まみれの日本の現実をはじめてしった約20年前、
こんな日本に誰がした? と、ただただ茫然とした。
人生100年足らずの人間にとっては
ほぼ「永遠」と呼びたいような遠い未来まで重いツケをのこしていくモノを、
じぶんが生まれるまえに勝手につくられていたことに、腹もたった。
学びたての原発問題をまわりのオトナにはなすと、
インテリの何人かはこういった――「そう。そうなんだよ」。
もうとっくに、もっと詳しく、知っていたのだ。
知りながら、なにもせず、そのままにしていた。
フツーの善良なオトナは、多くの場合こういった――
「知らないあいだに、原発がこんなにあるなんて」。
原発をつくったはずの世代にこういわれ、
まだ生まれるまえで「原発つくられても困るから、つくらないで」という余地もなかった
わたしは、承諾もしていない重いツケを、避けようもなく負されてしまうことへの憤りを
どこへ向けたらいいのかわからず、よけい呆然とした。
この肩すかし感と、ゆえにやり場の(みえ)ない憤りとに共振するものを、
珠洲や祝島で原発立地の現実を生きる人びとのなかに見たから、
自分は原発問題から離れられなかったのかもしれないとも思う。
この20年で原発の数はもっと増えたし、
(トラブルでほとんど運転してないけど)もんじゅとか再処理工場とかもできたし、
数々のトラブルや臨界事故に懲りることもなく、ついに原発震災がおきてしまった。
いまの子どもたちは、承諾もしていない重たいツケを、
あのころのわたしよりずっと多く、押しつけられている。
その一部は、いまではいいオトナになったわたし自身が
防ぎきれずに押しつけてしまうものなのだとおもうと、恥ずかしく、申しわけない。
いまの、そして未来の子どもたちに負わす荷を、これ以上ふやすなんてありえない。
新規の原発立地はもちろん、すでに原発がある地での増設も、
すでにある原発の運転も、すべて論外。
これまでにつくってしまった原発の廃炉と、
原発を運転させることで生みだしてしまった核のゴミの後始末だけで
じゅうぶん重すぎる荷だったのに、そこに
東電の福島第一原発事故への対応がくわわってしまったのだ。
42年ぶりで「原発ゼロ」になる今日は、おりしも子どもの日。
「原発ゼロ」が子どもたちへのいい贈り物になるといいたいところだけど、
実のところ、子どもの日の贈り物というより、むしろ詫び状だろう。
日本全国、原発がひとつも動いていない、という瞬間を
積みかさねようと行動することで、はじめて伝わる手紙かもしれない。
