サッカー日誌 / 2008年07月16日


犬飼新会長は新しい時代の始まり


日本サッカー協会の政権交代(下)

★クラブ時代を象徴する人事
 2008年6月の会長交代は、日本サッカー協会の歴史に一つの転換点を刻むものではないかと、ぼくは思っている。端的に言えば、実業団時代が終わりクラブの時代が始まっていることが、会長人事に表われたのである。
 犬飼基昭新会長は、浦和レッズを背景にJリーグ専務理事になり、Jリーグを土台に協会会長になった。
 慶応出身だが慶大閥で足場を築いたのではない。三菱出身だが実業団(会社チーム)を背景に選ばれたのではない。初めてのJリーグ出身、クラブ出身の会長である。
 日本のサッカーは、大学リーグ中心の時代から、実業団が強くなった時代に移り、Jリーグができてからクラブが中心の時代に入った。そのクラブ時代の始まりを犬飼新会長が象徴している。

★川淵前会長は実業団出身
 「川淵会長は、どうなんだ」という声が聞こえてきそうである。たしかに、川淵前会長は、Jリーグを創設し、Jリーグを発展させるのに貢献した。しかし、クラブ組織を作ったことはないし、運営したこともない。
 川淵前会長がサッカー界に役員として登場したときの足場は古河電工だった。
 Jリーグの前身である日本サッカーリーグ(JSL)は、1965年に実業団チームが集まって結成された。そのときの中心は古河電工だった。川淵前会長は、古河電工の選手として活躍し、古河電工を代表してJSLと日本サッカー協会の役員になった。そういう目で見ると、川淵前会長は実業団時代の申し子だったということもできる。。
 実業団時代にサヨナラしてJリーグ時代を作ったのは、川淵前会長の功績の一つだが、歴史的に見ると、実業団出身の最後の会長だった、ということになるかもしれない。

★歴史の転換点を刻む
 日本サッカー協会の歴史を振り返ってみると、役員の交代が時代の変わり目を刻印しているときがある。
 1921年(大正10年)に大日本蹴球協会が結成されたときの中心は東京高師(現在の筑波大)だった。簡単にいうと学校の教員が中心だった。
 1929年(昭和4年)の役員改選では、東大、早大などの大学チームOBが高師勢を圧倒し、大学リーグ中心の時代が役員構成に反映された。
 1976年(昭和51年)に野津謙会長をはじめ旧世代の首脳部が総退陣し、古河電工の長沼健さんたち若手が協会を動かすようになった。大学時代から実業団時代への転換だった。
 今回の川淵-犬飼の政権交代は、おだやかな人事のように見えるが、後になってみると、日本サッカーの転換点として記憶されることになるのかもしれない。

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