『原爆-三十周年記念誌-』
記念誌編集委員会・編/東城町原爆被害者の会1989年
いろいろなことがあるなあーと想います。
--アンケートをとられたりもしています……。
「祝辞」亀井郁夫(広島県議会議員)・著。
--コンサートがあったことを書かれてあります。下「」引用。
「私事となりますが、私の長姉も学徒動員で被災し、永く原爆症で悩んでおりましたが、遂に3年前不帰の客となってしまいました。生前現代俳句をたしなんでおりましたので、原爆被爆者の精神的肉体的ファンや、平和への想いを託した多くの句を残して逝きました。次の句は昭和62年の原爆記念日の前夜祭にカナダの有名作曲家アレキサンダーラパポート氏の手で特別に作曲され、ノーモアヒロシマコンサートにおいて演奏された五句の中の一句です。
白血球測る晩夏の渇きかな」
「「回想」東城町原爆被害者の会」高木敏人(初代会長)・著。
--当時のことなどを思い出されて書かれています。下「」引用。
「当時は一般家庭に殆ど電話がなくそれに自転車が私共の最高の交通機関でもありましたので同志を糾合するのに手間のかかる至難のことでした。当時は物資万能の風潮が今程ではありませんでしたし同志の殆どが明治・大正の生まれでありましたので相互扶助の精神は強く稲刈りの手伝いに行ったり病弱者の家庭へは「SOS物資」所謂救援物資の斡旋配分をしたり飽食の現在では到底考えられないことです。」
--被爆体験記「きのこぐも」発刊、1,200部。
◎反響 朝日新聞、NHK、読売、農業新聞……。
「碑の建立についての意識調査結果集計票」
アンケート調査をされたようです。
--「↑6千円程度の負担願えるでしょうか。」などの質問あり。
森滝市郎講演会を主催で開かれたようです。
紙碑を出されたようです。
「平和を願い「紙碑」2号発刊」昭和63年9月30日
--被爆者旅行
昭和63年11月17日~18日(1泊2日)
琵琶湖、京都方面、参加者37名。
2005年に東城町は合併して、庄原市になったようです。
目 次
記念誌編集委員会・編/東城町原爆被害者の会1989年
いろいろなことがあるなあーと想います。
--アンケートをとられたりもしています……。
「祝辞」亀井郁夫(広島県議会議員)・著。
--コンサートがあったことを書かれてあります。下「」引用。
「私事となりますが、私の長姉も学徒動員で被災し、永く原爆症で悩んでおりましたが、遂に3年前不帰の客となってしまいました。生前現代俳句をたしなんでおりましたので、原爆被爆者の精神的肉体的ファンや、平和への想いを託した多くの句を残して逝きました。次の句は昭和62年の原爆記念日の前夜祭にカナダの有名作曲家アレキサンダーラパポート氏の手で特別に作曲され、ノーモアヒロシマコンサートにおいて演奏された五句の中の一句です。
白血球測る晩夏の渇きかな」
「「回想」東城町原爆被害者の会」高木敏人(初代会長)・著。
--当時のことなどを思い出されて書かれています。下「」引用。
「当時は一般家庭に殆ど電話がなくそれに自転車が私共の最高の交通機関でもありましたので同志を糾合するのに手間のかかる至難のことでした。当時は物資万能の風潮が今程ではありませんでしたし同志の殆どが明治・大正の生まれでありましたので相互扶助の精神は強く稲刈りの手伝いに行ったり病弱者の家庭へは「SOS物資」所謂救援物資の斡旋配分をしたり飽食の現在では到底考えられないことです。」
--被爆体験記「きのこぐも」発刊、1,200部。
◎反響 朝日新聞、NHK、読売、農業新聞……。
「碑の建立についての意識調査結果集計票」
アンケート調査をされたようです。
--「↑6千円程度の負担願えるでしょうか。」などの質問あり。
森滝市郎講演会を主催で開かれたようです。
紙碑を出されたようです。
「平和を願い「紙碑」2号発刊」昭和63年9月30日
--被爆者旅行
昭和63年11月17日~18日(1泊2日)
琵琶湖、京都方面、参加者37名。
2005年に東城町は合併して、庄原市になったようです。
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