磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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開かれた「パンドラの箱」と核廃絶へのたたかい-原子力開発と日本の非核運動-

2008年11月09日 | 読書日記など
『開かれた「パンドラの箱」と核廃絶へのたたかい-原子力開発と日本の非核運動-』
   原水爆禁止日本国民会議21世紀の
     原水禁運動を考える会・編/七つ森書館2002年

470ページの本で、多くのことが書かれてある。
--p339~467の詳細な年表がある。



外国人のヒバクについて。下「」引用。

「また強制連行された中国人が広島で数十人ないし数百人いて、二○人~二四○人が死亡、長崎市では六五○人がいて、一五六人が死亡すると推定されるとしている。そのほか広島では東南アジア各地からの留学生が広島で八人がヒバク、二人死亡。アメリカ人捕虜が八名死亡。長崎では幸町に福岡俘虜収容所第一四分所があり、ジャワ島出身者を中心に、少数のアメリカ人、イギリス人、オランダ人など三六○~三八○人の捕虜がいたが、死亡六○~八○名、生き残った三○○人のうち二○○人が重軽傷を負った。その他日系アメリカ人や、アメリカ、カナダ、オランダその他の外国籍をもつ神父や修道女、修道士、フランス人、ドイツ人、ロシア人などがいてヒバクしている。」

目 次

この本などでは、バーチェット記者が「ノーモア・ヒロシマ」と最初に書いたというが、否定する本もある。記者ならば、Never again Hiroshima. と書くだろうという人もいた。

--ノーモア・ヒロシマズ運動というのがあったそうだ。それはUP特派員サフォード・ポーツ記者が書いたという。宗教と関わるから、そういう表現になったのだろうか?

“ポーリング・アピール”も……。下「」引用。

「一九五七年六月、アメリカのノーベル化学賞受賞者ライナス・ポーリング博士は「核爆発実験禁止協定の即時締結を要求する科学者のアピール」を発表した。
 このアピールは大きな反響を呼んだ。まずアメリカで二○○○名の科学者が署名し、引きつづいて世界の科学者に拡大、四四カ国、一万一○二一名にのぼる署名をそえて、翌一九五八年一月に国連事務総長に請願書として提出された。この署名にはバートランド・ラッセル卿やシュバイツアー博士など三七名のノーベル賞受賞者が含まれていた。日本では全国各大学専門分野の一一四一名が署名している。
 米上院の国内治安分科委員会は、ポーリング博士の署名運動を「赤」の策動として喚問しようとしたが、世論の憤激にあい断念せざるを得なかった。」

危険なのは、あきらかに差別主義者である……。
マッカーシズム……。
また、「原子力帝国」は極端な差別主義者でなければ、すすめることはできない!

高木さんは最初は苦労されたようだ……。下「」引用。

「反原発運動の盛り上がりのなかで、原子力資料情報室か七五年九月、原水禁事務局のある秋元事務局のある秋元ビルの一室でスタートした。当初は高木仁三郎一人だったが、反原発新聞0号が発行される七八年初めに、新聞編集の西尾漠もそこに常駐するようになった(新聞一号を発行した五月からは別に事務所を借りた)。」

もくじ

全米カトリックvsレーガン(カトリック教徒)。下「」引用。

「また全米カトリック司教会議は八二年一一月の討論を経て、八三年五月二、三日の全米カソリック司教会議大会で、「新たな新兵器システムの実験・製造・配備を停止する」とする内容の教書を採択した。このカソリック司教会議大会にむけてレーガン政権はさまざまな圧力を加えるが、大会は「全面的核実験禁止条約の早急な締結。核兵器の先制使用はもちろん、あらゆる使用を反対。核抑止戦略は不適切」等々の見解を明らかにした。」

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マンクーゾ博士の功績。下「」引用。

「米ピッツバーグ大学のトーマス・マンクーゾ博士はアメリカ原子力委員会(AEC)の委託を受けて、一九六五年から、ハンフォードの原子力施設で働いている労働者二万八○○○人を対象に一○年以上かけて追跡調査をしていた。その調査の途中、ハンフォードの核施設をかえるワシントン州の社会・保険・サービス局の医師ミラムによって、五○年から七一年にかけてハンフォードで働いている労働者の死亡率が、他よりも二五%も高いことが明らかとなった。
 マンクーゾはそのときデータを集積中であった。未完の研究からミラムと異なる結果が得られた。AECはマンクーゾにハンフォードのヒバク労働者には放射線の有害な影響は認められないと報告するよう圧力をかけた。それを拒否したマンクーゾは七五年三月に研究費を打ち切られるが、マンクーゾは調査結果をまとめ、イギリスのアリス・スチュアート博士らの協力を得て、七六年に発表した。ハンフォードの労働者は、ヒバクデータを測定されていた。この結果、放射線の倍加線量(ガンの自然発生率が二倍になる線量)は、国際放射線防護委員会(ICRP)の推定している倍加線量の一○分の一から二○分の一に当たることが明らかとなった。」

三菱兵器製作所……。下「」引用。

「戦争中、広島の三菱兵器製作所で徴用工として働かされていたヒバクシャは、賃金の半分は強制貯金させられていたが、ヒバク後、強制貯金の支払いもなく、ろくに治療も受けられないまま放置され、ようやく帰国したものの、原爆病などによって苦しんできた。」

核の栄光と挫折』からの引用が多いという。
--しかし、この本は残念ながら廃刊……。









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